小楠公 |
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時しも御代は正平の 三年の春のはじめにて 芳野の山はしろたへの 雪に木末をうづめられ 萌え出る木々の下草も みな足利のあししたに 踏みしだかれて哀にも 伸るちからもなよ竹や 折れても節操破らじと 誓ひし正行は去年の冬 よし野にまうで大君の 龍顔をがみたてまつり 亡父正成が先帝に 仕へて忠をつくしたる その赤心をうけつぎて 我もこころをつくし潟 浪と寄せ来る賊軍を 拒ぎたたかひ退ぞけて 君の叡慮をやすめんと おもへど我は不幸にも かよわき質に有ぬれば むなしく月日過すうち もしや病痾のその爲に 病蓐のうへに玉の緒の 絶る事しもあるならば 君のためには忠ならず 亡きわが父に孝ならず 病痾の為にはかなくも 黄泉の7鬼とならんより 此処に寄せ来る賊兵と 刃刀を交へいさぎよく いのちをすてて忠孝の 道を全うせんものと おもひさだめて今度は 親族やからも家臣も 心ひとつにかためつつ 我と生死をともにする 誓ひをたてし武士を 引きしたがへて御門邊に まうで来ぬると隆資に 告ぐるを何時か大君は 御簾の内より聞しめし いとかしこくも行在の みなみの榛の端ちかく 出御ましたまひ拝謁を 許したまひしその時に 朕はなんぢを股肱ぞと おもへば深く巳が身を いとひ慎みかならずも 生て帰れとありがたき (中略) 罵り玉ひ雄々しくも ふたたび進み師直を 討んとふかく斬入れど 今朝未明より小休なく 劇戦すでに十六合 敵は新手が加はれど 味方は斃るのみにして 其数さへもつきはてて 残るはわづか五十人 用に4たつべき者もなく ことに朝臣も疲れはて 今は一歩も進めねば いざ是までと 大君の 在せる方をふし拝み 賊の方をばうちにらみ 骨肉わけしはらからと 互にさしつさされつつ 飯盛やまにほどちかき 四条縄手のゆふけふり 消てかへらぬ旅のそら 踏む道芝にちるつゆと はかなくなれど君の為 つくす心のふかければ その真心はうせやらで のちの世までも著く 吉野の花ともろともに 今尚四方にかぐはしく 忠臣孝子のかがみぞと 内外の国にかをるなり 内外の国にかをるなり |
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南北朝時代の有名な南朝の一族楠家、正成の息子 正行(まさつら)と、彼の最期を迎えた四条畷の戦いのことを歌った歌です。大楠公が正成で、この小楠公は正行になるのですね。戦前はいざ知らず、太平記の世界をほとんど教えられなくなった戦後においては全く知られざる歴史のひとこまですし、とにかく歌が無茶苦茶長いので今やほとんど顧みられなくなってしまった歌です。もっとも彼のこのメロディは替え歌として、「歩兵の本領」や「アムール河の流血」、さらには「メーデー歌(聞け万国の労働者)」として歌い継がれたのだとあります。
この「小楠公」、幸いなことに国会図書館のデジタル・アーカイブとしてネット上からも見ることができますので、残りの歌詞にご興味をお持ちの方はご覧ください。そこには楽譜も載っておりましたが、だいぶ上に挙げた替え歌のメロディとは違っているようです。これが元歌だという通説ももしかしたら疑って見た方が良いのかも。
( 2018.12.29 藤井宏行 )