花と歌  その62(秋の実:椿、カヤ

”光陰矢の如し” 特に、六十路を超えてからは身にしみる言葉である。 今年も夏の終わりに軽井沢に小旅行をした。 目的の一つは「無言館」に行くことであった。 戦争のため、絵を描くことが続けられなかった、青雲の志を持った20代の青年画家たちの絵を集めて展示してある。 春先、テレビで紹介され、東京駅の画廊で観て感激した。 花の絵歌を描く自分にとっても、またどうしても、行きたいという愚妻を供にし、上田の地をはじめて訪れた。 軽井沢でコスモスが10月に咲いてるかどうかをこの目で確かめたかったこともある。 9月初めにコスモスを描いてから、暫く、来年の花歌暦を作るのに専念していたので、なかなか絵歌を描く機会が無かった。 少し、余裕が出来、愚妻の実家に咲いていた”椿の実”と、信州東御(とうみ)の里で出逢ったの実を描きました。 平成17年10月10日  

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落花枝に返る
椿の花はまだ、これからという時に、惜しげもなく散ってしまう。 しかし、秋になると実がなり、それが弾け割れて、綺麗な花のように開花するのを初めて目にした。一度枝から落ちた花は再び枝に返ることが無いという故事があるが、私にはそれが見事に翻されたように感じた。 詩は和羅漢(愚妻)作

旅の出逢い
上田から軽井沢に帰る途中に東御の道の駅がある。そこは力士雷電の古里であった。また、蔓の芸術展覧会が開催されており、ちょっと、覗いたときに、いろいろな展示の中にの実があった。主催者の方といろいろ会話しての帰りにこのの実を持たしてくれた。 絵歌を始めて、間もない頃、、小野小町と深草少将の恋物語を描いたことを思いだした。

永楽天花酔 その1 小町より
          (平成11年)

深草少将

小町に一目ぼれ、しかし、小町に肘鉄をくらう。 諦め切れない少将は100日通う誓いを立てる。 毎晩、小町の屋敷に通い、門前にカヤ)の実を一つづつ置いていく。九十九日目の大雪の晩、病に倒れ、門前にて絶命。その後、霊となり、小町のもとへ。。。少将にかわりて、詠む。
小町化粧井戸
京都の地下鉄東西線の小野にある随心院にはそのの実が残っている。 片隅には、九十九日目に、待ちきれない小町が水を浴びたという井戸跡も残っている。 九十九日も通ってくれた男に対する、恋慕の情が芽生えたのだろうか。 その後、100体の仏像を彫り過去に亡くなった男たちの弔いをしたという。( 初めて、裸婦を描く)