TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


Ja zdes’ Inezil’ja    
 
俺はここだ、イネジーリヤ  
    

詩: プーシキン (Aleksandr Sergeyevich Pushkin,1799-1837) ロシア
      Я здесь,Инезилья (1830)

曲: グリンカ (Michael Glinka,1804-1857) ロシア   歌詞言語: ロシア語


Ja zdes’,Inezil’ja,
Ja zdes’,pod oknom.
Ob”jata Sevil’ja
I mrakom,i snom.

Ispolnen otvagoj,
Okutan plashchom ,
S gitaroj i shpagoj
Ja zdes’,pod oknom.

Ty spish’ li? Gitaroj
Tebja razbuzhu.
Prosnetsja li staryj,
Mechom ulozhu!

Shelkovye petli
K okoshku prives’.
Chto medlish’? Uzh net li
Sopernika zdes’?

Ja zdes’,Inezil’ja,
Ja zdes’,pod oknom,
Ob”jata Sevil’ja
I mrakom,i snom.


俺はここだ、イネジーリヤ、 
俺はこの窓の下なんだ
今セヴィリアは包まれてるぜ 
宵闇と眠りとに
 
勇気に駆られて 
マントに身を包み 
ギターと剣とを持って 
俺はこの窓の下にいるんだ。 
 
お前は眠っているのか?このギターで 
すぐに起してやるぜ。 
あの老いぼれが目を覚ましたなら 
この剣で打ち殺してやる。 
 
絹のハンカチをむすんで 
窓に吊るしてくれ 
何を待っているのか?どうして出てこない
ヤツがそこにいるのか? 
 
俺はここだ、イネジーリヤ、 
俺はこの窓の下なんだ
今セヴィリアは包まれてるぜ 
宵闇と眠りとに


グリンカはまた、スペイン情緒に溢れた音楽も好みだったのでしょうか。歌曲においても何曲かスペインに題材を得たそれっぽいメロディの作品を書いています。この歌はプーシキンの詩に付けたものですが、セヴィリアの夜の熱烈なセレナーデです。面白いのはプーシキンにこんなスペインを題材にした詩を書いたものがあるということなのですが、実はけっこうあるみたいでグリンカにももう1曲、同じようにスペインを題材にしたプーシキンの詩に付けた歌曲「夜のそよ風」があります。

またこいつもチャイコフスキーの「ドン=ファンのセレナーデ」を思い起こさせる熱烈さ。ほとんどストーカーのノリです。打ち殺してやるといっている老いぼれさんはこの女の親父さんかそれともダンナか?(それともドン・バルトロみたいな後見人なんでしょうか?)
謎が残りますけれどもいずれにしてもロッシーニのオペラ「セヴィリアの理髪師」の冒頭のアルマヴィーヴァ伯爵の歌みたいにほのぼのとしたセレナーデの情景ではないですね。ただチャイコフスキーのと違って明るいメロディなので、その分悲壮感はなくてストーカーっぽい感じは弱まっています。ストーカーっぽいと言えば同じグリンカの曲ですが、「ペテルスブルグよさようなら」の第3曲「ボレロ」がこれまた強烈な詞で印象に残りますので、これもいずれ取り上げてみたいと思っています。
なお、この詩はもとはイギリスの詩人バリー・コーンウォルの詩にインスピレーションを受けてプーシキンが詩を書いたということなのだそうですが、もとのコーンウォルの詩は残念ながら見つけることができませんでした。

女声ですがヴィシネフスカヤ(Erato)やボロディナ(Philips)の迫力ある声で、あるいはこのサイトでもたびたびご紹介している「イギリス詩人にインスパイアされて書かれたロシア歌曲」(Hyperion)という興味深いアルバムでこの歌を歌っているバスバリトンのサヴェンコの歌などが興味深いでしょうか。けっこうな名曲だと思うのですが聴ける録音はあまり多くありません。グリンカの歌曲でなぜか人気の高い地味地味に暗いものよりも、こんなのの方が彼の本領を発揮していて面白いと私は思っているのですけれども...

( 2007.02.20 藤井宏行 )


TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