花と歌 その75(寒椿、カランコエ、お地蔵様)
年の初めから風邪を引き、我が家の1月は元気の無い月であった。 ようやく、治りかけてるが、これから、また、憂鬱な花粉症の時期になろうとしている。 絵筆も思うように動かず、最近はめっきり数が減ってしまった。 新聞、テレビでは連日のように、大臣の”女性は子供を産む機械”の失言を取り上げている。 ふと、昔読んだ本の中にあった詩経の言葉を思い出した。「白圭之欠 尚可磨也 斯言之欠 不可為也」 白圭の欠けたるは、尚、磨くべし。 斯(こ)の言の欠けたるは 為(おさ)むべからず。 圭(けい)は王だけが持つ美しい尊い玉。 その白い玉の欠け損じたのも、磨き上げれば、再び美しくなる。 しかし、人間の言葉はいったん、失敗すると、もうとりかえしの付くものではない。と言う意味だが、ふりかえると、我輩も、失言の塊のような感じもする。 何度か、言ってはいけないことを言い、逆に、言わなくてはいけないことを言えず、また、思ったことをそのまま素直に言えず、それらを繰り返している。 暖冬とはいえ、外は木枯らしの中で、日向ぼっこをしながら、寒椿、カランコエ、お地蔵様を描いた。 ご笑覧ください。 平成19年2月3日
大寒の朝 尊敬する詩人の坂村真民さんが昨年12月11日にお亡くなりになった。真民さんの詩のなかに"みんな天に向かって”があるが、窓辺にあるカランコエを見るとき、なぜか、小さな手を広げ、天に向かって叫んでるような感じがした。 しんみんさんを偲んで。 |
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寒椿 愚妻(和羅漢)の童謡のお友達Tさんは俳句の第一人者である。 下手な絵をつけるのは失礼かと思ったが、寒椿を描いてみた。 この椿のような気持ちを忘れてはいけないと思いながら。。。 |
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お地蔵様 昨年、京都嵐山を散策した時、道端にあったお地蔵様。 和羅漢にせがまれ、休みに描いてみた。 ”歩歩是道場” 禅語 一日一日が修業だと言うことでしょう。 |