花とその歌15 (落花)

今年の桜は満開の時期は普段なみだが、あっという間に散っていったような感じがする。ゆっくりお花見する余裕も無く、過ぎ去ってしまった。 ちょうど見ごろの時に、風雨が激しかったせいもあるのだろう。 例年行っている千鳥が淵にも行けずじまいであった。 そんな折、Aさんから、これを描いてと、満開の綺麗なソメイヨシノの桜の絵葉書を預かった。 歌は「散る桜。。。」との事であったので、休みの日にのんびりとかきあげた。  是まで、いくつの花を描いたのだろうか、綺麗に咲く花もいずれは朽ち枯れていくのだが、その枯れ行く姿に趣というものを感じるようになったのは年の所為か。 狭いベランダには今、フリージア、チューリップ,シンピジュームが咲いてるが、よく、ポコちゃんがベランダに出て、匂いを嗅いでいたのを思い出す。 先々週の土曜日に墓参りして、このベランダの花をお供えして来た。 いつまでも、思い出してはいけない、忘れることが供養といっても、なかなかそうは行かない。 枯れ行く花を集めてみました。

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桔梗ー1
枯れてもいつまでも枝から離れない
北斎辞世 (享年90歳)
あと10年生かしてくれれば、本物の絵描きになる。いまわの際でさえ、安らぐことなく、先を見続けた北斎。 無残と思う人もあるだろう。
死んだら、人魂になって、夏野に散歩でもして来ようか。
桔梗ー2
翌日にはもうひとつの花も朽ちていった。
祇王
平清盛の寵愛を受けたが主人の心変わりにより、出家し京都の祇王寺に引きこもる。 優しい気持ちから、若い女性を助けたのが、仇となった。 その後、その女性も同じ運命をたどり、祇王寺にたずね来る。
落ち椿

道端に無残な姿で、落ちている椿をよく見かける。 まだ、枝に戻してあげたいほど、新鮮な花もある。 同じ種類の山茶花は一枚一枚花びらが散っていくのだが。



シクラメン最後の一花)
花の時期はもう過ぎたのだが、狂い咲きなのか、今、ベランダのミニシクラメンが赤い蕾を持っている。2年ほど前の絵歌だが、朽ち枯れようとしてるとき、がんばってるシクラメンの最後の一花を思い出した。

散る桜ー1

頂いた満開のソメイヨシノの綺麗な絵葉書を見ながら、散っていくのを想像して描く。 又来年も同じように綺麗な花を咲かすだろう。

散る桜ー2

和服の裾柄にいいなんて、話を聞き、お調子者ゆえ、もう一枚描き謹呈した。
始知人老不如花
可惜落花君莫掃
を思い出す。