Khoroshaja zhizn' Op.79-9 Iz Jevrejskoj Narodnoj Po`ezii |
良い暮らし ユダヤの民族詩より |
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この広い畑のことを、友よ 俺は歌にはしなかったのだ、あの苦しい年月には 俺のために畑が実ったのでも 俺のために露が落ちたのでもなかった時には じめじめとした暗い地下室のようなところに 俺はかつて暮らし、貧しさに苦しんでいたのだ 地下室からは悲しい歌しか湧き出さない 俺の悲しみや苦しみの歌しか コルホーズの川よ、楽しく流れろ 俺のあいさつを 友達に早く伝えてくれ 伝えてくれ 、コルホーズには今、俺の家があって その窓辺には花咲く木々があることを 今、畑は俺のために色づき ミルクやハチミツをたっぷりくれる 俺は幸せだ、だから川よ、友達に言ってくれ このコルホーズの畑のことを 俺は歌にするのだと |
直前のどん底に落ちていくような歌から一転して、テノールのソロによって歌われるやすらかな歌が現れます。ロシアンロマンス、というよりは昔のロシアの歌謡曲のような穏やかな、しかしちょっとキッチュな感じのメロディなので、もしかしたらこの曲にも隠されたメッセージがあるのかなあ、などとここでも穿った聴き方をしたくなったりもしますが、まあ深読みはやめて素直に音楽を楽しみましょう。ショスタコーヴィチも内職の映画音楽ではこんな感じの歌謡曲っぽい主題歌をたくさん書いていますから、こんな雰囲気を描くのはお手のものだったのでしょう。
それでも「昔の地主様のために働いていた時代から、今や集団農場(コルホーズ)に変わって俺はとても幸せだ」、というメッセージは次の曲にも現れてきますが、今やロシアでもほとんど消えてしまった(と思う)集団農場が推進されたのはこのスターリンの時代であったことは注目しておいても良いでしょう。帝政ロシア時代のユダヤ人たちはとんでもなく不幸だったけれども(1〜8曲)、スターリン様の時代になって私たちもこんなに幸せです(9〜11曲)という意図的な構成なのでしょうか。
そういえば彼の交響曲作品でも、エンディングが悲劇的におわる第8番や第10番などはけっこう物議をかもし、逆に壮大な長調で華々しく終わる第5番や第7番などのウケが当時のソヴィエトでは(権力者にも大衆にも)良かったという事実は、もしかするとこの政治的に非常にデリケートな歌詞を持つ歌曲集を作るに当たっても彼の頭をよぎったのかも知れません。
かといってこれら最後の3曲が音楽的に陳腐であるというのでは決してないのですけれども...
( 2006.03.01 藤井宏行 )