Dzhenni Op.62-4 Shest’ romansov na slova U. Raleja,R. Bernsa i Shekspira |
ジェンニ ローリー・バーンズ・シェイクスピアによる6つのロマンス |
Probirajas’ do kalitki Polem,vdol’ mezhi, Dzhenni vymokla do nitki Vecherom vo rzhi. Ochen’ kholodno devchonke, B’et devchonku drozh’: Zamochila vse jubchonki, Idja cherez rozh’. Esli kto-to zval kogo-to Skvoz’ gustuju rozh’ I kogo-to obnjal kto-to, Chto s nego voz’mesh? I kakaja nam zabota, Esli u mezhi Tselovalsja s kem-to kto-to Vecherom vo rzhi! Comin thro' the rye,poor body, Comin thro' the rye, She draigl't a' her petticoatie Comin thro' the rye. Oh Jenny 's a' weet,poor body, Jenny 's seldom dry; She draigl't a' her petticoatie Comin thro' the rye. Gin a body meet a body Comin thro' the rye, Gin a body kiss a body Need a body cry. Oh Jenny 's a' weet,poor body... Gin a body meet a body Comin thro' the glen; Gin a body kiss a body Need the warld ken! Oh Jenny 's a' weet,poor body... |
進んで行く 門に向かって 野原を あぜ道に沿って ジェニーは 膚までずぶ濡れだ 夕暮れの ライ麦畑で あまりに寒くて 娘は ぶるぶると娘は震えてる びしょ濡れだ すっかりスカートも 歩いて来たから ライ麦畑を もしも誰かが誰かに呼ばれたって 茂ったライ麦畑の陰で それから誰かが誰かを抱いたって それが何だって言うんだ? 俺たちには関係ないことだ もしも あぜ道で 誰かが誰かとキスしたって 夕暮れの ライ麦畑で! 通り抜けて来る ライ麦畑を 哀れな奴が 通り抜けて来る ライ麦畑を 彼女は引きずって 自分のペチコートを 通り抜けて来る ライ麦畑を おおジェニーはすっかりずぶ濡れ 哀れな奴だ ジェニーは全然乾かない 彼女は引きずって 自分のペチコートを 通り抜けて来る ライ麦畑を 誰かが誰かと出会ったって 通り抜けて ライ麦畑を 誰かと誰かがキスしたって 通り抜けて ライ麦畑を おおジェニーはすっかりずぶ濡れ 哀れな奴だ... 誰かが誰かと出会ったって 通り抜けて あぜ道を 誰かと誰かがキスしたって 知ったこっちゃない! おおジェニーはすっかりずぶ濡れ 哀れな奴だ... |
1942年に作られた「イギリスの詩人の詩による6つの歌曲Op.62」、その第4曲目も第2・3曲同様スコットランドの民謡詩人ロバート・バーンズの詩につけたものでした。で、英語の原詩を見てお分かりの方はお分かりの通り、このバーンズの詞は日本でも有名な「誰かさんと誰かさんが麦畑」です。唱歌「故郷の空」でも知られるその憧れに満ちた歌が、ここではもっと研ぎ澄まされた繊細なものになっていて大変興味深いです(もちろんメロディは全く違いますが)。私も今までこの曲を歌詞をじっくり見ながら真面目に聴いていなかったもので、この詞が「麦畑」であることに気が付いたのはごくごく最近のことでした。ちなみにショスタコーヴィチはこの有名なスコットランド民謡「麦畑」の方のメロディも管弦楽伴奏の歌曲に編曲しているものもあります。こちらもしみじみとした情感が見事でした。
この詩をロシア語に訳したのは、サムイル・マルシャーク(1887-1964)、日本でも児童文学者として知られていて「森は生きている」なんかは子供の頃読まれた方もおられるのでは? もともとショスタコーヴィチはパステルナークの露訳した詩だけに曲を付けるつもりだったようですが、マルシャークの見せたこのバーンズはじめいくつかの詩も心に響いたのか、結局マルシャーク訳の詩4編にパステルナーク訳の2編でこの歌曲集を作っています。
なおマルシャークの場合、かなり大胆に原詩を翻案していることが多いようで、原詩とロシア語詩を比べてみるとかなりイメージが違います。
この「ジェンニ」は比較的ロシア語が難しくなかったのでロシア語詩の方にできるだけ近く訳してみました。それで並べている”Comin thro' the rye”とは対訳になっていませんがそれはご容赦ください。なおロシア語詩自体はマルシャークの著作権にひっかかりそうなので掲載しておりません。
この歌で一番印象的なのは伴奏の可愛らしくもおどけた高音部。ピアノでも高いキーがピコピコとなるのが印象的ですが、彼が行った管弦楽編曲では(Op.62a&Op.140)ではヴァイオリンのソロでこれが表現されていて面白い響きです。もともとこの曲、バスのための歌ですので、重い声とこのきらめく伴奏との掛け合いが絶妙なのです。このあたりはコンサートマスターの腕の見せ所でしょう。なんだかマーラーの歌曲のようにも聴こえるキッチュさが好ましいです。
この曲、ピアノ伴奏ではレイフェルクスの歌ったもの(Koch)、クズネツォフが歌ったもの(Delosの歌曲全集)が今でも聴けるようですが、管弦楽伴奏のディスクはAmazonなどを見ても現在容易に入手できるディスクはほとんどないようです。もっともChandosから3/21に新譜がリリースされるようですのでこれは楽しみなところ。アブドラザコフのバスに、ジャン ナンドレア・ノセダの指揮BBCフィルハーモニックで、ショスタコーヴィチ最晩年の傑作歌曲「ミケランジェロ組曲」とのカップリングとのことです。
(2006.03.04)
最初の記事のアップから10年がたち、その間にマルシャークもパステルナークも著作権が切れましたので、ロシア語の原詩からの翻訳も掲載することに致します。ロシア語の知識は乏しいゆえ、お粗末な訳詞かと思いますがお許しください。上にロシア語対訳、今までの英語対訳は下に持って行くことと致します。
( 2006.03.04 藤井宏行 )