運命のひと


運命というものがあるのなら、多分これがそうなのだ。
視界を横切る秀麗な青年を見遣りながら彼は思った。

 

デュナンの地に平和を。
重く尊い理想を負う天魁星を宿星に持つ少年。輝く瞳に導かれ、彼は長きを過ごした故郷の住処を離れて新同盟軍に集うことを決めた。
環境の変化、本拠地の城に住まう多くの人々。辺境の地にひっそりと暮らしていた身には戸惑うことも多かったが、周囲に満ちる未来への希望は好ましく、活気に溢れる騒然とした毎日が新鮮だった。
彼は郷里に妻を残しての参戦であったが、寂しさを感じる間もなく刻は過ぎる。過酷な戦いと不思議な平穏に包まれた日常が共存する城。船着き場に佇み、静かに揺れる湖面を見ているときだけが遠く離れた妻を過らせる僅かばかりの時間だった。
新同盟軍に身を寄せて数日が経ったある日のこと、彼は一人の青年を知った。マチルダ騎士団領から離反した騎士を率いる若き赤騎士団長カミューである。
居住に当てられた区画が離れている上に、同盟軍内における要人である青年とはまともに顔を合わせたことがなかった。だが、偶然近くを通り掛かった青年を見た途端、彼は激しい胸の高鳴りに打ち震えた。
目が離せないというのはこうしたものだろう。
優美きわまりない姿に艶やかな美貌。
立ち振舞いはどこまでも落ち着いた品格に包まれ、屈強の部下を従える戦士とも思えぬほどだ。常に柔らかな笑みを浮かべた唇、澄んで穏やかな琥珀色の瞳、のびやかな四肢。全身を神に愛される奇跡のような存在だ、彼はそう感嘆した。
最初はただ、類稀な美しさに見惚れただけだった。が、努めて青年の動向に気を配るようになるうちに胸に不穏なさざめきが起きるようになった。
決して妻を忘れたわけではないのに、気づけば青年を思っている。閉塞された世界における気の迷いだというには、あまりに現実は惨かった。彼を思うたびに全身に沸き上がる熱、切なさと葛藤に満ち満ちた願望。それが恋であると気づくに時間は要らず、妻帯する身でありながらの不実に打ちのめされた。
しかし、突然生まれた情熱は苦悩を超越するほど強固なものであった。心を裂かれる痛みを認めつつ、諦めることが出来ないのだ。
募る思いに耐え難くなった彼だが、城に友と呼べる者は多くない。多忙なる指導者の少年の他に、彼を理解してくれる男は唯一である。終に彼はその男に心情を打ち明けることにしたのだが───

 

男は即座に反対した。妻在る身で如何なる気の迷いか、そう糾弾されたのだ。
しかし彼は答えた。気の迷いで済むなら他者に洩らすほど困窮しない、幾度も自問した上で思い切れないのだ、と。
彼の必死を一応は認めた上で、男は再度諭した───赤騎士団長カミューとは住む世界が違う、思いは受け入れられよう筈がない。
彼は憤慨した。確かに離反したとは言え、カミューは騎士団領における権力者だった。けれど同盟軍の仲間は誰もが平等である筈、同じ理想のために同じ地に立つもの同士ではないか。
すると男は溜め息混じりに首を振り、最後に彼を驚愕させた。
カミューと共にマチルダを離反した青騎士団長マイクロトフ、彼らは互いに情を交わし合っているという噂が城内に蔓延しているというのだ。
無論、人付き合いのない身には初耳である。
愕然としながらも思い出す───そう言えば、焦がれた青年には常にぴったりと寄り添う大男が在った。出会いの時遅く、すでにカミューは大男に奪われていたというのか。
嫉妬や障壁は恋情を潰すどころか、更に燃え上がらせることとなった。あの美しい青年が鋼のような男に押し伏せられ、夜毎蹂躙されているのかと思うだけで煮え滾る憤怒を覚える。
身を震わせる彼を一瞥した男は、最後にもう一度諦めろと無情に告げて去っていった。
残された彼に無論そのつもりはない。いっそうメラメラと身を焦がす想いを抱き締め、ひたすら思案に暮れた。
まずは自らの思いのたけをカミューに伝えねばならない。そこで彼はまず、実に順当で古風な手段を思い浮かべた。

 

恋文───

 

過去、どれほど多くの男女が切ない祈りを込めながら一筆一筆に想いをしたためたことか。
けれど何とも無念なことに、彼はまともな教育を受けたことがなかった。文盲という、これまで恥じたことのなかった現実が立ち塞がり、早くも窮地に追い込まれてしまったのである。
そこで救いとなったのは数少ない顔馴染みの男だった。嫌がる男に懇願と叱咤を注ぎ、カミューを船着場に呼び出す書状を完成させたのだ。
胸に溢れる恋情まではさすがに照れて織り込めなかったが、望み通りカミューが出向いてくれたら、そのときには募る慕情を余さず曝け出す。誠意と情熱をもって、愛しき美貌の想い人の心を青騎士団長から引き離す───
彼は揺れる湖面を睨み付けながら固い決意に眦を決するのだった。

