競馬回想


中央競馬、思い出レース、対決レースを記憶だけで振り返る



[2001年1月21日]

有馬記念の2年連続の死闘まず最初と言う事で、一番強烈に印象に残っているレースは有馬記念2年連続鼻、首の差で勝負が決まったスピードシンボリとアカネテンリュウの死闘であります。 スピードシンボリは7歳で海外遠征帰り初戦で人気の盲点になり、アカネテンリュウは4歳馬で菊花賞を勝ち上がって来ての対決です。アカネテンリュウはダービーまでは条件馬であったが夏の札幌競馬で力をつけセントライト記念と菊花賞を勝ち上がり昇り竜の勢いで有馬記念に挑戦してきたのです。その年の5歳馬はタケシバオー、アサカオー、マーチスの3強であったがタケシバオーはワシントンDC挑戦で体調を崩し有馬記念には出場してきませんでした。 レースはスピードシンボリは内コース中団位置しアカネテンリュウは後方待機で何時仕掛けるかとタイミングを見計らっています。そして4コーナー外からアカネテンリュウが追い上げて来て、すかさずスピードシンボリは内の空いた所から抜け出して2頭の叩き合いは鼻差でスピードシンボリが有馬記念を制し、翌年も同じ様な展開で直線叩き合い首差でスピードシンボリが8歳にしてその年の菊花賞馬ダテテンリュウ(牡4歳)前年の菊花賞馬アカネテンリュウ(牡5歳)を退け2年連続制したのでありました。又残念な事に最強馬タケシバオーは日本馬代表でアメリカワシントンDCに行き、長旅の疲れから体調を崩し日本に帰って調整をしましたが体調が戻らず引退する事になったのでした。今も東京ダート1700m1:41:9(60k) の日本レコードを持っております。通算成績27戦16勝2着10回3着1回着外0。



[2001年1月24日]

1969年は皐月賞を重戦車ワイルドモアが制し、ダービーは断然1番人気にタカツバキが成ったのですが、馬場は不良馬場でスタートして100m行くか行かない内に島田功騎手騎乗の断然1番人気のタカツバキは落馬と言うアクシデントに見まわれ、勝った馬は重馬場得意のダイシンボルガードがダービー馬となったのであります。又まだダイシンボルガードがゴールを切っていないのに厩務員は馬場に出て旗を振った出来事もありました。その年の菊花賞馬はアカネテンリュウでした。
次の年の1970年は東の横綱アローエクスプレスのスピード馬に対し西の刺客タニノムーティエ の一騎撃ちの皐月賞に成り、タニノムーティエの凄まじい追い込みに軍配が上がり、ダービーでもアローエクスプレスは距離の壁に泣き、タニノムーティエの差し足に再度下されたのでした。その年の菊花賞馬はダテテンリュウでした。


[2001年2月11日]

1972年の皐月賞は関西3強馬、重戦車ロングエース、4白流星の貴公子タイテエム小兵ランドプリンスに関東馬はイシノヒカルの追い込み馬1頭が孤軍奮闘で皐月賞2着、菊花賞優勝と奮闘した年でした。ロングエースは500`以上の大型馬特有の重戦車のようなパワーで押し切るタイプ、それに対してランドプリンスは一瞬の切れ足で勝負する馬タイテエムパワーではロングエースに劣り、切れ足ではランドプリンスには劣るが四白流星で綺麗と言う印象の馬でした。イシノヒカルは前年の2冠馬ヒカルイマイに似た強靭な追い込み力を長く使える馬と言う印象がありました。



[2002年1月2日]

1974年は関西馬キタノカチドキのスピードと決め手が抜けていた年でしょう。父テスコボーイの名を高めたのもキタノカチドキが皐月賞を圧勝してからと思います。次ぎの年には女傑テスコガビーが桜花賞、オークスの2冠を圧勝し、翌年はトウショウボーイが皐月賞を取り、テスコボーイの黄金時代に入ったのでした。3頭に共通する事はスピードと決め手が桁違いであった事でしょうか。後に最強馬シンボリルドルフが現れましたが、それまでの最強世代はトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスなどの世代だと思います。特にトウショウボーイとテンポイントの対決は2年連続で1,2着をマッチレースのようなレースで分け合った有馬記念は他馬との力の違いを見せ付けたレースだったと思います。