近世の諸街道

  データの収集

 街道の位置情報の点数は、地図をズーム16のレベルにクローズアップした場合にルート表示が道路とおおむね一致することを心がけました。同じデータをGoogleマップと国土地理院地図で表示するとずれが生じることが多くありますが、データはGoogleマップに合うようになっています。もっとも地理院地図でのみ見ることができる小径などは、それから得たデータがそのまま用いられています。
 なお東北沿岸地方は震災後の復旧の中で旧い道路が失われているため、表示が現状とずれている可能性がありますが、過去の経路を表示することにも意味があると考え特に現状と合わせることはしていません。
 データの収集はWeb上のhp、ブログなどを優先し、ついで各県教委「歴史の道調査報告書」その他の成書、最後に明治期の地形図によりました。なお明治期地形図の参照に当たり、「今昔マップ」(埼玉大 谷研究室)も力になりました。
 データソースはWebの場合は表示していませんが、作者が適宜取捨選択したため責任はすべて作者にあると考えたためです。しかしとりわけ全国を広く踏破された方々の街道や街並みのサイトには多大の恩恵を受けていることを書き添え、謝意を示させていただきます。

  見方

 街道が確定していると考えられる部分は青色で表示されていますが、推定にとどまる部分は緑色にしています。緑色部分は現在ほとんど利用されていない場所と思われますが、この区別は徹底しているわけではありません。幾分恣意的になっています。
 「宿場」ボタンをクリックすると区間の宿場が全体として表示されますが、さらに各宿場のアイコンをクリックするとその宿場の位置がズーム16のレベルで表示されます。
 その宿場が自治体またはそれに準ずる組織によって景観の保存、PRがされている場合は、アイコンは黄色になっており、フラグ上に関連hpが表示されます。またストリートビュー用アイコンを操作することで、宿場の現況を見て回ることができるでしょう。
 なお重要伝統的建造物群保存地区、歴史の道百選選出場所なども特別なアイコンで示しており、可能な場合は直接ストリートビューで見ることができます。
 街道各区間の位置情報は、kmlの圧縮ファイルとしてダウンロードできるようにしてありますので、解凍後たとえば国土地理院地図上にDropして編集モードにしますと、加工修正が可能になります。

  内容

 近世諸街道の位置および関連情報をGoogleマップ上に収集表示しています。街道などの実地調査や歩行記録は、都道府 県教委の「歴史の道調査報告書」をはじめとして、多数に上りますが、これらの位置情報をまとめてみたものです。あわせて旧時の景観が比較的残っていると思われる街区のストリートビューを見られるようにしました。
 街道は大名の参勤交代に利用されたものを中心として、主要と思われる民間交通路を織り込んでいます。宿場は、参勤交代路は大体確定しているようですが、民間路は藩の公用に用いられる人馬の継立地から、単に要地といわれる集落まで種々のものが混在します。異論のありうるところでしょう。
 作者は、街道を歩くことを趣味とする者ではなく、歴史データのまとめ、表示に主な関心があります。データは全てネット、書籍、明治期地図を通じて収集し、それを整理し直したものですが、恐らく多くの誤りを含んでいるものと思われ、現地で確認された方々による修正と新たなまとめを期待しています。その意味ですべての街道の位置データはダウンロードできるようにしてあります。
 なお街道の名称は使用する場所によって異なるのが普通のようですが、ここではスペースの関係もあり、もっとも一般的と思われる名称のみを記し、また「街道」「道中」「往来」等の呼称については、原則として「街道」を用いました。
(最終改訂 2020年5月31日)信州街道追加、秩父街道補足など

 山陽道 山陰道


 陸前浜街道 北国街道・北陸道


 東海道 中山道 奥州街道


 米沢街道 八戸街道 野田街道 宮古街道


  • 米沢街道

  • 注)

    • 新潟県、福島県教委「報告書」を参照した。


  • 八戸街道

  • 注)

    • 青森県、岩手県教委「報告書」を参照した。「報告書」所載のルートは緑色で示した。


  • 野田街道

  • 注)

    • 岩手県教委「報告書」を参照した。「報告書」所載のルートは緑色で示した。


  • 宮古街道

  • 注)

    • 岩手県教委「報告書」を参照した。「報告書」所載のルートは緑色で示した。


 羽州浜街道 羽州街道 白河街道 越後街道 会津西街道


 秋田街道 鹿角街道 石巻街道 三陸浜街道


  • 秋田街道(雫石生保内街道、角館街道を含む)

  • 注)

