相(あい)思い、相見(まみ)ゆ 知るいつの日ぞ
この日この夜 情為(な)し難し


李白が何十年ぶりかで、友と会い、飲んだ後、山の麓まで、送りに行ったときの歌。 (三五七言より)

花と故事

浜の真砂は尽きるとも、世に言の葉の尽きることなし。 歌を作るには、素直に感じたまま、言葉を並べればいいというが、いくつも作っていくうち、薄学、浅学な私ではどうにもならなくなっていった。
そんなとき、たまたま、本屋さんで、中国の名言辞典が目に触れ購入した。 花の一生を見ているとなんとなく、先人たちが残した言葉に当てはまるものがあるのに気づいた。 そんな中で、気に入ったものを何枚かご覧ください。 

美の成るは久しきに在り、
悪の成るは改むるに及ばず。


よいことがうまく行くには長い時間がかかる。  此れに反して、悪いことの結果は改める余地もないうちに直ぐやってくる。 仲良くなるには時間がかかるが、不仲になるのは、たちまちだ。
徳のある者は必ず言あり。
言ある者は必ずしも徳あらず。




シャガはアヤメ科で、胡蝶花と呼ばれ、
杜若や花菖蒲にはないやさしさがある。
楽しみは極むるべからず

楽しみはその果てまで尽くすべきでない。
快楽を求める心は限りないものであり、その極には倦怠と絶望が待っている。

ヤブコウジ(俗称 十両)
正月鉢植えに多い。 万両,千両、百両にくらべ、背が一番低い。

得意の時、便(すなわち)失意の悲しみを生ず。

得意の境遇になったとき失敗の根が生ずるものである。
注意すべきは、順境の時であって、逆境の時ではない。

カラタチバナ(俗称 百両)
江戸時代はブームであったらしい。 万両に似ているが高さはせいぜい30センチ。

光っても耀(かがや)かしてはいけない。

教養を身につけることはよいが、それをひからびかしてはいけない。

センリョウ
正月を飾る生け花として、よく使われる。マンリョウと違って、枝の先端に赤い実がつくので、いけやすい。

富貴はなんぞ、草頭の露に如(し)かんや

この人(孔子)にとっては世の中の富貴,栄華というものは、ただ、草葉の上に宿っている露のようなものであろう。
 
杜甫が孔子について詠む。

マンリョウ
お寺の境内でよく見かける。
枝の横に実をつける。一番背が高い。
彼も一時、此れも一時なり

その時々に応じて、最善を尽くせばよい。

知人から頂いた花瓶に友禅菊を
今年の花、去年の好(よ)きに似たり。
去年の人、今年にいたって、老ゆ。

今年も去年と同じように綺麗に花が咲いた。 去年その花を見た人は一つ歳をとってしまった。
初めて知る 人は老いて花に如(し)かざるを
惜しむべし落花、君掃(はら)う事莫(なか)れ


てっせん(クレマチス)
いろいろな種類が多く大きな花をつけるのもあるが、薄紫がすきである。
白髪花落ちるを悲しみ 青雲鳥の飛ぶを羨む

落花を見ては自分の髪の白くなったのを悲しみ、青空を飛ぶ鳥を眺めては昔青雲の志を持っていた自分の現在をはかなむ。
咲くも無心
散るも無心
花嘆かず


永楽天花酔

花は無心に咲いている。
たとえ、季節外れだろうが、
己の容(はな)を発(ひら)く。


詠み人知らず。
お菓子の栞にあった随筆から。

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風霜揺落(ふうそうようらく)の時、独り秀(ひい)ず君知るや否や

風霜に当たって、周りの花木が落ちている時節に、青々と緑の葉をつけて繁っている木々もあるのを君は知らないのか。

時流に乗った成りあがり者が春桂にたいして、どうして桃や李(すもも)みたいに花を咲かせないのかと問われた時に答えた。