兵隊さんの汽車 |
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このサイトでも、古関裕而の「とんがり帽子」を取り上げておりますし、この曲の初演者でもある先日亡くなった歌手の川田正子さんのことにちょっと触れておきたくなりました。そこで彼女の歌った歌の中からひとつ取り上げることにします。blogなどを検索しているとけっこうな数の思い出話も交えた追悼記事がUPされていて、意外とお年を召された方も熱心にブログをされているんだなあ、と全然関係ないところに感動したりもしてしまいました。
私は川田さんが童謡歌手として大活躍していた戦中・戦後すぐの時代などは全く知りませんから、彼女の童謡歌手としての歌声(SP復刻)を聴いたのは懐メロを探訪しだしたわりと最近のことに過ぎません。ただそれよりも前から大人になった川田さんの歌声は実は録音で聴いていたりしたのです。というのも子供のために買った童謡集(Columbia)に彼女のはつらつとした歌声が児童合唱団と一緒にたくさん収録されていて、親子共々耳にタコができるほど繰り返し聴いていたりしておりましたもので。それは彼女だけでなく様々な歌手によって歌われた童謡のコンピレーションだったのですが、不思議と「里の秋」や「お山の杉の子」、「とんがり帽子」など少女時代の彼女に縁の深いものはほとんど彼女によって歌われるように取り計らわれておりました(あとで気付いたことですが)。
はつらつと明るいその歌声は、これらの歌の過去に引き摺ってきた影をまるで感じさせない素敵なもので、うちの娘も大変気に入ってか「おいらはげんきー(とんがり帽子)」とか2~3歳のころはよくマネして歌っていたものです。
そんな中、どうしても昔から違和感があったのが「汽車ポッポ」(作詞:富原 薫 ・作曲:草川 信)、彼女はここでも楽しげに歌ってくれていますが、どうもメロディと詞がチグハグですし、「スピード スピード 窓の外」だとか「鉄橋だ、鉄橋だ、うれしいな」とかなんとも稚拙な感じのする歌詞はどうにもなじめず、私の好きな童謡作家・草川信の作品にも関わらず子供の頃からこの曲だけはあまり好きになれなかったのです。
このサイトで日本の近代史の歌を探訪していく中で知ったのは、この曲が「お山の杉の子」と同様、戦後歌詞を変えて生き残った戦争の影を背負った歌であること。
昭和14年にこの曲が作られたときには「兵隊さんの汽車」という歌で、私がなじめなかった歌詞の部分はすべて、「僕らも手に手に日の丸の」であったり「兵隊さん兵隊さん万々歳」であったりしたのでした。彼女・川田正子のデビュー曲(昭和17年)でもあったとのことです。
敗戦後、この曲がなぜ「汽車ポッポ」として生まれ変わり、現在に生き延びることができたかはあちこちで詳しく紹介されていますのでここでは触れませんが(「兵隊さんの汽車」で検索ください。この歌詞も含め容易に見つけられると思います)、彼女の歌も含めてオリジナルの「兵隊さんの汽車」は歴史の彼方へと忘却されていくのでしょうか。
歴史の生き証人たる人々がこうして次々と世を去っていく中、もう一度掘り起こして歌にしても決して間違ってはいないと思います。
「童謡の謎」とかいろいろ本を出している歌手の合田道人さんが昨年の夏出した本「本当は戦争の歌だった 童謡の謎」にはCDが付いていて、彼がこの「兵隊さんの汽車」を歌っていました。まだ我々やより下の戦争を知らない世代にはトリヴィアな知識ですが、こういう歌が子供たちによって愛唱されていた、ということの意味を考えるためにも決して「なかったこと」にだけはしたくないものです。音にしてくれた合田氏の勇気を讃えたいと思います。そしてある意味、子供時代を歴史に翻弄された川田さん、それでも彼女の童謡の歌声は私の娘の世代にもしっかりと聴き継がれていることを記して追悼としたいと思います。
もう少し大きくなったら、娘たちにも戦争と子供たちのことをきちんと語ってやらなければなりません。
( 2006.01.29 藤井宏行 )