 

 

 

 

風が強い、雲の多い夜だった。
月は刻々と貌を変え続け、朧な影をさざめく湖面にて砕かれていた。まるで己の心境だ、そう彼は苦笑気味に考える。
心は千路に乱れていた。想い人の麗しきかんばせを前に平静でいられるか。禁忌や倫理、すべてを押し潰すほどの情熱をそのままに伝えられるのか。
彼は四肢を震わせながら待ち続けた。
やがて刻限、雲に見え隠れする月が空の頂点に昇り詰めたとき、船着場への通路に密やかな足音が響いた。赤騎士団長カミューである。
思わず彼は息を止め、船着場の奥まで後退ってしまった。これは気後れしたためではない。唐突に全身に満ち満ちた不穏な欲求に狼狽えたからである。
雲間の月明りに浮かぶ白い手袋に握られているのは代筆してもらった文であろうか。
やや不審げに周囲を窺う様子は何と危うげであることか。
今、あの青年の心を占めているのは自分ひとり、情を通じているという青騎士団長などでなく、文を差し出したもの唯一人なのだ───

 

あのたおやかな肢体を絡め取り、思うまま締め上げてみたい。苦しげに零す吐息はどれほど魅惑的だろう。
たわむ背を引き寄せて情熱のままに蕩かしたい、官能に咽ぶ唇を塞ぎたい。

 

思いのたけを打ち明けるという当初の純なる目的は綺麗に掻き消え、すっかり不埒な欲望の虜となった彼は、船着場の中央付近に立ち尽くして四方を見回している青年に向けて僅かずつ躙り寄っていった。
心拍は限界を超え、戦慄く五体が足元の板をカタカタと鳴らし始める。赤騎士団長は水面の立てる涼やかな音とは異なるそれに、はっとしたようだ。張り詰めた緊張が浮かび出し、カミューはいっそう艶やかになった。

───もう駄目だ。

次の瞬間、彼は船着場の闇から踊り出た。ちょうど時を同じくして走る雲が途切れ、月が完全なる姿を覗かせた。
水を跳ね上げる足場までもが克明に浮かび上がり、光と影が築き上げる情景に想い人へと突き進む彼の姿が映し出され────刹那。

 

 

美貌の青年は潰れた叫びを迸らせた。

 

 

絶え入るような細く悲痛な声に、思わず彼もその場に縫い付けられる。困惑する間もなく、青年の背後から駆け寄る別の影が在った。言わずと知れた、邪魔な青騎士団長である。
こんなところまで後をつけてきて様子を窺っていたのかと忌々しく思ったが、同時に放たれたカミューの声色に放心する。
「マイクロトフ……、ああ……!」

 

───そんなにまでも自分が嫌か。
凛然とした普段からは想像もつかない儚げな声で救いを求めるほど───

 

悄然としている彼の目の前で、青騎士団長の差し出した腕に縋りつくカミューがいた。
「カミュー、大丈夫かっ?!」
「わ、わ、わたしは……わたし……」
「落ち着け、しっかりしろ!」
「文で呼ばれて…………」
「うむっ、分かっている。分かっているぞ!」
「でも……でも、───」
カミューは彼を一瞥し、途端に形良い眉を寄せる。マイクロトフもまた、カミューの視線に倣って目を細めた。
「わたしを呼び出したのは…………タコだった…………」

 

 

 

タコではない、誇り高きクラーケン種族である。そう全身で主張しようとしたが、吸盤のある足をうにうにと揺らめかす風情は巨大なタコ以外の何ものでもないことに彼は気付かない。
意外なことに滾る憤慨を代弁してくれたのは恋敵である青騎士団長だった。
「カミュー……アズビボア殿はタコではない、おれたち同様、宿星を持つ仲間だぞ」
「アビビズボ?」
「違う、アズビズボ……いや、ビビズボア殿だったか……? と、とにかく石板にも名を刻まれた我らの同志でおられるぞ」

 

───どれも全部間違っている、と興奮しながら主張した彼だったが。

 

そこで初めて気付いた。二人の青年に自らの言語が通じていないらしいことに。
同盟軍指導者の少年、モンスター使いのバド。そして今回文を代筆してくれた漁師のゴン───彼らとは自由に意志の疎通が図れた。前者二人が「ききみみの紋章」を使用して、後者は漁師としての長年の勘によって彼の考えを読み取ってくれているのであって、彼らが非常に稀な存在であるなどとは考慮したこともなかったのだ。
折角呼び出したところでカミューに思いのたけを伝えるどころではなかった。まあ、途中から告白は二の次になったものの、第二の野望も邪魔者の乱入に果たせなくなってしまった。今はただ、呆然としながら震える想い人を見詰めるばかりだ。

