小野小町

3年くらい前に、知人から絵葉書をいただいた。 葛飾北斎の「小野小町」の絵だった。 信州小布施に北斎館がある。北斎といえば、富士山や浮世絵がポピュラーだが、珍しく感じ、何枚か模写した。そのころ90歳だった義母が謡曲をやっており、今まで、殆ど縁がなかった謡曲全集を借り、小町の姿を垣間見た。 「草紙洗小町」、「関寺小町」、「卒塔婆小町」など謡曲で有名なこともはじめて知った。小町といえば、容貌秀絶、クレオパトラ、楊貴妃とならぶ世界三美女といわれ、和歌も女流チャンピオン。本職は朝五節の舞姫だったらしいが、謎の部分が多いといわれている。 

深草少将
小町に一目ぼれ、しかし、小町に肘鉄をくらう。 諦め切れない少将は100日通う誓いを立てる。 毎晩、小町の屋敷に通い、門前にカヤの実を一つづつ置いていく。九九日目の大雪の晩、病に倒れ、門前にて絶命。その後、霊となり、小町のもとへ。。。少将にかわりて、詠む。


小町化粧井戸
京都の地下鉄東西線の小野にある随心院にはそのカヤの実が残っている。 片隅には、九九日目に、待ちきれない小町が水を浴びたという井戸跡も残っている。 九九日も通ってくれた男に対する、恋慕の情が芽生えたのだろうか。 その後、100体の仏像を彫り過去に亡くなった男たちの弔いをしたという。( 初めて、裸婦を描く)
草紙洗い小町
この歌会の作品を大伴の黒主(ライバル)に、こっそり盗み聞かれ、古い万葉の草紙に加筆された。 歌会当日天皇の前で、その歌は「古歌」とクレームをつけられる。 審判委員長の紀貫之は困ってしまうが、小町がその草紙を水で洗うと、加筆の部分だけ、消えてしまった。 濡れ衣は晴れて、黒主は腹を切ろうとするが、天皇が丸く収めたという。 
(葛飾北斎 草紙洗小町より模写)
関寺小町
百歳ともなろうという老婆が近所の子供たちに歌を教えている。心を種として言の葉を、花をみて、色かおりに染まば、自然と歌が作れるようになる,と。最後の場面では昔の華やかだったころを思い出しながら蝶のように舞って消えていく。その姿が痛ましい。
(葛飾北斎 関寺小町より模写)
卒塔婆小町
卒塔婆に腰掛けている小町に僧がたしなめるが。小町曰く「枯れ枝かと思った。 仏の道に外れているというが、それは極楽の内に居る者がいうこと。わしは極楽の外の人間。 だから悪いことではない。」 僧は小町と知りしきりに仏の道を諭すが、聞き入れなかった。その後、小町は一体の仏を彫ったという。
(葛飾北斎 卒塔婆小町より模写)

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