花と歌 その43(蓮、月見草)

先日は四十度を越す猛暑のなか、外回りで多少ぐったりしてしまったが、ここ2,3日は少し落ち着いたようだ。 最近、テレビで、蓮の花が満開の全国の名所を紹介している。 泥水を吸って、何で、あんなにも綺麗なのかとか、なぜ、御釈迦様が乗ってる台(うてな)は蓮の花なのだろうか。「一蓮托生」という言葉を調べてみると、「死後善人は極楽に蓮の花に座るというが,私たちも死んでも一緒に一つの蓮の花に二人で座ろうということ,現世の縁、誓いを守り生死をともにし死後もまた分ちあおうという誓い。蓮(はちす)の台(うてな)の半坐を分かつ。」とある。 それでも、疑問だらけだ。  蓮の花は4年前に1枚だけ描いたことがある。 今日描いたのと4枚並べてみました。 

心の蓮(はちす)

若い頃、よく散歩した池之端不忍池には蓮が沢山ある。 蛙の鳴き声の中、ポンと花が開く音が聞こえてくるみたいだ。 今、そこに立ち寄って、眺めていると、昔のことが走馬灯のように忍ばれる。 池見草とは蓮の別名  平成12年作
蓮の花

日陰で、ひっそり咲いているドクダミの花も純白の十字架の綺麗な花だが、蓮の花も泥水を吸って綺麗に咲く。 基督教と仏教と違いはあるが、何か共通のものを感じる。  浮(憂)き身を水面に託して。
仁義と大偽
本当の大道が廃れると、そのときに仁、義が取りざたにされる。 将に、そのときは、大道が廃れている証拠だ。
人間の小賢しい、利口な点が出てくると、必ず、その反面大きな偽りが生じてくる。 最近の新聞記事を読むたびに同感する。今から2500年前の中国に物凄い人物がいたのだなア。
(はちす)の台(うてな)

なぜ、仏の像が蓮の花にのっかっているのだろう、仏説には極楽往生した人が蓮の花の台に座るというのがあるが、それだけだろうか? 

MOA美術館所蔵 酒井抱一(江戸時代) 藤蓮楓図より模写
月見草

町田のNさんの好きな花は昼咲き月見草。 初めて、チャレンジする花であった。 その名の通り、月の無い昼に咲き、月が出る夕方になると閉じてしまう。 見えない月を探してるのだろうか。

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