Spes' |
傲慢 |
Khodit Spes',naduvajuchis', S boku na bok perevalivajas'. Rostom-to Spes' arshin s chetvert'ju, Shapka-to na nem vo tselu sazhen'. A i zashel by Spes' k ottsu,k materi, Da vorota nekrasheny! A i pomolilsja b Spes' vo tserkvi bozhiej, Da pol ne meten! Idet Spes',vidit: na nebe raduga; Povernul Spes' vo druguju storonu: Ne prigozhe-de mne nagibatisja! |
傲慢が歩いている、でかい顔をして 脇へ脇へと他人を押しのけて 背丈はたったの1アルシンと4分の1だが かぶっている帽子の幅は1サージェンもある 傲慢が父や母のもとを訪れることがあっても 実家の門が塗られていたためしはない 傲慢が教会でお祈りするときでも 教会の床が掃き清められたことはない 傲慢が行く手の空に虹を見かけたとき やつは戻ってきてこう言うのだ 「俺は頭を下げるなんて柄じゃないからな」と |
ボロディンがこの詩で歌曲を書いていてこちらも皮肉の効いた面白い曲でしたが、晩年(といっても30代後半ですが)のムソルグスキーも同じ詩にメロディを付けていました。こちらはボロディンにあった「傲慢が歩く」のところのしつこいほどの繰り返しがなく、だいたい2分足らずで終わってしまいます。また父母の元を訪れる部分より前に傲慢がちゃらちゃらと着飾っているところを描写している節があるのですが、ここはボロディンでは使われているもののムソルグスキーは省略していますので対訳にも記していません。アルシンというのは昔のロシアの長さの単位でおよそ71cm、ですから傲慢の背はこの1.25倍で90cm弱ということになるでしょうか。またサージェンというのも長さの単位で、1サージェン=3アルシンだそうです。ですので帽子の幅は2.13メートル、姿を想像してみるとおかしいですね。詩人のトルストイがお偉いさんの傲慢な態度を擬人化してこう描写しているのでしょう。
次の節の「門を塗る」や「床を掃く」ではいくつか調べた英訳で正反対の解釈(「必ずされている」、あるいは「されるべきだ」というもの)も散見されましたが、ne(not)という否定詞が入っていますので私は否定している表現を取りました。もっともロシア語の文法なんぞほとんど知りませんのでここは「されるべきだ」の方が正しい可能性も十分あります。また何を言わんとしているのかも(ロシアの伝統的な習俗を知らないもので)良く分かりませんでした。
また、最後の節の「虹」というのは恐らくこの傲慢より偉い人のことでしょう。顔を合わせると頭を下げなくちゃなりませんから出会わないように歩く道を変えるという姑息なことをやっています。
ムソルグスキー歌曲全集でのボリス・クリストフは、有名な「蚤の歌」を思わせるようなユーモアで、最後は「ワハハ」と笑いながらこの曲を締めます。確かにこの曲、「蚤の歌」にちょっと似てます。作曲時期が近いこともあるのかも知れません。
( 2006.05.09 藤井宏行 )