歌劇場ガイドツアー
9月8日(月)
5:00 ザルツブルグ 通過 5:30 リンツ 通過
6:30 朝食
7:40 Wien West 着 Wochen Karte を買う(8日間有効)
8:00 Wien West 発 U6 地下鉄
8:10 4つ目の駅 Alser Strasse 到着
8:30 短期滞在アパート ヨハンシュトラウス着 荷物を広げる
10:30 44番トラムにて Bergsteiggasse→Shottentor
11:00 国立歌劇場まで歩く ショップ・アルカディアを物色
チケット売り場で11日、12日の発券をしてもらう
13:00 カフェ ディグラス に入る
15:00 国立歌劇場 のバックステージ見学ツァー参加
16:00 Oper からトラム1→44 Shottentor→Bergsteiggasse
17:00 宿に帰る
19:00 夕食の準備
20:30 シャワー
テレビを見ながらいつの間にか寝ていた
今回まだ行った事がないウィーンで一週間滞在することに決めスケジュールの大枠は作りました。ウィーンではシェーンブルン宮殿で一日、ヴァッハウ渓谷クルーズで一日は決めていました。また事前に Net で Staatsoper と Volksoper で Opera,Operetta を一回ずつ見ようとチケットを予約していました。その日は昼間はあまり疲れるような予定は入れないようにしようと考えていました。それ以外は決めずにハイリゲンシュタットとグリンツィングの散策、音楽家たちのお墓巡り、リンク内外名所散策、国立歌劇場ガイドツアー等々の情報は一応集めていました。ウィーンと言えば美術館巡りや建築物を巡るのも好きな人にはたまらない魅力があるそうですが、私達はあまりこの方面は興味が薄いのでその代わりに、ウィーン市内にある音楽家たちの記念碑・記念館・記念銘板を探し歩く散策し、その道すがら名所があれば立ち寄る案も考え、事前調査をしておきました。
参考にしたのは、次の情報です。
【A】 雑誌"Grand Opera"Vol.25(2000年11月1日号)の記事
「ウィーンをオペラ的に歩く」(奥田佳道氏執筆)
【B】 Internet Site " ウィーンの迷い方" (曽我大介さん)
【C】 Internet Site "音楽史跡とオペラの旅"
結局、現地で決めたのは「音楽家たちのお墓巡り」、「音楽関係の記念館をいくつか見学」、「記念銘板探し歩き」でした。(H)
国立歌劇場バックステージツァー

ドイツ語、英語のガイド以外は毎日有るわけでは無く、日本語は月曜日、または水曜日の午後3時からしか有りません。観光、見学など色々考え合わせて、少しきついかも知れないけれど、ウィーンに着いた8日(月曜日)に行く事に成りました。その日はかなり他の国の方も多く入り口はごった返していました。
この日の日本語ガイドの見学客は50人ほどいて「今日は日本人の方が一番多いです」との事。ガイドは日本語であっても日本人ではなかったのですが、随分流暢な口調で、「至らないところはご容赦下さい」など言われると、日ごろ使わない言葉に恐れ入ってしまいます。
彼の最初の注意は「見学の人が多いので、皆様、私から離れないようして下さい。でないと中は迷路のように成っているので迷子になると大変です」との事。確かに見て回った限りでも入り組んでいるので、紹介されないところだと出られなくなるかもなどとオペラ座の怪人を想像したりしてしまう。写真も撮りたいし、列にはぐれないようにとみんな大変です。おまけに途中でイタリア語、スペイン語のガイドツァーと入り混じって大混雑。
この劇場も戦禍にあい、復興のため多くの人の力を得て此処まで来たとの事。元の古いままのところと、新しい所がはっきり分かれています。
ホワイエにはこの劇場に関連した、作曲家などのモニュメントも有ったりして、どっしりと威厳に満ちています。
復興して初めて演奏されたのがベートーベンの「フィデリオ」だったと聞いて国立歌劇場復興50周年のガラコンサートの時の最初の演奏がフィデリオだったのが納得出来ました。
舞台では夜に上演される「セビリアの理髪師」のセットの組み立ての真っ最中。舞台は正面から見るより奥行きがずっと広く歌舞伎などの舞台で知っている"奈落"も含めると6つの場面を組み立てる事が出来るそうです。期間中何度か同じ演目があっても、連日同じ演目は無かったようですから、あらかた組んであるセットを毎日本番用に組みなおすのは人手と時間と大変な作業に見えました。でもみんな楽しそうに作業していたように見えました。舞台下手のブースにはあとから思えば「運命の力」のセットが分解されて置いてありました。このセビリアのセットですが見た途端、あれっ?何処かで見たような?と感じました。思い出したら、1980年頃のセビリア(グルベローバ、ハンプソン出演のもの)のセットに似ている気がしたからです。
後でこうしたセットは使い回しをするのですか?と質問したのですが、あまり昔の事は知らなそうな若いガイドさんはすぐ意味が解からなかったようです。でも後から同じ演出の時にはそういうことも有ると言っていました。家に帰ってから、しつこくその映像を見直したら英世からも酷似していると同意を得ました。衣装などが正面入り口に展示して有ったので、いわゆる衣裳部屋を見たいと思いましたが、この劇場内には設置されていないのだとか。近くのビルに在るそうです。残念!(Y)

