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Rasstalis’gordo my    
 
私たちはさりげなく別れた  
    

詩: クローチキン (Vasily Stepanovich Kurochkin,1831-1875) ロシア
      Расстались гордо мы

曲: ダルゴムイシスキー (Alexander Sergeyevich Dargomyzhsky,1813-1869) ロシア   歌詞言語: ロシア語


Rasstalis’gordo my,
Ni slovom,ni slezoju
Ja grusti priznaka tebe ne podala.
My razoshlis’ navek!
No esli-by s toboju ja vstretit’sja mogla!
Akh,esli b ja khot’ vstretit’sja mogla!

Bez slez,bez zhalob ja
Sklonilas’ pred sud’boju
Ne znaju,sdelav mne tak mnogo v zhizni zla,
Ljubil li ty menja?
No esli-by s toboju ja vstretit’sja mogla!
Akh,esli b ja khot vstretit’sja mogla!

私たちはさりげなく別れた
交わす言葉も、涙もなく
あなたにこの私の悲しみを見せることもなく
永遠にお別れをした
でも、もしもう一度あなたに会うことができたなら
ああ、一度でも出会えたならば!

涙も、恨み言もなく
私はこの運命に顔を向けた
私には分からない、こんなに私の人生をめちゃめちゃにした
あなたが私を本当に愛していたのかは?
でも、もしもう一度あなたに会うことができたなら
ああ、一度でも出会えたならば!


原詩の“Rasstalis’gordo my”は直訳すると「正々堂々と別れた」っていうようなニュアンスのようですが、日本的な感覚で修羅場なく別れるのは「さりげなく」の方がイメージにあっているように思いましたのでこの言葉を使っています。もしかしたら「あと腐れなく別れた」の方が忠実な訳かも知れませんけれども、ただ歌詞のこのあとの言葉はお読み頂いた通り未練たらたらですからとても後腐れないようには見えません。そうして見るとやはりこの訳の方が流れが良いかなとも思えます。

ダルゴムイシスキーの曲はそんな複雑な感情はおくびにも出さず、ひたすら淡々と別れを歌っています。詩そのままのメッセージを曲にしたらきっとドロドロのロシア風ド艶歌になりそうなところ、ここではすべてを吹っ切ったような暗さの微塵もないメロディです。
もっともリズムのちょっとした揺らぎが秘めた心の悩みをひそかに告げているかのようにも聴こえて、実は一筋縄ではいかない深みがあるようにも聴こえます。

この曲もいい曲だとは思うのですが、私が聴くことができたのはRussian Discのダルゴムイシスキー&キュイ歌曲集でのシャロノヴァのソプラノくらいです。もっともこれで十分な味わいの深さは感じ取れるのですが。

( 2006.09.13 藤井宏行 )


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