花と歌 その48
(謹賀新年:チコちゃん、寒椿)


新年おめでとうございます。 昨年は多くの方々にご覧頂き、また、ご意見、ご感想も多く頂きました。 一人でも、見ていただける方がいらっしゃるということで、私にとって、大変な励みと、大きな力となっております。 有難うございます。 今年も昨年に引き続き、楽しい絵歌を沢山描こうと思ってます。  ぜひ、ご笑覧ください。

春夏秋冬
昨年末、陶淵明のこの詩がふと、目に入る。 また、とり年の初めにふさわしいと思い、我が家のチコちゃんを年賀のモデルにした。 チコちゃんも8年目で、人間で言えば、喜寿くらい?

陶淵明(365-427) 中国・東晋時代 ”帰去来の辞”,酒豪。
寒椿−1

今年初めて描いた絵歌。 昨年の11月から2ヶ月の間、せわしない日々がつづき、絵歌を描く余裕が無かった。 近所の寒椿を観察しながら。
寒椿
椿と山茶花の自然交配でできたという。
寒椿ー2

我に3つの宝がある。 その3宝とは慈、すなわち情け。 倹、すなわち倹約。 それに、敢えて天下の先とならない。 この3つである。

 老子


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<後日談>

川崎のAさん曰く。"為鶏口無為牛後 (鶏口となるも、牛後となるなかれ。)鶏の頭になっても汚い牛の尻尾にはなるな。 というのもありますよね。" (この故事の出典は司馬遷によって編纂された史記:蘇秦伝。) "老子の言ってることと、逆ですね".....。  あの、紀元前500年の戦国の世の中で、敢えて、言った老子の言葉の重みを理解するには、私にはもう少し時間が必要かも知れない。