PROBUZHDENIE VESNY Op.109-2 Rjat Satiry |
春の目覚め チョールヌイの詩による5つの風刺 |
PROBUZHDENIE VESNY Vchera moj kot vzgljanul na kalendar’ I khvost truboju podnjal momental'no, Potom podral na lestnitsu kak vstar’, I zavopil teplo i vakkhanal’no: “Vesennij brak,grazhdanskij brak - Speshite,koshki,na cherdak!” I kaktus moj - o,chudo iz chudes!- Zalityj chaem i kofejnoj gushchej, Kak novyj Lazar’,vzjal da i voskres I s kazhdym dnem pret iz zemli vse pushche. Zelenyj shum... Ja porazhen, ”Kak mnogo dum navodit on!” Uzhe s panelej slipshujusja grjaz’, Rugajas’,skalyvajut dvorniki likhie, Uzhe ko mne zashel segodnja “knjaz’”, Vzjal teplyj sharf i lyzhi begovye... ”Vesna,vesna! - poju,kak bard,- Nesite zimnij khlam v lombard”. Sijaet solnyshko. Ej-bogu,nichego! Vesennjaja lazur’ spugnula dym i kopot’. Moroz uzhe ne shchiplet nikogo, No mnogim nechego,kak i zimoju,lopat’... Derev’ja zhdut... Gniet voda, I p’janykh bol’she,chem vsegda. Sozdatel’ moj! Spasibo za vesnu! Ja dumal,chto ona ne vozvratitsja,- No... daj sbezhat’ v lesnuju tishinu Ot zloby dnja,kholery i stolitsy! Vesennij veter za dver’mi... V kogo b vljubit’sja,chert voz’mi? |
春の目覚め 昨日のこと、うちのネコはカレンダーを見ると とつぜんシッポをピンと立てた それからいつものように階段を駆け上がり そしてネコなで声でこう鳴いた 「春の結婚式だ、人民の結婚式だ さあ ネコたちよ 屋根裏に集結せよ」 うちのサボテンも、おお、奇跡中の奇跡だ! 紅茶とコーヒーしかやっていないのに 新しいラザロのように成長し 毎日植木鉢から栄養を力強く吸い上げる 緑溢れる中...驚いた 溢れんばかりのアイディアが湧き起こる! もう凍った土も融けだして 庭師たちが道に泥を跳ねたと責められる 私のところにも古物商がきて 暖かいスカーフや競技用スキー板を引き取っていった 春だ、春だ! 吟遊詩人のように私は歌う 冬用のガラクタはみな質屋にやってしまおう 太陽は輝く、神様 春の風は煙や煤を脅かす 霜はもう誰も痛い目には合わせない もっとも多くの人々は、冬と同様食べるものはないが 木々は待っている、水はうなっている いつもより酔っ払いをたくさん見かける おお、わが創造主よ、春をありがとう 私はもう二度と戻ってこないかと思っていた だが、私を静かな森へと逃れさせてくれ 今日のニュースで言っていた、コレラが発生したと、首都で! 春の風が表を吹いている 誰でも良いから恋人をおくれ |
ショスタコーヴィチの歌曲集「風刺」(過去の絵)の第2曲、さわやかな春の情景を描写しています。が、詞にも曲にもところどころにピリッとしたスパイスが効いていて笑ってしまいます。いくつかはうまく意味が取れなかったのですが勢いで訳しましたので誤りがあればご指摘頂けるとありがたいです。
「春の風は煙や煤を脅かす」というのは暖かくなってもう暖房が要らなくなったということでしょうか。私も10年ほど前に恐ろしく冬の寒さが厳しいところに住んだことがありましたので、春の訪れとそれに伴う周囲の劇的な変化はなかなか凄いものがある、というのは実感しているところです。周り中ぬかるみだらけだし、植物は急に生き生きとしだすし(さすがにコレラの流行はなかったですが...)。
ひとつだけ補足すると、「新しいラザロのように」のところで出てくるラザロは、イエス・キリストが甦らせたという死者の名前。死んだ人間が突如起き上がってもりもり飲み食いしだすような光景をサボテンに見立てているのが何気に笑えるところでしょうか。
冒頭、曲の題名「PROBUZHDENIE VESNY」をぼそりとつぶやいてから(この歌曲集、題名をちゃんと歌の中で最初に紹介するところも斬新で面白いです)、流れるようなピアノの伴奏が始まります。このメロディは実はラフマニノフの歌曲 「春のせせらぎ」のパロディ。こちらも喜び一杯の春を歌っている歌曲ですけれどもこれも負けず劣らず輝かしいです。猫が絶叫したあとサボテンの話になったところでスケルツォっぽく曲調が変わり、力強い生命力を表します。「成長していく」と歌っているところで伴奏に加速がかかるところは彼のシンフォニーのスケルツォ楽章でよく聴かれるユーモア、そして次の「もう凍った土も」のところではまた曲調が変わって飛び跳ねるような(泥をよけながら跳びはねて歩く描写でしょうか)音楽。今度は「私」が春の喜びを絶叫します。
「太陽は輝く」のところでまたラフマニノフが戻ってきてそのままクライマックスになだれ込みます。コレラの恐怖と、恋人が欲しいという2回の激しい叫び。春に恋人が欲しいと歌う歌曲は世の中に他にもたくさんあると思いますが、これほどストレートに絶叫しているのはあまりないのでは?
この曲の初演者ヴィシネフスカヤが1974年にパリで、ロストロポーヴィチのピアノ伴奏で入れた録音(EMI)がとにかく物凄いです。パワーも半端ではないですし絶妙の表現力。この曲の生命力と反骨精神を強烈に表現していて素晴らしい。ちょっと絶叫が激しすぎて曲の流麗さが損なわれていますが、私はこの曲ではそれが良いんだと思います。
( 2006.04.02 藤井宏行 )