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Parade   Op.18-8  
  Les Illuminations
パラード  
     イリュミナシオン

詩: ランボー (Jean Nicolas Arthur Rimbaud,1854-1891) フランス
    Les Illuminations  Parade

曲: ブリテン (Edward Benjamin Britten,1913-1976) イギリス   歌詞言語: フランス語


Des drôles très solides. Plusieurs ont exploité vos mondes.
Sans besoins,et peu pressés de mettre en oeuvre
leurs brillantes facultés et leur expérience de vos consciences.
Quels hommes mûrs! Des yeux hébétés à la façon de la nuit d'été,
rouges et noirs,tricolores,d'acier piqué d'étoiles d'or;
des facies déformés,plombés,blêmis,incendiés;
des enrouements folâtres! La démarche cruelle des oripeaux!
- Il y a quelques jeunes,- comment regarderaient-ils Chérubin?
- pourvus de voix effrayantes et de quelques ressources dangereuses.
On les envoie prendre du dos en ville,affublés d'un luxe dégoûtant.

Ô le plus violent Paradis de la grimace enragée!
Pas de comparaison avec vos Fakirs et les autres bouffonneries scéniques.
Dans des costumes improvisés avec le goût du mauvais rêve ils jouent des complaintes,
des tragédies de malandrins et de demi-dieux spirituels
comme l'histoire ou les religions ne l'ont jamais été.
Chinois,Hottentots,bohémiens,niais,hyènes,Molochs,
vieilles démences,démons sinistres,ils mêlent les tours populaires,
maternels,avec les poses et les tendresses bestiales.
Ils interpréteraient des pièces nouvelles et des chansons ?bonnes filles?.
Maîtres jongleurs,ils transforment le lieu et les personnes,
et usent de la comédie magnétique.
Les yeux flambent,le sang chante,les os s'élargissent,
les larmes et des filets rouges ruissellent.
Leur raillerie ou leur terreur dure une minute,ou des mois entiers.

J'ai seul la clef de cette parade sauvage.


えらく丈夫そうなオモロイ奴らだ。何人もが君たちの世界を食い物にしてきた。
全然必要ともしていないし、急いでしようともしていない
奴らの輝かしい能力を生かし、君たちの良心に関する知識を生かすことなんか。
なんて世慣れた奴らだろう! 眼は夏の夜のようにどんよりして、
赤くまた黒く、三色旗(トリコロール)のようで、金の星をあしらった鉄みたいだし;
顔はゆがんで、鉛色で、蒼ざめて、燃え立っているし;
えらい派手な声をしている! キンキラキンの衣装で残酷なステップを踏んでるぞ! 
-中に若い奴もいる-そいつらはケルビーノをどういう風に見るのだろう?
-耳障りな声とアブナイ性格を持った奴らなんだ。
やつらは歓楽街へと送り出される、悪趣味にド派手な衣装をまとって。

おお、狂ったしかめっ面の最凶の楽園! 
君たちのファキールや舞台の上の道化など比較にもならない。
衣装はときたら悪い夢でも見ているような趣味で、
悪漢やら半獣神やらが出てくる、哀愁劇やら悲劇なんぞを演じる
歴史上にも信仰上にもいまだかつてあり得なかったようなやつを。
中国人、ホッテントット、ボヘミアン、愚か者、ハイエナ、モロク神、
気狂い老人、悪魔といった役に、やつらは通俗的なスタイルやら
母性的なものやらと、野性的なしぐさやら感情やらとを混ぜ合わせて演じる。
やつらは新作の舞台でも、「かわいコちゃん」といったシャンソンでも難なくこなす。
魔術師の巨匠として、やつらは舞台や人物を変えて、
魅力的なコメディを上演する。
瞳は燃え、血は歌い、骨は広がり、
涙と赤い網が流れ落ちる。
やつらの嘲り声や恐怖は続く、1分間、あるいは数ヶ月もの間。

私だけがこの野蛮な道化芝居の鍵を持っている。


ブリテンの「イルミナシオン」、全曲のクライマックスとも言えるのがこの「パラード」です。
この歌曲集に繰り返し繰り返し現れてくる「私だけがこの野蛮な道化芝居の鍵を持っている」のフレーズが原詩の最後に現れてきますが、これも大変長い詩でしかも難解ですので、この「鍵」についてもいろいろな解釈があるようです。フランス音楽にお詳しい方は、エリック・サティのバレエ音楽にこの題名と同じ「パラード」というのがあるのをご存知でしょうか。この「パラード」は「客寄せ芝居」と邦訳されて紹介されることがランボーの詩の場合には多いようですけれども、もう少し説明すると旅芸人の一座が劇や曲芸を宣伝するために、広場や道端で無料で公演していた芸のことをいうようです。
門司邦雄さんの解説では、この道化芝居の描写の中に軍人や僧侶などの権力者たちの乱痴気ぶりを読み取られているようです。確かに同じランボーの初期詩篇の「悪」などを見ていてもこういった人たちへの彼の嫌悪感や憎しみなどはよく分かりますので、あの詩ほどあからさまではなくても何かそういったニュアンスはここにもあるような気はしますね。詩人ランボーだけがそんな権力者たちの権謀術数をここで描写しているような道化芝居として見取ることができる、というのは、最後の「私だけがこの野蛮な道化芝居の鍵を持っている」の解釈としては確かに説得力があります。

しかしながらこの歌曲集でブリテンがこの「私だけが」のフレーズに持たせた意味は音楽をこうして聴きとおしてみるとちょっと違っていて、もっともっとプライベートなものの告白のように思えます。それが何なのかは私の駄文をここまでお付き合い頂いた方にはお分かりかと思いますのであえて申しませんけれども。

いくつか詩で使われている語句の補足をしますと、まずケルビーノというのは例のモーツアルトが曲を付けたポーマルシェの戯曲フィガロの結婚に出てくるあのお小姓、ここでもまたブリテンも好んだ少年愛の構図が読み取られているようです。そういえばこのあとのprendre du dos en ville、直訳すると私が訳したように単に街へ繰り出す、とでもなるのでしょうが(それともこのdosに英語のbackと同じ意味が?)実は裏に深い意味があって、手だれた訳者の方はもっと生々しい訳をしています。「少年を漁りに」であるとか(鈴村和成訳)「尻を抱きに」であるとか(粟津則雄訳)もっと露骨に「男の尻を求めに」(宇佐美斉訳)まであります...
またファキールというのはインドのバラモン教の托鉢僧、多くの訳ではこれもバラモン托鉢僧となっていますが、どうせバラモンの僧侶なんて日本人にはイメージできないのでそのままにしました。またモロク神というのは古代オリエントで信仰されていた神様のようです。

冒頭は伴奏がふらふらとうごめく中を、早口でまくしたてるように歌われますが、中間の「歓楽街に駆り出される」あたりで弦に生き生きとした美しいパッセージが現れて音楽が急速に盛り上がって行きます。また「中国人、ホッテントット」と並べ立てるあたりから歌ではなくて語りっぽくなります。が一度勢いがついた音楽はここでマグマとなって力を溜めているような趣で、それが最後の「私だけがこの野蛮な道化芝居の鍵を持っている」で爆発すると共に、「歓楽街で」のとこで聴かれた美しいパッセージが再現されてきて輝かしく終わります。

( 2006.12.16 藤井宏行 )


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