=北関東における典型的地方都市=
「宇都宮市」の空襲にみる地方中小都市の空襲の実態(1)
宇都宮平和祈念館をつくる会事務局長 大野 幹夫
関東平野を北西から南東にかけて横切り太平洋に注ぐ利根川は「坂東太郎」の異名を持ち日本最大の流域面積を持つ大河である。この川を境にその北側を占める茨城・栃木・群馬の3県が広がる地域を一般的には北関東と呼んでいる。(埼玉県を含め関東地方東京以北4県の広域の総称でもある。)
この地方には戦国の世以来、大藩が形成されることなく肥沃な大地と山水の豊かな自然のめぐみのなかで、個性豊かな魅力ある数多くの中小都市をそだてあげてきた。太平洋戦争戦時期には広大な平野を舞台に、宇都宮師団や霞ヶ浦海軍航空隊など数多くの軍事施設、また太田の中島飛行機など軍需工場が北関東一帯の諸都市に集積し、軍需物資供給基地ならびに首都防衛の機能としての役割を果たしていた。そのような北関東の風土的典型を示す、太平洋戦争終結期における北関東の中小都市の一つとして宇都宮市の空襲を考察してみる。
平均的地方都市「宇都宮」の概要
宇都宮市は栃木県のほぼ中央、東京から約100キロ北に位置した栃木県の県庁所在地、現在人口50万7,671人(2007年11月現在)の中核市である。古来奥州地方への陸路の分岐点でもあり関門でもあった宇都宮は、街の中心に位置する下野の国一の宮、二荒山神社を中心に栄えた門前町として、また城下町としての機能の中で栄えてきた。戊辰戦役で街は全焼し一時的に衰退するが、県庁の設置、東北線の開通、第14師団司令部の設置等により急速な展開をみせ、商工業都市としてまた北関東を統帥する軍都として北関東を代表する平均的地方都市としての再興を果たす。
現在においては人口50万余の北関東最大の都市であるが、太平洋戦争末期(昭和20年)の空襲当時の人口は約8万5,000、ほかに軍隊や中島飛行機製作所や各和製作所、関東工業など軍需工場に従事する人口を含めると10万人強であり、昼間人口は12.3万と見られ、北関東における平均的地方都市であった。
宇都宮空襲前後の人口動態は次表の通りである。
(「戦災当時宇都宮市事務概況」による。昭和21年5月10日現在)
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人 口 |
世帯数 |
戸 数 |
| 現在(21年5月10日) |
87,636 |
18,807 |
15,822 |
| 戦 災 前 |
103,473 |
21,978 |
18,029 |
| 戦 災 直 後 |
75,350 |
17,399 |
9,407 |
| 罹 災 |
47,976 |
10,603 |
8,622 |
当時の宇都宮の市域は、18平方キロメートル弱であり、小規模な市域だった。
| 昭和の20年戦災時の宇都宮市の市域 |
18.4平方キロメートル |
| 昭和29年(昭和の大合併)の市域 |
312.16平方キロメートル |
| 平成19年4月(平成の合併)の市域 |
416.84平方キロメートル |
| ● 宇都宮空襲の犠牲者の数は平成19年合併以前の市域での数字 |
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