Zima Op.79-8 Iz Jevrejskoj Narodnoj Po`ezii |
冬 ユダヤの民族詩より |
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おれのシェインドルはベッドの中で 病気の子供と一緒に寝てる 冷え切った小屋にはたきぎのかけらもなく 風は壁の向こうで唸っている ああ 寒さと嵐が戻ってきた もう黙って耐える力もない 叫べ、泣け、子供たちよ 冬が再びやってきたぞ ああ |
「ユダヤの民族詩」のクライマックスともいえるのがこの曲です。11曲からなる歌曲集の8番目のこの曲が暗く悲しい歌の最後で、これからあとはささやかな幸せを伝える歌が3曲本当にオマケのように付いていますが、これらはまるで辛く苦しい歌ばかり取り上げて、いろいろなところから目を付けられることを逃れるカムフラージュのようにさえ聴こえます。それほどこの曲「冬」のインパクトは強いのです。
ここでは初めてソプラノ・メゾ・テノールの3人の歌い手が揃って歌います。テノールの歌に対してソプラノとメゾは1番の途中から冬の嵐を表すかのようなスキャットで入ってきて、そして最後はテノールと共にこの悲劇的な冬の訪れの恐怖を絶叫します。ピアノも唸るような雪嵐の描写をしていて見事。シェインドルというのは妻の名前でしょうか。目を背けたくなるような悲惨な貧乏の描写に、ロシアの厳しい冬。歌詞だけみても物凄いと私は思います。
最後の叫びのクライマックスのところの音形が交響曲第5番のフィナーレのところになんとなく似ていて、ヴォルコフの「証言」で物議を醸した、あの一見勝利の凱歌のように見せかけたメロディが、実は虐げられた者たちの絶叫だ、という説にここでも納得してしまいそうなのですが、まあこれは偶然の一致でしょう。
しかしこんな絶望的な冬の歌を聴かされると心が痛みます。聴き込み過ぎると他の冬の歌に感情移入できなくなるのが難点ですが。シューベルトの「冬の旅」の主人公に、たかが失恋くらいでそんなにいじけるもんじゃない!もっと辛い人が世の中にはたくさんいるんだぞ、なんて言いたくなってしまいますが、それをいうとドイツリートファンに袋叩きかなあ。でもこんな悲惨な民衆たちのことを愛情溢れる歌にしているのはもっぱらロシアの詩人と音楽家ばかりと言っても決して言い過ぎではないように思えます。モーツアルトやシューベルトがどんなに悲惨な晩年を迎えた、と伝記にあっても、西欧のクラシックはやっぱりお上品なお金持ちのものなのでしょうか。まあオーケストラとかオペラとか莫大に金のかかるものがたくさんありますから...
もう冬も終わってしまいますが、つらく厳しい冬の描写の傑作としてぜひ一度耳にしていただければ幸いです。
( 2006.02.25 藤井宏行 )