米英と違うヨーロッパの学力観は、「競争」の学力でなく「協力」の学力と言えますが、その学力を測定するPISAは、中心に読解力を置きました。根幹は言語であり、言語・情報を使って、「調査し、深め、解釈し、コミュニケーション」するということです。ここに教育は新たな歴史的流れを生み出しました。「進歩主義教育(子ども中心主義)、経験主義(為すことで学ぶ)」等を教育スタイルのAとするならば、日本が高度経済成長の時期以来、現代までとり続けているのが「大量一斉授業、詰め込み教育、教師主導型」等を特徴とするスタイルBです。そして今、犬山市やフィンランドが取っているのが先に述べた「個の自立、総合学習、学習継続力、生きる力、個別指導を可能にする教師の専門力量」等を特徴とするCです。日本はかつてAを否定しましたが、欧米の新しい学力観・教育観にたじろいだ財界の一部は、世界で活躍するにはCでなければと考えた時期もありました。しかし、日本は結局Bに回帰しました。一方CはAとBをプラスした学力観・教育観といえるでしょう。
それでは、かつて日本も行こうとしたCスタイルの犬山の教育はどう評価されるのでしょう。犬山の教育にはいくつかの特徴があります。第一に、教師の集団指導体制が取れていること。犬山市には学校選択制度や人事考課制度がありません。第二に、「自ら学ぶ力」の育成を教育目的としています。それは、地域を支え、地域に生き、生かされる学力ということでもあります。ここで福田氏は報酬で動機づけするような行動主義的な学習は失敗するという説を紹介しました。第三に、協同学習・学び合いによる学力定着と意欲の形成、という点です。犬山ではこれによって学力の「底上げ」がなされています。第四に先述した「地域に生き、生かされる」。これは、『地域の子どもは地域で育てよう』との気運を高めながら、教育本来の目的である『人づくり』をめざすということです。
福田氏は最後に、教育への市場原理の導入がなぜ失敗するのか、という論点を出しました。すなわち、新自由主義的な教育把握は「ある教員が担当する特定の学級単位の特定の科目」について評価しようとするものであり、教育がきわめて「深い」ものであることを理解せず、教育作業はチームワークでもなく、「当該教員の成果を図ることは、・・・およそあらゆるサービス業と比べて極めて容易である」とします。これは府教委や裁判所と闘っていく点で重要な指摘ではないでしょうか。要は新自由主義や新保守主義は、教育や子育ては木を育てるように長期にわたるものであり、また育てた通りに子どもは学習せぬこと、すなわち「教師の愛は片思い」、「愛は見返りを期待せず一方的に与えるもの」を根本的に理解せぬところにある、という言葉で福田氏は講演を閉じました。
3/28新勤評反対訴訟団集会報告
子どもの「教育への権利」「学習権」を訴訟の柱に!
新勤評反対訴訟団は、福田誠治氏を講演者に迎え、「子どもも教員も競争させれば、教育はよくなるの? いま 大阪の教育があぶない!3・28集会 〜はね返そう『新勤評反対訴訟』12・25不当判決」を開催しました。約160名の教職員、支援者、市民が結集しました。大阪地裁不当判決後、原告団は大阪高裁に控訴理由書をすでに提出しています。本集会は、高裁段階での逆転勝利判決を勝ち取るべく、支える会会員・裁判支援者と共に、闘いの決意を再び固める第一歩となりました。
集会が強調したのは、どのような勤務評定制度を作るかは行政の「裁量権」、との原判決の論理をうち破るためには、子どもの「教育への権利」「学習権」を前面に押し出した教育論が必要であること、またこれら子どもの権利とそれを淵源とする教員の「教授の自由」はともに精神的自由権であり、これらがすぐれて憲法問題であること、さらに違憲審査が問題となる時はことに慎重な審査が必要だということです。
弁護団報告――憲法26条、憲法23条を控訴審の軸に
集会は原告団団長挨拶から始まりました。団長は、裁判への一層の結集と協力を要請しました。また控訴理由書の学習を深め、教育に論点を置いた裁判として福田氏を講演者に迎え、本集会を高裁への闘いへの第一歩としようと呼びかけました。
最後に、事務局から以下のまとめが行われました。