    • 秋田県・岩手県教委「報告書」を参照した。


  • 鹿角街道

  • 注)

    • 秋田県・岩手県教委「報告書」を参照した。


  • 石巻街道


  • 三陸浜街道

  • 注)

    • 岩手県側は岩手県教委「報告書」、また岩手、宮城両県とも大正2年地形図(今昔マップ)を参照した。
    • 宿場は瀧本・名須川編「三陸海岸と浜街道」(吉川弘文館)によった(同書では「継所」とする)。


 三国街道 秩父街道 下仁田街道 佐久甲州街道 信州街道


  • 三国街道


  • 秩父街道(往還)

  • 注)

    • 埼玉県教委「報告書」を参照した。


  • 下仁田街道(中山道脇往還として「姫街道」ともいう)

  • 注)

    • 「今昔マップ」を参照した。


  • 佐久甲州街道

  • 注)

    • 長野県教委「報告書」を参照した。


  • 信州街道

  • 注)

    • 「今昔マップ」を参照した。


 川越街道 成田街道 房総街道 矢倉沢街道


  • 川越街道


  • 成田街道


  • 房総街道(往還)

  • 注)

    • 迅速測図(歴史的農業環境閲覧システム)を参照した。


  • 矢倉沢街道(往還)

    • 江戸~沼津    (厚木宿の古写真が残されている)


 水戸街道 甲州街道 日光街道 例幣使街道


 伊勢街道


  • 伊勢街道

  • 注)

    • 伊勢本街道保存会hpデータを参照した。


 下田街道 身延街道 飛騨街道 郡上街道


  • 下田街道

  • 注)

    • 静岡県教委「報告書」を参照した。


  • 身延街道

  • 注)

    • 静岡県教委、山梨県教委「報告書」を参照した。複数の道筋があるが代表的と思われる ものを掲げた。


  • 飛騨街道

  • 注)

    • 岐阜県側は岐阜県教委「報告書」を参照した。太田~下呂は飛騨南街道、下呂~高山は 北街道とされている。
    • 富山県側は明治末、大正初期の測図を参照した。


  • 郡上街道

  • 注)

    • 岐阜県教委「報告書」を参照した。北濃以北では「報告書」記載の推定路は緑色で示し た。


 塩の道(千国街道・秋葉街道・伊那街道・三州街道) 野麦街道


 高野街道 暗越街道 鯖街道


  • 高野街道

  • 注)

    • 「ウォーキングマップ」を参照した。
    • 町石道については「高野山名所図会」サイト地図を参照した。


  • 暗越(奈良)街道

  • 注)

    • 「ウォーキングマップ」を参照した。
    • 伊勢街道の一部とされることがある。


  • 鯖街道

  • 注)

    • 「鯖街道」(上方史跡散策の会編、向陽書房)を参照した。


 熊野街道


 京街道 西国街道 紀州街道 丹後街道 宮津街道


  • 京街道 伏見街道 鳥羽街道

  • 注)

    • 髭茶屋追分から南下するものを京街道、三条からのものを伏見街道、羅城門からのものを鳥羽街道と呼ぶ。
    • 大阪府都市整備部「歴史街道ウォーキングマップ」(以下「ウォーキングマップ」とする)、「街道の日本史ー京都と京街道」(水本邦彦編、吉川弘文館)を参考にした。


  • 西国街道

  • 注)

    • 「ウォーキングマップ」を参考にした。
    • 参勤交代の際は、大名と朝廷の接触を嫌う幕府を憚り、山崎宿と京街道伏見宿を結ぶ道が用いられたという。


  • 紀州街道

  • 注)

    • 宿場は熊野街道側のものを示した。


  • 丹後街道 宮津街道


 萩往還 石州街道 北浦街道


  • 萩往還


  • 石州街道(浜田広島街道)

  • 注)

    • 広島側は明治31年測図、島根県は教委「報告書」を参照した。


  • 北浦街道(赤間関街道北浦筋)

  • 注)

    • 下関・益田間は明治21年測図を参照した。
    • 宿場は「山口県の歴史」( )を参照した。


  • 赤間関街道

  • 注)

    • 山口県教委「報告書」を参照した。


 銀山街道 東城街道


  • 銀山街道

  • 注)

    • 島根県サイト掲載地図を参照した。
    • 福山あるいは笠岡から銀の積み出しが行われたかについて、地元は否定的である。経路 は明治31年測図を参照した。


  • 東城街道-備中路

  • 注)