ガイドツアーの案内はHerbert von Karayan platz とは反対側です。そこに本日のガイドツアーの開始時刻が案内言語ごとに表示がでます。この日は月曜日だったので費用は5ユーロです。その他の日は6.5ユーロです。なぜかと言うと月曜以外は演劇博物館の入場もセットの券です。月曜は博物館が休みのためツアーのみの券です。まあこちらだけで私達は十分です。(H)
寝台列車
ブレゲンツからウィーンへの移動は憧れの寝台列車です。ブレゲンツを 21:44 に出発して Wien West に翌朝7:40に到着の10時間を越える長旅。これも切符はネットで購入してあったのですがいろんなタイプが有って、4人部屋、2人部屋、部屋の設備もトイレ、シャワー、食事など細かく分かれています。私達が購入したのは2人部屋で、シャワーもトイレも朝食も付いた豪華版!です。トイレの為に部屋を出る必要が無いのはとてもありがたいと思いました。ただシャワーは一人がやっとたっていられるくらいの筒型なので、それは使ってみようという気は全く起こりませんでした。以前同じタイプに乗った経験の有るお友達も「さすがあれでは使えないよね〜」と言っていました。
部屋全体は随分狭いのですが、それでもこの中にこんなに多機能な設備が満載しているのかとびっくりです。私達の部屋は階段を上がる2階。階段を下りて入る1階との2階だてになっています。もとより、列車の音自体が結構うるさいので、隣近所の個室の音は殆ど気になりません。
寝台は175cmの英世でも十分足を伸ばして寝られます。でも寝たり起きたりと体を移動させるときには気をつけないとあちこちにぶつかりますので、少々ご用心!。それと、線路が進行方向に対して右にカーブしていると、頭が下に下がるときがあって、ちょっと変な感じが有り、熟睡するところまではいきませんでしたがわくわく楽しかった寝台列車の初体験です。
その割には駅で止まった認識は少なく、朝方のザルツブルグ、リンツ辺りからホームなどの様子に目を向けました。降りる1時間ほど前に予約してあった通りの朝食が運ばれてきます。容器こそ愛想の無いものですが、列車の中で果物まで食べられるとすごく嬉しくなってしまいました。

定刻にウィーン西駅につきました。地下へ降りてU3の駅の横に U-bahn の Info があります。そこで一週間定期を買いました。色々調べてこれが一番得だと思います。一週間ウィーン市内のバス、トラムが乗り放題です。これを手にU6に乗りアパートに向かいました。(Y)
チョコッと観光
今日のメインは歌劇場ガイドツアーです。15時からというのは事前に分かっていました。特に目的地もなく、これから何回も通う事になるアパートから旧市内への交通の確認も兼ねて出掛けます。Schottentor からリンクの外側を反時計回りに歩きだします。Wien 大学を横目で見ながら通り過ぎて緑の公園に入ります。市庁舎公園 Rathaus Park です。
市庁舎 | | ブルグ劇場 |
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公園の中央まで来ると出店が占拠しています。丁度ここで毎夜 Film Festival が開かれている最中です。市庁舎の前には巨大なスクリーンとその前に多数のイスが設置されています。そのスクリーンを避けて市庁舎の写真を撮りました。見事な市庁舎です。写真も上手く全貌が入りました。実はまだこの左右に建物が続いています。180度向きを変えると又立派な建物が見えます。ブルグ劇場です。演劇の殿堂で、中はさらに素晴らしいらしい。
J.Strauss & J.Lanner 像 | | 国会議事堂 |
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市庁舎公園の中をさらに進むと端の方に二人並んだ立像があります。Johann Strauss と Josef Lanner の像です。市庁舎公園を出ると次に見えてくるのは白亜の巨大な建物です。これは写真に入りきりません。国会議事堂です。建物のあちこち工事中です。リンク沿いに歩きながら、あっマリア・テレジア、ゲーテだ、シラーだ、モーツアルトだ、後で見に行こうと思いつつ国立劇場まで来ました。実はカメラの電池がかなり少なくなってきたので、歌劇場ツアーに備えてカメラを使用禁止にした次第です。
(H)
2008.10.15