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Guten Morgen,'s ist Sankt Valentinstag   Op.67-2 TrV 238  
  3 Lieder der Ophelia
おはよう、今日はバレンタインデーよ  
     3つのオフィーリアの歌

詩: ジムロック (Karl Joseph Simrock,1802-1876) ドイツ
      To-morrow is Saint Valentine's day 原詩: William Shakespeare シェイクスピア,Hamlet (ハムレット)

曲: シュトラウス,リヒャルト (Richard Strauss,1864-1949) ドイツ   歌詞言語: ドイツ語


Guten Morgen,'s ist Sankt Valentinstag
So früh vor Sonnenschein.
Ich junge Maid am Fensterschlag
Will Euer Valentin sein.

Der junge Mann tut Hosen an,
Tät auf die Kammertür,
Ließ ein die Maid,die als Maid
Ging nimmermehr herfür.

Bei Sankt Niklas und Charitas!
Ein unverschämt Geschlecht!
Ein junger Mann tut's wenn er kann,
Fürwahr,das ist nicht recht.

Sie sprach: Eh Ihr gescherzt mir mir,
Verspracht Ihr mich zu frein.
Ich brächt's auch nicht beim Sonnenlicht,
Wärst du nicht kommen herein.

おはよう 今日はバレンタインデーよ
だからお日さまの出るずっと前に
私のようなオトメも窓を叩いて
あなたのバレンタインになっちゃうの

男の子はズボンをおろして
部屋のドアをあけて
オトメを入れたの
出るときはもうオトメじゃなくなったけど

サンタクロース様 愛の神さま!
なんて男はひどいんでしょう!
若い男はヤッちゃうのよ、そういうときは
本当にとんでもないヤツ

娘は言ったの「私のこと遊びだったのね
結婚してくれるっていったじゃない」
「そのつもりだったよ、本当に
お前が簡単にヤラセたりしなけりゃな」


別にもはやチョコなど貰えない中年オヤジのヒガミではないですが、そんな今の日本のヴァレンタインデーに苦い思いのあるすべての方に男性女性問わず捧ぐべくこの歌を取り上げましょう。この歌、ご存知の方は言うまでもないところでしょうがシェイクスピアの悲劇「ハムレット」の第4幕、ハムレットに捨てられた上に、父をハムレットに殺されたオフィーリアが狂気に駆られて王妃の前で歌う歌です。ヴァレンタインデーの俗説で男はこの日朝一番に見かけた娘と恋に落ちるという話を下敷きにしています。「ハムレット」といえば偉大なシェイクスピアの手になる4大悲劇のひとつであるから物凄く格調高く悲嘆と狂気を表現しているに違いないと思った方...それはちょっと浅はかです。そうではなくて、貴族の美しくも気品ある女性が恋人を失った悲劇的な歌「本当の恋人を見分ける印は何?」をしみじみと歌った直後に一転して躁状態になり、「ひとつとせ 一人娘とヤルときは」みたいなスケベオヤジの宴会芸の歌(ご存じない方ごめんなさい)みたいなのを人前で歌ってしまうところがとんでもなくショッキングなんですね。そういう意味もこめてかなりお下劣な訳を試みてみました。何ヶ所か「意図的」に誤訳をしていますが、決して私の地を出したわけではありません。「オトメ」には乙でなくて処の字をあてたやつを使おうかとも思いましたがそれではあんまり露骨なのでそこまでは...

これくらい頭の軽そうな今どきのギャル(死語)がくっちゃべっている感じの歌詞を、嘉門達夫あたりが作るようなおどけたノリのメロディに乗せて大声でガナッてこそオフィーリアの悲劇がより一層引き立つように思うのは私だけでしょうか?そうですか...

これは実際にも当時広く歌われていた猥歌か何かを戯曲の中に取り入れたもののようで(多少シェイクスピアの手は入っているようですが)、17世紀当時のシェイクスピアの舞台音楽を収録した録音では作者不詳の曲としてよく収録されています。その中でカメラータ・オブ・ロンドンがボーイソプラノのサイモン・ギレスと演奏しているもの(Meridian)は、カスタネットのような楽器も使ってフラメンコのようなえらく賑々しい歌になっていて鮮烈でした。ステレオタイプな古楽風のお上品な演奏で聴かせてくれるものが多い中、この生命感あふれる解釈は私には目から鱗でしたので、それもあってこんな翻訳をしてみたのですけれども。

