椎の木と南天
平成14年末にある人からお正月だから、南天の絵なんかどうでしょうというお話があり、南天を描くのに、いろいろ情報集めに、インターネットを開き、検索をしました。 そのとき偶然に”椎の木と南天”のお話が載っており、興味深く読みました。 之はいいと思い、我々はもう子育てはとうに終わっており、関係は無いのですが、今、子育て真っ最中のある若いお母さんに、これから人格が形成される幼いお子さんに話したら、いいのではないかとお話だけを送りました。 そのときのご返事は、「とてもタメになるお話でした。下の子は
まだ絵がないお話は理解出来ないのですが、上の子には話して聞かせました。半分分かったような、分からないような…。優しい解説付き(?)で話をしましたが、本当に理解出来るようになるのは、もう少し先かもしれません。」ということでした。 その時の私の気持ちは高いところから一気に突き落とされるようなある種の衝撃を受けました。 それは、之まで、よしとして来たことが余りにも独善的で、相手の立場にたって考えてきていなかったことを自ら、知ったことでした。 幼い子供たちに、そのまま文章だけで、話をするなんて、。。。やはり、絵を入れなくっちゃ。 そんな気持ちで正月を過ごし、ようやく、3枚の絵物語で、描き挙げました。平成15年最初の作品です。
「君の実って、本当にきれいで素敵だねえ。赤くて、つやつやしてて、しかも薬になるんだから。この家の人たちだって、君のことすごく大事にしているし、本当にうらやましいよ」それを聞いた南天の木は、細い枝を小さく振って答えました。「それは違うわ、椎の木さん。だって、本当にこの家の人たちのためになるのは、あなたのほうなんだもの」「そうかなあ? 僕なんて、年々足元の日当たりが悪くなるし、梅雨時に撒く花粉は変な匂いだって言われるしで、そのうち切られるんじゃないかと、ひやひやしてるよ」「椎の木さん。あなたは、とてもすごい人なのよ。きっとそのうち、解る時が来るわ」南天の木のその言葉に、椎の木は不思議そうに小枝を傾げてみせるばかりでした。 | |
それからしばらくすると、椎の木たちが植えられている国に、戦争が起こりました。人々は食料の不足にあえいでいましたが、椎の木のある家では、彼が秋に実らせたたくさんの実のおかげて、何とかひもじさを堪えることができました。やがて空襲が起きると、椎の木の一番太い枝が爆風で折れてしまいましたが、家の人は落ちたその枝を何本かに切りそろえ、椎茸の菌を植え込んで日陰に置きました。やがてそこからは幾つもの椎茸が生え、家の人はそれを食料にしたり、物々交換に利用したりして、日々の暮らしに役立てていました。 | |
やがて戦争も終わり、平和になった後でも、その椎の木は大切にされました。彼の足元で、一生懸命に落ちた実を拾い集めている子供たちを眺めながら、食用には向かない赤い実をつけた南天の木は、ほらね、と言いました。椎の木はやっと、自分がどれだけ役に立つ木であるかを知ったのでした。 作:こいと (ホームページより) |
描き終えて
荘子の言葉に 知有用之用而莫知無用之用 というのがある。 有用の用を知れども、無用の用を知ることなし。 世間の人たちは役に立つものの必要は知っているが、役に立たないものが、むしろ、その生を全うするという非常に大きな役割を果たすことを知らない。 将に曲がって育った桔梗を描いた時の「曲則全」老子を思い出した。 今日たまたま、テレビの歌謡ショウで小椋桂さんの作詞作曲の「貴方の命」という曲の詩の中に、雑魚という名の魚はいない、雑草という名の草はないという文句に通じるものがあると感じた。
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