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Requiem   Op.60-25  
  Das stille Leuchten
鎮魂歌  
     歌曲集『静かなる輝き』

詩: マイヤー (Conrad Ferdinand Meyer,1825-1898) スイス
    Gedichte: II. Stunde  Requiem

曲: シェック (Othmar Schoeck,1886-1957) スイス   歌詞言語: ドイツ語


Bei der Abendsonne Wandern
Wann ein Dorf den Strahl verlor,
Klagt sein Dunkeln es den andern
Mit vertrauten Tönen vor.

Noch ein Glöcklein hat geschwiegen
Auf der Höhe bis zuletzt.
Nun beginnt es sich zu wiegen,
Horch,mein Kilchberg läutet jetzt!

夕日が移ろいゆき
村が陽光を失う時、
聞き慣れた響きが
夕闇への変容を悼む。

高台の小さな鐘だけがまだ
最後まで残って沈黙している。
今それが揺れ始めた、
聞け、私のキルヒベルクが鳴り響く!


またしても鐘の詩ですが、響きそのものを追求した「新年の鐘」とは異なり、その響きにロマン的意味を与えています。第一連の、晩鐘を陽光に満ちた世界への挽歌と捉える感性も魅力的ですが、注目すべきは後半の意味でしょう。キルヒベルクはマイヤーが亡くなるまでの20年間を過ごした村で、小高い山全体が村となっており、その頂上に教会があり、マイヤーは今もそこの墓地に眠っているのだそうです。それを知らずとも、この詩からやがて来る死の予感、不安そして諦念を読み取ることは容易でしょう。
 スイスのキルヒベルクといえば、トーマス・マンが晩年を過ごし、その終焉の地として名高い所ですが、これは偶然ではなく、マンは「C.F.マイヤーのキルヒベルク」を選んだのです。ホーフマンスタールはマイヤーの自然抒情詩のみを絶賛しましたが、マンはマイヤーの歴史小説を愛好しており、そのひとつ『聖者』のアメリカ版(1930)の序文を書くほど、強い共感を持っていたとのことです。スイスの山々を愛したマイヤーと、スイス高山のサナトリウムを舞台とした『魔の山』の大作家の間の意外なつながりに、目を開かれる思いでした。
 シェックの作曲は、弱音で追悼の沈鬱な調子が一貫し、キルヒベルクの鐘が鳴るところでピアノに「コラール」という指示があり、歌の終わったあと5小節のpppに至るピアノ後奏があります。
 演奏では、歌手生活の最晩年にまとめてシェックを録音してくれた御大フィッシャー=ディースカウの、盛期より衰えたとは言え、相対的にはまだまだ無類の完成度を誇る初録音盤、そして初の全集中の女声によるH.ファスベンダー盤、いずれも素晴らしいです。

参考文献:
ハンス・ヴィスリング『トーマス・マンとコンラート・フェルディナント・マイアー』六浦英文訳(大阪経済大論集http://www.osaka-ue.ac.jp/gakkai/pdf/ronshu/2003/5404_trans_mutuura.pdf )
新妻篤「マイヤー名詩選」(大學書林)

( 2006.12.31 甲斐貴也 )


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