トップページへ

ご法話

<第3307号 本願寺新報より>
<<次の記事

 

 

遠く宿縁を慶べ
―私が気づく前から届けられていた仏縁―

苅屋 光影(かりや・こうえい)光行寺 副住職

・安心できたひと言
昨年の12月のことです。あるお寺のご住職からお葉書をいただきました。実はある先生の代わりに、急きょ、そのお寺のご法座にお話に行くことになっていたのですが、その連絡をさせていただいた返信の葉書でした。
その葉書には、「ご因縁が整いましたね」と書かれていました。
ご法座直前のことで、お寺の掲示板やご門徒の方々への案内もすでに終わっていました。代役として不安で緊張していた私に、ご住職からのひと言は、ほっと安心させていただける言葉でした。
不安だらけの私に、難しいことを考えずに、阿弥陀さまが「ご因縁が整いましたね」と、ご一緒に喜んでくださっていること、私はその仏縁を喜ばせていただくほかはないことを教えていただいたお言葉でした。
ところで、私がご門徒のお宅にお参りに行きますと、「おじいさんにそっくりですね」と言われることがあります。
「うれしいような、うれしくないような…。ありがとうございます。お互いに年を重ねると親や祖父母に似てきますね」などと笑いながら会話を楽しみます。でも最近は、「おじいさんにそっくりですね」と言われることが少なくなってきました。祖父を知らないご門徒が増えてきたからです。祖父が亡くなってからもう30年の月日が経ったことを感じます。
「おじいさんにそっくりですね」と言ってくださるご門徒は、祖父に出会い、祖父の姿を見て、お寺とのご縁を大切にしてこられたのです。祖父の姿を通して、今も仏縁にあっておられます。お寺もご門徒も世代が代わっていきますが、その人を通して頂いている仏縁は、大切に受け継いでいきたいと思います。

・赤ちゃんの私に
もう一人の祖父である母方の祖父は、私が1歳になる1週間前に往生しました。今生では11ヶ月と3週間ほどの期間になりますが、母方の祖父ということもあり、私と会ったのは一度きりです。もちろん、私は全く記憶にありません。
両親が私を連れて、母の実家へ私を店に里帰りした時のことです。今なら新幹線で2時間ほどですが、当時は電車に揺られながら、おむつを持って、私が泣きじゃくる中、大変な道中だったと思います。病床の祖父に孫の顔をひと目見せたいとの思いで、広島の福山から赤ちゃんの私を九州の八幡まで連れて帰ったのです。
祖父は私の顔を見て喜んだと思います。生後3ヶ月の私の姿を見ながら語りかけている微笑ましい光景が、写真に残されています。その時の写真を見ると、祖父と私が一枚の布団の上に横になり出会っているのです。私は寝かされているだけですが、祖父は一方的に語りかけ、話しかけ、喜んでいたそうです。
その後、祖父は力を振り絞って私に法話を語り始めたそうです。それも難しい法話を30分も。理解できるはずもない3ヶ月の私に向かって法話をするのです。わかるとか、わからないとかは全く関係なく、祖父は、どうぞみ教えを聞いてくれよ、どうぞ仏様のご縁を喜んでくれよ、どうぞお念仏を相続してくれよ、と赤ちゃんの私一人に向かって願いをかけて、法話をしてくれていたのです。
私はその時の状況も法話も光景も全く知りませんし、覚えてもいません。しかし、その時の法話と会話はテープに録音されて保管されていました。そのテープは、私が大学に入学する時に、そろそろ聞けるかなと両親から渡されました。祖父から、生まれたばかりの私にすでに仏様のご縁が届けられていたのです。
これは私だけのことではないのでしょう。皆さん、お一人お一人にも、気づかないけれども、覚えていないけれども、ご縁を届けてくださっている方がおられるのです。そして今、ご因縁が整っているのです。そのご因縁をよろこばせていただく他はありません。
親鸞聖人は「たまたま信心を獲ば、遠く宿縁を慶べ」(註釈版聖典484ページ)と述べられます。どうすれば信心をいただけるかではなく、長い長い尾育ての中で、阿弥陀さまのほうからご因縁を私の上に届けてくださって、今阿弥陀さまが「ご因縁が整いましたね」と喜んでおられるのです。お互いに喜ばせていただきましょう。

 

ご法話 目次へ

 

覚圓山 光行寺 トップページへ