Korolevskij pokhod Op.62-6 Shest’ romansov na slova U. Raleja,R. Bernsa i Shekspira |
王様の行進 ローリー・バーンズ・シェイクスピアによる6つのロマンス |
Po sklonu vverkh korol’ povel Polki svoikh strelkov. Po sklonu vniz korol’ soshel, No tol’ko bez polkov. Up to the top of the hill The King has marched his men; The King has come back down again, But without his band of men. |
丘の上へと 王さま 率いて行ったよ 自分の 射撃部隊を 丘の上から 王さま 降りて来たよ だけど 兵隊は連れずに 丘の上に登っていったよ 連隊をつれた王様が行進しながら 丘の上から王様が降りてきたよ でも、連隊は連れていなかったよ |
棘のある皮肉とやり場のない怒りに彩られた「イギリスの詩人による6つの歌」、最後はわらべ歌につけた非常に短い作品です。威勢の良い行進曲に乗って歌われるその歌はしかし戦争というものの、そして権力者というもののカリカチュアとしては実に鋭いものになっていると思いませんでしょうか。ソヴィエトにおいても1930年代半ばにヒットラーと独ソ不可侵条約を結ぶ中、ショスタコーヴィチとも親しかったトハチェフスキー元帥を含む軍の優秀な幹部たちを粛清してしまったり、ドイツ侵攻の可能性を夢にも考えていなかったために奇襲の前に思い切り油断していたり(戦争の危険性を少しでも口にするものは反逆罪として逆に逮捕されたといいます)といった具合で、独ソ戦が勃発したときに初期の大敗を招いてしまったスターリンの愚行、この曲が作られた前年の1941年に書かれ、ドイツ軍に包囲される中で英雄的な戦いを続けるレニングラード市民たちを描いたと絶賛された交響曲第7番「レニングラード」にしても、あそこまでドイツ軍に攻め込まれてしまい、戦場となった土地の住民たちを地獄の苦しみへと陥れてしまった背景にはこのソヴィエト政権の大失策もあるのだということを言いたげなこの詩とこの曲。
このような彼の醒めた目があるのだということを知ってみると、あの交響曲も違った聴こえ方がしてきます。
これはピアノ伴奏よりも、彼自身の編曲による管弦楽伴奏で聴いた方がシニカルさが強く出て面白い作品です。彼の編曲には作曲とほぼ同じ頃の1940年代にされたもの(Op.62a)と、それから最晩年にされたもの(Op.140)との2種類がありますが、この曲に関しては古い版の方が映えるでしょうか。軍楽隊を思わせる厚ぼったい木管にハデハデなオーケストラ、ティンパニの強打とまるでギャグアニメの伴奏音楽のようにさえ聴こえます。
1分足らずで終わってしまうこんな短い曲なのに、なんて贅沢な楽器の使い方でしょう。それがまたいいんですけれど。
サフューリンのバスにゲンナジ・ロジェストヴェンスキーの指揮するソヴィエト文化省交響楽団の演奏が唯一、このOp.62aを私の知る限り録音してくれています。ロジェストヴェンスキーの入れた交響曲全集、この曲に限らずショスタコーヴィチの書いたオーケストラ伴奏の歌曲集をたいへんたくさん収録していて興味深い録音です。この全集でないと聴くことのできない作品もたくさんあり、ぜひとも復活させて欲しいところです。
(2006.03.07)
最初の記事のアップから10年がたち、その間にマルシャークもパステルナークも著作権が切れましたので、ロシア語の原詩からの翻訳も掲載することに致します。ロシア語の知識は乏しいゆえ、お粗末な訳詞かと思いますがお許しください。上にロシア語対訳、今までの英語対訳は下に持って行くことと致します。
( 2006.03.07 藤井宏行 )