    • 東城街道の重要性については竹内誠「街道ハンドブック」に記載がある。
    • 明治31年測図を参照した。


  • 東城街道-福山路 伯耆路 出雲路

  • 注)

    • 鳥取県内は教委報告書を、他県の部分は明治31年測図を参照した。


  • 東城街道-吹屋往来 高山往来

  • 注)

    • 教委報告書、明治31年測図を参照した。


 出雲街道 因幡街道 智頭街道 高梁・新見往来


 撫養街道 松山・土佐街道


  • 撫養(川北)街道

  • 注)

    • 明治39年測図を参照した。


  • 松山・土佐街道

  • 注)

    • 松山~県境は愛媛県教委「報告書」を、高知側は明治39年測図を参照した。


 大洲・宇和島街道 宿毛街道 中村街道


 讃岐街道 阿波街道 土佐北街道 土佐東街道


  • 讃岐街道

  • 注)

    • 愛媛・香川県教委「報告書」を参照した。


  • 阿波街道

  • 注)

    • 香川県側は教委「報告書」、徳島県側は明治29年測図を参照した。


  • 土佐北街道

  • 注)

    • 本山廻りのルートが参勤交代路のようであるが、現存しない。穴内川ダム以北は県道267号、ダム以南は明治40年測図に見られる里道(緑色部分)と現在の道路をつないで表示した。


  • 土佐東街道

  • 注)

    • 明治40年測図を参照した。野根山街道部分は国土地理院地図における「四国のみち」データを用いた。

    • 高知県関係全般につき、丸山雍成「高知藩における交通路と送番所」を参考にした。


 豊後街道 米良・人吉街道


 長崎・多良街道 唐津街道 平戸街道 日田往還


 日向街道 日向往還・高千穂街道 飫肥街道 薩摩・豊前街道


 宿場の光景-小田原宿


  • 戦国期(北条氏の時代)の発展

    • 城郭の拡大 氏綱以降北条氏4代にわたる拡大の様子
      町場の発展 商職人街、宿場としての発展
      城下の職業相   士庶混住の様相
  • 宿場小田原の諸相

    • 城下の構造 身分、階層による居住区分
      土地・施設等名称 戦国時代に由来するものは黄色表示
      宿場町の構成
      中心街の旅籠 ベアトによる宿場古写真 
      竹花町住民の稼業 職業相が中心街と対照的
      助郷の諸村 東海道最大の宿場を支える農村群

    注)

    • 成立が戦国以前にさかのぼる都市の内、紹介、論文が最も多い一つであり、幕末期の貴重な写真が残る宿場でもある。
    • 小田原市史、宇佐美ミサ子「宿場の日本史」、佐々木健策氏の諸論稿を参考にした。
    • 中世末期、戦国時代の様相は、最近の経済史上の論点を考える上でも参考になるかも知れない(参考、高島正憲「経済成長の日本史」)。


 街道の光景-高野街道


  • 高野街道の光景

    • 街道  神社
      寺院(真言宗)  寺院(真言宗以外)
      道標      まちなみ 
      武家関連地、城址  その他旧跡

    注)

       高野街道は航空写真から明らかなように、地形を利用した自然的道路ではあるが、集落と関係なく直線的に走る部分も多いところから、官道として開発されたものといわれる。しかし特に中世以降は参詣道、商業交通路の性格を強めた。同時に畿内戦乱時の軍用道路でもあった。次のような多彩な側面の場所がある。
    • 巨大古墳群
    • 渡来氏族関連地
    • 行基、空海をはじめとする布教者達の足跡、伝承
    • 河内源氏(源氏主流)、楠氏根拠地
    • 戦国以前の城郭、戦闘地

    •  高野街道はストリートビューで現状を知ることができるところが大半を占める。ここではそれを利用して、一般的に街道案内で紹介されるポイントを、原則としてストリートビューで、それができない場合は関連hpでの紹介を試みた。
    • 大阪府教委「報告書」、上方史跡散策の会「東高野街道」を参考にした。


 関所 大名配置 歴史の道百選


  • 関所

    • 幕府関所   

    注)

    • 選定、重要度区分は児玉幸多「日本交通史」による。最重要を黒、重要を茶、その他を青で表示。
    • 場所の確定には関係サイトの他、桑田剛志「近世関所探訪」を参照した。


  • 大名配置

    • 東北    関東    中部    関西  
      中国    四国    九州  

    注)

    • 文化10年段階、石高3万石以上(一部3万石以下を含む)
    • ( )内は大名の姓


  • 歴史の道百選

    • 東北    関東    中部    関西  
      中国    四国    九州