山吹伝説

道灌が鷹狩りに越生の地に来た時に急なにわか雨に遭い,蓑(みの)を借りようと貧しい一軒の農家に立ち寄った。 その時、二八(16歳)ぐらいの娘が出てきて盆に一輪の山吹の花をのせて差し出した。 道灌は、蓑を借りたいのに花を出され立腹した。
 後でこの話を家臣にしたところ、それは兼明親王(醍醐天皇の第十六皇子)の「七重八重 花は咲けども 山吹の
実のひとつだに なきぞ悲しき」(後拾遺和歌集)の歌にかけて、家が貧しく、(実の)ひとつ持ち合わせがないことを、奥ゆかしく答えたのだと教わった。 古歌を知らなかった事、ああ、”歌道に暗い”と恥じて、それ以後道灌は歌道に励んだという。 
道灌はのちにその娘、「紅皿(べにざら)」を江戸城に呼び、和歌の友としたという、道灌が亡くなった後、紅皿は大久保に庵を建てて尼となった、
とある。
また、道灌という落語の演目にあるということで、早速、小さん師匠の「道灌」をネットで楽しんだ。

返歌

その紅皿にこの返歌を送っている。「いそがずば濡ざらましを旅人の後より晴るる野路の村雨」 しばらく待っていれば、そのうち雨がやみ、濡れてしまうこともないのに、ついつい先のことばかり考えて、急いでしまって、濡れてしまう。 以前、描いた野牡丹の絵歌(勤謹和緩)を思い出した。

勤謹和緩(きんきんわかん)

勤・・・仕事に精勤すること
謹・・・身を慎む
和・・・皆と仲良く
緩・・・急がず、ゆっくりやる

ある人が最初の3つはわかるが、最後のゆっくりは如何なものものかと聞くと、張観曰く、「世の中の失敗の大半は急いでやる事から起こるものだと」

山吹の名前の由来

一重と違い八重は実がならないのにどうやって繁殖するのだろうか、挿し木で簡単に増えるそうだ。 花でもなく、木でもなくその中間で、茎の中は髄と呼ばれるもので詰まっていて、冬になるとそれが枯れて固まってしまう。 その枝を切って、ストローのように吹くと鉄砲のように飛び出すのだという。 山吹鉄砲といって、子供たちがよく遊んだそうだ。私の考えだが、山吹という名前の由来は “山の吹き矢” ではないかと。昔(今から60年ほど前)千駄木に住んでいたころ、近くに道灌の屋敷があり、こんもり茂った森の中には野バトが鳴き、ほら穴は江戸城に続いていたそうだ。幼いころ、よく、冒険ごつこをしたものだ。 今は石垣の一部をのこしているだけで、その跡形もなくなっている。以前、白山吹を描いたが、それはこの山吹とはまったく違った種類である。

山吹 (花言葉:旺盛)


この歌は大田道灌が晩年、これまで、生きてきたけど、何ひとつの実になるようなことをしていなかったと、わが身を振り返って詠んだ自嘲の歌とばかり思っていた。 ところが、いろいろ調べていくと、こんな伝説があったのか。 知らなかったのは私だけか。

トップへ戻る