骨 5つの現代詩 |
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ホラホラ、これが僕の骨だ 生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらはしい肉を破って しらじらと雨に洗はれ ヌックと出た 骨の尖(さき) それは光沢もない ただいたづらにしらじらと 雨を吸収する 風に吹かれる 幾分空を反映する 生きてゐた時に これが食堂の雑踏の中に 坐ってゐたこともある みつばのおしたしを食ったこともある と思えばなんとも可笑しい ホラホラ これが僕の骨―― 見てゐるのは僕? 可笑しなことだ 霊魂はあとに残って また骨の処にやって来て 見てゐるのかしら? 故郷(ふるさと)の小川のへりに 半ばは枯れた草に立って 見てゐるのは ―― 僕? 恰度(ちょうど)立札ほどの高さに 骨はしらじらととんがってゐる |
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先日惜しくも亡くなった日本を代表する童謡・歌曲・合唱曲の大家 大中恩を追悼するには(故人に怒られるかも知れませんが)やはりこの曲を取り上げたいです。童謡やいくつかの歌曲で見せる大中の優しい表情と違って、ここでは彼のユーモアとアイロニーが実に見事に結実しているのです。
中也の詩にこんなに見事な表情をつけられるのは、私が思い浮かぶのは他には清水脩くらいしか居ません。こういうシニカルな面白い歌は彼は従兄弟の阪田寛夫とのコンビでいくつも書いていますが、中也とのコラボはおそらくこれしかなさそうで、これは本当に惜しいことではあります。
( 2018.12.10 藤井宏行 )