2010花歌暦
5年間続けることができた花歌暦シリーズが今年2009年で終わり、何か寂しさが募ってきたのだろうか?年末に近づくごとにその思いが大きく膨らんできて仕方がなかった。 また、これまでの44年間のサラリーマン生活の締めくくりに、なにか残したかったというのもあるのかもしれない。 手作りのカレンダーに挑戦してみようと思い、インターネットで調べて、試行錯誤を重ね、これまで、外に出る機会のなかった花たちを集め、また、出会った人との思い出の絵歌などを挿入して自分流の花歌暦として作ることができた。 (H21/11/26)
<2010花歌暦(和羅漢編)>
10月 ダンベル
老いの踏ん張りなのか、少しでも細くなろうと、ダンベル(800グラム)で鍛えよう。でも、3日坊主、ポコちゃんもあきれ顔。
9月 ポコちゃんと
平成元年から14年間我が家の一員だったポコちゃん。
偶成(朱熹)
7月 耳順
この夏はどこへも行かず、近所の緑化植物園に出かけた。槿がたくさん咲いていた。
日に焼けるといって、日傘はいつも携帯してるようだ。
2月 勝浦海中公園
房総の勝浦には海中水族館があり、海底を魚たちと一緒に散策することができる。
昔はたくさんの鮪の水揚げがあったそうだ。
4月 君子蘭
べランダの君子蘭はようやく5年後に花を咲かせた。 それ以降、毎年、春先には君子のように立派な花を見せてくれてる。
光而不耀・・・・・・
光ありても耀(かがや)かさず (老子)より
12月 シクラメン
愚妻友人のNさんから頂いたミニシクラメンは、毎年花をたくさんつけてくれる。絵の事は素の後にすべし絵を描くには、まず、下地(素:デッサン)を良くすること、色をつけるのはその後のことだ。身を飾るよりもまず修養につとめ、心の誠を根本とせよ。(孔子)
身に沁み入る言葉だなあ。
8月 朝顔
槿花一朝 松の木千年 というが、この朝顔は儚い一生を精一杯生き抜いている。
1月 凡凡の中の非凡
毎日同じようなことを繰り返している。
そんな中に非凡が見つかるかしらん?
表紙
明日からはSuicaもネクタイも目覚まし時計もいらない、サンデー毎日の身になるが、なぜか自然と手が動いたようだ。これまで一度も野に出ることのなかった可愛らしい花たちと思い出の絵歌を集めて、手作りの花歌暦を作った。これからサッカーでいえば後半戦。いつも、この歌の心を忘れず、新しい何かを見つけ、元気に過ごしたい。
花を愛で 絵歌描いて 酒に酔い
12月 淡きこと水の如し
孫にクリスマスプレゼントにと、
せっせと刺繍する。何を考えながら、してるのか?一番いい時なのかも。これこそ、凡凡の中の非凡かも。
11月 妻の夢
競馬の騎士になった夢を見たそうだ。 早速、スポーツ紙の競馬のページの馬を見ながら描き、上に乗っけてみた。
8月 若かりし頃
いつも、子育てのときが一番楽しかったと言っている。
11月 椿の実
”落花枝に返らず”という故事がある。
秋も深くなるとき、椿の実は弾けて、実生するのだろうか。まさに”落花枝に返る”である。 和羅漢作。
9月 友禅菊
愚妻の歌の友人のKさんからいただいた花瓶に友禅菊を生けてみた。
あれもこれもすべて、一時
・・・栄枯盛衰も一時限り
<2010花歌暦(花シリーズ)>
10月 コスモス
白やピンクの色とりどりのコスモスが風に揺れていた。もし、私に愛しい人がいれば、香りを届けてあげたいものだ。
5月 願い
孫たちに囲まれて。
唯唯願うことは平穏無事。
4月 母子草
千葉に越してからすぐのこと。 昭和の森で倅たちと。
今、思うと遠い夢のようだ。
3月 フリージア
ベランダに咲いていたフリージア。 子(し)とは夫のこと。 私はあなたと一緒に偕(とも)に老います。昨日は11月22日(いいふうふ)だったとか。
偕老同穴という言葉の語源
1月 藪椿
風霜揺落の真冬時、道端で青々とした葉を茂らせ、見事な真紅の花咲かせている。
6月 老眼鏡
新聞を読む和羅漢。
何を考えてるかは不明。
3月 エプロン
チャイナドレスが似合うわけでも、ジーパンがかっこいいわけでもない。
エプロンが一番、似合ってると思う。
7月 蓮
酒井抱一の蓮の絵(MOA美術館)に感動。 あんな汚い泥水の中で、きれいな花を咲かせている。 描いているうち、蓮の台(うてな)に乗ってるような感じがした。
5月 クリスマスローズ
小さな苗を買った。 3年間は大きな葉がでるが、花を一つもつけなかった。 育て方をみると、古い株を切り取ることが必要。 早速実行したら、今年春、念願の見事な花をたくさんつけて咲いてくれた。 それ以来、クリスマスローズは我が家の夢の花である。
2月 ポピー
房総の春は早い。 もう、花畑にはポピー、金魚草、たくさんの花を咲かせてるであろう。
6月 桔梗
ベランダの隅っこに塀に挟まれ、もたれかかって咲いていた桔梗。 曲がってるから、いつまでも切られることなく、命を全うできた。なまじ、まっすぐに育っていれば、たちまち切られてしまい、短命だったろう。