Sonet LXVI Op.62-5 Shest’ romansov na slova U. Raleja,R. Bernsa i Shekspira |
ソネット66 ローリー・バーンズ・シェイクスピアによる6つのロマンス |
Izmuchas’ vsem,ja umeret’ khochu. Toska smotret’,kak maetsja bednjak I kak,shutja,zhivetsja bogachu, I doverjat’,i popadat’ vprosak; I nabljudat’,kak naglost’ lezet v svet, I chest’ devich’ja katitsja ko dnu. I znat’,chto khodu sovershenstvam net, I videt’ moshch’ u nemoshchi v plenu, I vspominat’,chto mysli zamknut rot, I razum snosit gluposti khulu, I prjamodush’e prostotoj slyvet, I dobrota prisluzhivaet zlu. Izmuchas’ vsem,ne stal by zhit’ i dnja, Da drugu budet trudno bez menja. Tired with all these, for restful death I cry, As, to behold desert a beggar born, And needy nothing trimm'd in jollity, And purest faith unhappily forsworn, And guilded honour shamefully misplaced, And maiden virtue rudely strumpeted, And right perfection wrongfully disgraced, And strength by limping sway disabled, And art made tongue-tied by authority, And folly doctor-like controlling skill, And simple truth miscall'd simplicity, And captive good attending captain ill: Tired with all these, from these would I be gone, Save that, to die, I leave my love alone. |
すべてに疲れ果て 私は死にたい 見るとうんざりするのだ 貧乏人が苦しみ そしてお気楽に 金持ちが暮らしていることを そして信頼が 混乱に陥れられることを そしてまた見ると 無神経がのさばり 乙女の名誉がどん底に転がり落ち そして知ることで 完璧さは達成されず 見ることで 力が弱さのうちに囚われ そして思い起こすことで 思索は口をつぐみ 理性は愚か者どもの冒涜に破壊され 率直さが単純さと決め付けられ そして善が悪に仕えるのを すべてに疲れ果て 私は一日たりとて生きられぬ だが 友は苦しむだろう 私なしでは すべてのことにうんざりして 私は死んでしまいたくなる 優れた人が乞食のように扱われ 取るに足らないやつが派手に着飾っているのをのを見るにつけ そして純粋な信頼が不幸にも裏切られたりするのを 見せ掛けの名誉が恥ずべくも重んじられたりするのを 乙女の美徳が荒々しくも踏みにじられたりするのを 正しき完全さが無残にも打ち棄てられたりするのを 無能な権力が飛躍を妨げたりするのを 芸術が権威によって口を塞がれたりするのを 能無しが学者面して学問を仕切ったりするのを 単純な真実が馬鹿にされたりするのを 捕らわれた善が悪の親玉に奉仕させられるのを見るにつけ すべてのことにうんざりして、これらすべてにおさらばしたい 死んで愛する人をひとり残すことになるのでなかったのなら |
ショスタコーヴィチがシェイクスピアのソネットに曲を付けていた、というのもロシア歌曲を今回いろいろと調べていく中で初めて気が付いた事実ですが、それよりももっと興味深かったのはこの詩をロシア語に翻訳したのが「ドクトル・ジパゴ」で知られたソビエトの反体制作家&詩人ボリス・パステルナークであったことです。
調べてみるとパステルナークは外国語が堪能で、ゲーテの「ファウスト」やヴェルレーヌの詩、そして幾多のシェイクスピアの戯曲などをロシア語に翻訳していたということで、今でもロシアでは彼の翻訳によるシェイクスピア劇の上演がなされるのだとか。そんな中でシェイクスピアのソネットもこの66番を含め何篇か翻訳していたようです。ちょうどショスタコーヴィチが党の批判によって何度もクラシックの作曲活動から「干され」、映画や舞台の音楽で糊口をしのがなければならなかったように、反体制の烙印を押されたパステルナークもまた自らのオリジナルの創作でない、こんな感じの内職をせねばならなかったということでしょうか...
しかし、あまたあるシェイクスピアのソネットの中からこの66番を選び出して曲を付けたショスタコーヴィチの真意や如何? この曲は1942年の作曲だといいますからまさにスターリンの治世のさなか、歌詞の内容の端々にとても意味深いものを読み取ってしまうのは私だけではないはずです。Captain ill(悪の親玉)なんてスターリンのことをまるで言っているかのようです。この曲を含む「イギリスの詩人による6つのロマンス」、他にも非常に興味深い詩と音楽の組み合わせばかりなので、これから順に紹介していくことにしましょう。全体的に彼のアイロニーが見事に出た面白い歌曲集なのですが、このシェイクスピアのソネットに付けた曲は非常に真面目な音楽。滔々としたロマンスがゆったりと歌われます。この歌曲集には作曲者自身により管弦楽伴奏に編曲されたものもありますが、この曲はピアノ伴奏の原曲の方が映えると思います。スキギンの表情溢れる伴奏に乗って朗々とした美声で歌われるレイフェルクスの歌(Koch)が実に見事。
ロシア語の歌詞も読みましたがこれから訳すのは私の手に完全に余りますし著作権も問題となる可能性があるので(パステルナークは1960年没)、彼がどう訳したのかを知りたい気持ちを引き摺りつつもここではシェイクスピアの原詩より訳すことにしました。もっとも英語からでもこの翻訳は難物です。邦訳もいろいろ調べてみましたけれども全然違う意味の解釈がそこかしこにあって(例えば第1連の2行目を「素晴らしい人が乞食のように扱われ」という解釈と「乞食のようなヤツが幅を利かせ」という2種類の解釈が、また第2連の1行目は「素晴らしい栄誉が間違った人に与えられ」か「上っ面の栄誉が重んじられ」の2つの解釈がありました)困ってしまうところです。ちらちらとパステルナークのロシア語に目を配りながら、そちらのニュアンスに近い方を選んでみました。しかし読めば読むほどこれはスターリンに対する露骨な当てこすりに思えます。あの問題の書「ショスタコーヴィチの証言」(ヴォルコフ著・中公文庫)と併せて読み、そして聴いてみてください。たとえこれが偽書であったとしてもショスタコーヴィチの本心はこういった歌曲の詩の選択の端々に現れてきているように私には思えてなりません。
この曲は彼の音楽を理論的に支え、逆境にあっても陰に陽にのサポートを惜しまなかった親友の音楽学者イヴァン・ソレルチンスキイに献呈されています。が奇しくもこの2年後、彼は42歳の若さで疎開先で亡くなってしまいます(彼の追悼にはピアノ3重奏曲第2番が書かれました)。まさにこのソネットの最後の節の文句のように、ひとり残されたのはショスタコーヴィチの方だったのです。その意味でも因縁の歌曲ともいえましょう。
(2006.03.03)
最初の記事のアップから10年がたち、その間にマルシャークもパステルナークも著作権が切れましたので、ロシア語の原詩からの翻訳も掲載することに致します。ロシア語の知識は乏しいゆえ、お粗末な訳詞かと思いますがお許しください。上にロシア語対訳、今までの英語対訳は下に持って行くことと致します。
( 2006.03.03 藤井宏行 )