この詩に付けたクラシックの曲には意外とイギリス人の手になるものがありません。有名なものでは独語訳でまずブラームスのが思い当たりましたが、彼は本質的に真面目なのかそういうお下劣さを微塵も感じさせない曲を付けていました。また英語のオリジナルの詞に付けたものではイタリアからアメリカに移住したカステルヌオヴォ=テデスコのものが聴けましたが、こちらも悲劇性を強調した真面目なもので(メロディはとてもきれいですけれども)ちょっと違う感じです。
「下品な」というだけであれば、ショスタコーヴィチの劇音楽「ハムレット」のオフィーリアの歌が場末酒場のキャバレーソングみたいでかなり凄いですけれども、これはオフィーリアを初めから下品な女という設定にしていて、オフィーリアの死も酔いつぶれて溺死しちゃったみたいな演出なので、私の求めるものとは少々違っています。
あんまりそういう下品な感じは出ていないのでちょっと残念ですが、とてつもなくキレちゃっていて面白いなあ、と思ったのがこのリヒャルト・シュトラウスのものでした。物凄い早口でこの物語をまくし立てています。3つのオフィーリアの歌(op.67)の第2曲ですが、1曲目の「本当の恋人を見分ける印は何?」が恋人を失くした浸りこむような悲しみと喪失感が溢れているのと好対照をなしています。そしてこれをうける第3曲「あの人は棺に入れられた」は更に激しくキレていて怖いほどですが、これはぜひ聴いてみる価値があります。CDではフェリシティ・ロットとかドーン・アップショーなどの芝居巧者の録音や、グレン・グールドのピアノ伴奏(2種類あるみたいですね。1つはシュヴァルツコップの歌!)みたいな興味深いものがいろいろとあるみたいなのですがこれらは残念ながら聴いていないので、他の手持ちの3枚をご紹介します。
1枚はShakespeare's Kingdomというアルバムで、メゾソプラノのサラ・ウォーカーがシェイクスピアの戯曲の歌に古今の作曲家たちが付けた曲をいろいろ紹介しているもので、ブラームスの付けたこの曲(独語訳はシュレーゲルという別の人です)も比較できるように聴けてなかなか楽しいです。以前プーランクの「恋する心」〜ヴェニスの商人より を取り上げましたが、こんな感じでシェイクスピアの詩に付けたベルリオーズやブリテンなど異色の作曲家たちの歌がいろいろ聴けるのは貴重。ただしっとりしたメゾの声のせいかこの曲もあまりキレている感じはありません。
もう1枚はルチア・ポップの歌った「ユーゲントシュティール時代の歌曲集」、シェーンベルク、ベルク、プフィッツナー、シュレーカーといった作曲家たちのロマン派の極限のような曲に混じってこのR・シュトラウスからも何曲か取り上げており、この中に入っていました。彼女の力強い声で聴くと確かにキテいる感じは強く出て面白いですが、やはり彼女の人柄かそんなに生々しさは感じません。ほんのりとした温かみもあるかと思えば、ガラス細工のような精緻な美しさも感じます。
意外や意外、一番この曲の底知れぬ怖さを感じさせたのは白井光子さんのもの。彼女のR・シュトラウスもしっとり系ですし、この曲も全然キンキン歌っているわけではないのですが、なぜかとんでもない凄みです。ほんのりと地声も交えているからでしょうか。あるいは狂気を表現する芸の力が物凄いからでしょうか。
曲のイメージからいうと非常にソプラノに合っている歌なのですけれども、このはまり方はただ事ではありません。
彼女のR-シュトラウス歌曲集、この曲のようにあまり取り上げられない中期以降の歌もいろいろと取り上げられていて、非常に興味深いです。「商人の鑑」なんてこの録音で魅力を知ったようなものです。抜粋なのが残念。


一応英語の原詩もつけておきます。これだってけっこう凄い言葉が並んでいるじゃないですか!!!
けっして私だけがお下劣なわけじゃないんです!

To-morrow is Saint Valentine's day,
All in the morning betime,
And I a maid at your window,
To be your Valentine.

Then up he rose, and donn'd his clothes,
And dupp'd the chamber-door;
Let in the maid, that out a maid
Never departed more.

By Gis and by Saint Charity,
Alack, and fie for shame!
Young men will do't, if they come to't;
By cock, they are to blame.

Quoth she, before you tumbled me,
You promised me to wed.
So would I ha' done, by yonder sun,
An thou hadst not come to my bed.

明日は聖ヴァレンタインの日
まだ朝、寝ているうちから起きだして
私、乙女もあなたの窓辺
あなたへのヴァレンタインになりにきたの

彼は起き出して 服を着て
部屋のかんぬきを開いたわ
乙女を入れて、そして出す
もう乙女じゃなくなったけれど

イエス様、愛の神様
ああ、なんてひどいんでしょう!
若い男はやっちゃうのよ、できるときならいつだって
責められるべきことなんですけれど

娘は言ったわ「私を転がす前には
あなたは結婚してくれるって言ったじゃない」
「そのつもりだったよ 本当さ
お前がベッドにこなけりゃな」

この詩の日本語訳では坪内逍遥の訳が河竹黙阿弥の歌舞伎風のテイストを醸し出していてとても面白かったです。その後の日本の代々の翻訳者の方々もそれぞれに工夫をし、皆面白い歌に仕上がっています。坪内訳を書いて終わりにしましょう。

  あすは十四日バレンタインさまよ、
  門へ行こぞや、引明方に、
  ぬしのお方になろずもの。
  それと見るより門の戸あけて、
  ついと手を取り引入れられたりゃ
  純潔(うぶ)の処女(むすめ)ぢゃ戻られぬ。

  ほんに思へば、思へばほんに、
  なんぼ殿御の習ひぢゃとても、
  そンれはあんまりどうよくな。
  わしを転ばすッィ前までは
  きッと夫婦(めおと)というたぢゃないか、
  と怨む女子(おなご)に無情(つれな)い男。
  おれも誓文その気でゐたが、
  一夜(ひとよ)寝て見て気が変はった。

( 2006.02.10 藤井宏行 )


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