今年度の自己申告票を提出せずに
私たちの第3次訴訟に加わってください

安倍政権と与党によって教育関連3法改悪が行われています。その結果、教育行政は反動的な国家支配をますます強めていくことになります。すでに私たち大阪府の学校も、「教職員評価・育成システム」の導入によって、企業的経営の論理、成果主義で教育を見なおし、効率優先の格差拡大政策がはじまっています。子ども達の未来を切り開くための「教育を受ける権利」を競争原理によって、社会的弱者を中心に奪おうとしています。すでにこのシステムと同様の評価システムが先行している東京都では、教育行政によって学校の独自性・自主性が奪われ、教員の創意・工夫による自主的な教育が困難になり、教育内容すら数値化された「学校経営計画」によって、上意下達で決められだしています。学校を管理運営する側の意図に沿わない教育実践は評価の対象外にされ、そういった教育をよしとしない教員はいやがる校務分掌へ移動させられたり、転勤させられだしています。その結果学校現場では、大学進学や進級率など管理的な指標を優先する教員が力を持つ、一元的な価値観に縛られた学校にかわってきています。職員会議が形骸化し、校長と主幹などによる企画調整会議によって管理されていく学校、評価をめぐり教員がお互いに牽制しあう閉塞感の強いストレスに充ち満ちた学校になりだしています。教員を指導する指導者教員が、上から指示される内容を画一的に教えるよう指導し、操作の対象とされる計量化される子どもたちはいても、具体的な子どもたちの姿が見えない学校になりつつあります。私たち大阪でもこういった学校の変化は他人事ではありません。こういった学校になるのはもうすぐです。評価と給与で連動する管理システムが東京や大阪に次いで、全国に広がることに、私たちは危機感を覚えています。

いまこそ、子どもたちの未来に対する教育責任が問われています。われわれ教員の自主性を自己申告票による目標の設定という形で自ら差し出しながら、結果として国家の政策に従順にしたがう形での教育、国家の意思としての教育を体現するのか、逆にこどもたちが自分たちで能力を発揮しなくてはならないような新しい状況に直面した時、これまでに獲得した知識や技能を適用しようと努力しているこどもたちの学習を支援するのか、言い換えればこどもたちによりそう道案内的な教育をするのかの選択が厳しく問われています。このことが、私たちの裁判では問われています。新教育基本法のもとで、憲法を守ることと、教育における自主性の新たな再定義の問題です。

これからのこどもたちの教育、未来への教育は、私たちが担っているわけです。グローバル化した世界での教育という視点から見ると、そこには格差拡大によって破産しつつあるイギリスのバウチャー制度と民間企業で破産しつつある、コンサルタントなどによって提唱された目標管理型成果主義を組み合わせた、教育行政政策を無批判に追認するのか、教育における自主性・創造性を経済成長とリンクさせながら成功している、フィンランドなどの自由な教育モデルを考慮するのかという選択ではないでしょうか。両者の相違を具体的にに学校現場の事例で考えてみます。この両者の思想は職員室の机とイスの配置にも現れています。会社型、官僚制的な事務的な呼び出しのカウンターを持つ職員室(東京の新設校)か、生徒をめぐって自由な議論が自在にはじまる円卓を中心とした職員室(フィンランドの学校)かの選択としても現れるのです。そこには、給与と連動していくにもかかわらず、自主性に基づくなどと言う、自己申告票の提出にまつわる詭弁はないのです。

それ故今後裁判の勝敗は、ますます日本の教育の未来を考える上で、重要なものになっていきます。こうした私たちの思いが、大阪の公立学校に勤務する教職員で共有され、第2次原告になる方が58人になり、原告団は87人にふくれあがりました。この間、様々な問い合わせがありました。多くの教員の声は、このシステムでは、教育は駄目になるということです。とりわけ、今からでも原告になれますかという声が多くよせられています。大丈夫です。私たちは、今年度不提出者による第3次の訴訟を考えています。7~8月を目途に原告の募集を考えています。昨年度心ならずも提出を余儀なくされた皆さん、不提出ながら第2次訴訟に不参加であった皆さん、今年度の自己申告票提出を拒否し原告に加わって下さい。又原告まではとの思いの皆さんも、是非「支える会」に加わって頂き、闘いを更に拡大していきましょう。