花と歌その23 (ハイビスカス、朝顔)

絵歌をホームページに載せてから一年がたとうとしている。 去年始めた頃、我が家ではハイビスカスが満開であった。 最初に載せたのがそのハイビスカスだった。 夏を代表する花はたくさんあるが、朝顔もたくさんた描いた。 そんな2つの花を並べて見ました。 

白頭を悲しむ

今年の花が落ち、行く春を迎えれば、それだけ自分の容色も衰えていく。 来年花は又開くだろうが、だれが、それを生きて眺められると保証できよう。

劉廷芝「白頭を悲しむ翁に代る」より

一鉢の花

2年前の夏、富津に散歩した帰りに一鉢を買う。 今それが、ベランダを賑やかにしてくれている。 咲きっぷりもいいが、こうもり傘を閉じるように静かに散っていく散り際のよさがたまらない。
少則得 多則惑

所有物の少ない人は物を得る喜びがそれだけ大きい。 品物をたくさん持っている人はいいようだが、実はどれを用いようかと、惑うことになる。
老子

常夏の花

花の本で調べると、冬の花で分類されている。 私にはどうも合点がいかず、常夏の花と思っている。


花言葉は”新しい恋”、”繊細な美”
禍福

禍があると、その陰には幸せが寄り添っている。 また、幸せの陰には禍が隠れている。 禍福は糾(あざな)える縄のようなものである。

老子


朝の朝顔

”槿花(きんか)一朝(いっちょう) 松の木千年”というが、槿(むくげ)やハイビスカス、朝顔は一日花で、あっという間の人生。 それだけに咲いているときは一生懸命生きているのだと感じている

夕の朝顔

朝の朝顔もよいが、夕べに閉じる間際の姿が一番好きである。
唯心浄土己身弥陀

丹田(へその下)に力を入れて”唯心浄土己身弥陀”と唱えながら、瞑想すれば、心休まり、健康に成るということ。

白隠禅師(1685−1769
日本の禅宗を確立。

私の絵日記


大阪のkさんから”朝、玄関を出る時、朝顔を見るたびに、今は亡き母がよく、水をやっていたのを思い出します。”

kさんに謹呈。

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