原告団は、福田氏及び弁護団が指摘された視点を整理しつつ、控訴理由書の学習を深め、控訴審に臨む決意です。また裁判所内の闘争に止まることなく、教職員はもちろん広く市民にも「評価・育成システム」の不当性・不法性を訴え、この廃棄に向けた闘争を継続します。支える会会員、支援者の皆様には5月14日の控訴審への結集、本件システム廃棄に向けた闘争への参加・協力・支援を引き続きお願いしたいと思います。
5・14第1回控訴審に全力で結集を
訴訟団事務局から、改めて原判決に対する批判、さらに新勤評制度がいかに害悪をもたらすかの認識をどう広げていくか、市民向けパンフレットの検討等、行動提起を受けた後で、二本の特別報告、会場からの討論が行われました。
特別報告の第一は、東京予防訴訟共同代表の永井栄俊さん。永井さんはこの間東京で出された幾つかの判決を批判・評価しながら、都を相手に闘ってきた教訓、裁判長を説得する手だて等重要な示唆を私たちに与えました。また主幹のなり手がなくなった東京での、給与とからめた主任教諭新設による攻撃等も紹介しました。次いで立ったNPO法人POSSEスタッフの若者は、非正規労働者、解雇者等への法人の様々な働きかけを紹介し、また教育と労働のテーマで、学費を払えぬ高校生の姿、子どもの無保険者が増えていること等を指摘しました。
様々な観点・闘争からの特別報告、討論
次いで立った冠木、中嶋両弁護士は、以下のような点で控訴審を闘うことを提起しました。
第一に、自己申告票を義務づけられた際、教員の「教授の自由」がいかに侵害されるかに力点を置くこと。すなわち、憲法23条に基づき旭川学テ判決が認めた「一定の教授の自由」を前提とすること。また教員の教授の自由の拠って立つべきは、憲法26条で保証される「子どもの学習権」であるということです。第二に、子どもの教育への自由に対応する教員の自由は「精神的自由権」であり、これに国家は容易に介入すべきでなく、またこれが問題となる時、厳格な違憲審査が必要となること、本件においては自由権を侵害せんとする府教委にこそ立証責任があり、裁判所にはそれが意を尽くしたものかどうか判断する義務があるということです。第三に、この間発表されたILO・ユネスコ共同専門委員会の「1966年及び1977年の『教員の地位に関する勧告』の日本における不遵守の申し立てを検証するための2008年4月20―28日の現地調査団報告書」及び「1966年及び1977年の教員の地位に関する勧告不遵守に係る教員団体の申し立てについての中間報告」はいずれも、教員や父母がなす教育が子どもの学習権を充足するものであるとの憲法23条や26条が保証する教育の自由と全く同じ視点にたつものであること、従って裁判所はこうした国際的に確立した慣行を遵守すべきであり、「裁判規範」とすべきこと、少なくとも憲法23条、26条解釈に生かすべきである、ということです。
福田誠治氏講演――「子どもたちに『未来の学力』を」
登壇した福田氏は、はじめにTIMSSのデータ「算数の勉学態度の国際比較(4年生)」等を提示し、テストの点の高い国ほど、子どもたちに勉強への自信がないこと、意欲が破壊されていること、学年が進むにつれて自信をなくしている事実を明らかにしました。TIMSSとは、国際教育到達度評価学会(IEA)が1964年から実施しているものであり、知識・技能を学力として測定する日本のテストに似たものです。要は日本の子どもは面白くもないことをテストのためだけに勉強し、勉強への意欲を喪失しているのです。テストに追い立てること、「競争の教育、テスト準備の教育は意欲・自信を破壊する」ことにOECD(=EU)は90年代半ばに気付きました。そこでOECDはテストを変えて学校教育を変えよう、「創造性、自信、学び続ける意欲」を持った子どもを育てようとしたのです。それがヨーロッパの経済活動を盛んにする自分たちの利害に合致したのです。
また、討論では、看護師の労組員から職場に新たに導入された評価制度が医療そのものの崩壊を導くといった発言、日の丸・君が代強制に疑問を感じた生徒を支援したとして校長にC評価を下され、大阪弁護士会からの府教委に対する人権救済勧告を受けた教諭の今後の闘い、システム反対署名を全員で取り組み教委に具申したという職場の闘い、評価・育成システムは教員の資質・能力を下げるのだという保護者の府教委に対する取り組み、橋下府政下での日の丸・君が代攻撃の一層の強化とそれに対する闘いの決意等々、様々な意見が出されました。