 

「そ、そうか……失礼を致しました、ボズビボア殿───」
必死に自制に務めているらしいカミューだが、向き直り、綺麗な琥珀色の瞳で彼を見た途端にふらりとよろめいた。
「カミュー!」
慌てて背後から支えた男の腕の中、うわ言のような呟きが洩れる。
「して、ご……ご用件の向きは…………」
やっとのことで、そこまで礼を払った直後にカミューはぐったりしてしまった。何事、と目をしばたいていると、青騎士団長がきりりと背を正した。
「申し訳ない、ビボアズボ殿……カミューはロックアックスで魚介のマリネにあたって以来、タコとイカを苦手としているのです。その上、貴君が殊更に大柄でおられるゆえ、忍耐が切れてしまったのでしょう。代わってお詫び致します」
食い物と一緒にするなと声を大にして訴えたが、悲痛な叫びはグルルという唸り声にしかならない。マイクロトフは首を傾げていたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「理解していただけた……のですな、感謝します。では、カミューを休ませねばならないので失礼致します。良い夜を、アビズボア殿!」
相変わらず全く会話が通じないまま、最後に初めてまともに名を呼んでくれた青騎士団長が勢い任せにカミューを抱え上げ、ズンズンと去っていく。
見送る彼は、告白や不埒な接触を逸した失意よりも脱力が勝り、ぼんやりと彼らを眺めることしか出来なかった。

 

 

種を超えた崇高なる愛───そこには予想以上の障害が立ちはだかっていた。
意志の疎通の困難、カミューの多足種族への苦手意識。おまけに憎むべき恋敵ににっこり挨拶をされてしまっては、いったいどう対処すれば良いというのか。
船着場にて風に吹かれながら独り呆然としていると、軽やかな足音が響いてきた。ひょいと視界に顔を覗かせたのは年若い指導者の少年である。彼の前に立った少年は、いきなりぺこりと頭を下げた。
「ごめん、アビズボア……実はバドさんから内々に相談受けてね、僕がマイクロトフさんにカミューさんを見張るように言ったんだ」

 

何故、そんな真似を。ひどいではないか───多くの脚をうねらせて抗議すると、少年はこっくり頷いた。

 

「バドさんを恨まないでよ、いつもにも増して薄暗い顔をしてるから、僕が無理矢理聞き出したんだ。……まあ、気持ちは分からないでもないんだけどね、カミューさん綺麗だし。でも、やっぱり異種間の恋愛っていうのは難しいと思うんだよね。それに……ほら、一応君って横恋慕……らしいし」

 

それは充分承知の上だったのだ。墨を吐きたいくらいに憤る彼に、ふと調子の変わった声が言う。

 

「そうだ。近々ティントの鉱山の洞窟に行く予定なんだよ、アイテム取り洩らしがあったから。勿論君も一緒に行くよね? アビズボア…………」

 

ぎくり、と彼は強張った。故郷の洞窟───そこには妻がいる。結果的には大いなる空振りに終わったものの、二股の恋情を抱いた彼としては非常に後ろめたいものがある。
彼には判別出来なかった。
同行を求める指導者の少年が、脅迫によって邪な慕情を忘れろと命じているのか、はたまた純粋に帰省に誘ってくれているのか。
少年はにっこり笑っているが、すでに力関係は歴然である。郷里に待つ妻を怒らせることだけは避けねばならない。何しろ妻・ルロラディアは恐ろしい攻撃系紋章「青いしずくの紋章」を保有しているのだから。
輝く笑顔で無意識の圧力を加えてくる少年、決して思いは通じないであろう恋の相手、そして脳裏で威嚇してくる妻の姿。すべてを鑑みた上で、彼は芽生えた恋を葬る以外にないという哀しき結論に達したのだった。

 

 

こうして、偉大なるクラーケンの束の間の情熱は終わりを遂げた。
久々に帰った郷里の洞窟で妻の肌の色合いを見た彼は、手に入れられなかった運命のひとの面影を過ぎらせ、ひとしきり涙にくれたという───

 


タコ×赤。
……真面目に書けば触手系エロじゃった。
そういや昔、身内で
『タコに孤島に監禁されて××な赤』
に萌えたときもあった……(遠い目)

同時に出たネタが、題して『青とマリリン』
『孤島に住む赤と××したいために
毎日海を泳いで渡ってくる青』
という内容。
出典は『マリ○ンに会いたい』っつー犬の映画。
結構メルヒェンだと当時は思ったんですが……
今考えると、ロクなもんじゃない(笑)

 

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