ここよりずっと北の国、マチルダ騎士団が治めるロックアックスの街に、カミューという赤騎士がおりました。
カミューは他のマチルダ騎士とは姿が違いました。
目は澄んだ琥珀色、髪は柔らかな薄茶色。彼はマチルダの民ではなく、グラスランドという西の地方の出身だったのです。それに、仲間の騎士は大柄で逞しいのに、カミューはほっそりとした身体つきをしていて、たいそう綺麗な顔をしていました。
それだけではありません。カミューは心の優しい騎士でした。剣の腕もはかりごとも人より優れているのに、決して自慢したりせず、謙虚な姿勢を崩そうとしません。どんなにつとめが厳しくても、いつもにっこり笑っていました。
「騎士となったからには騎士団のため精一杯つとめたい。でも、出来ることなら友達が欲しい」
カミューは思っていました。
そうなのです。こんなに優しいカミューなのに、同じ赤騎士団員は仲良くしてくれないのです。剣の稽古をしたくても、相手になってくれる騎士はいません。
「ねえ、君。鍛錬相手になってくれないか?」
頼んでも、みんな口々に言います。
「冗談じゃない、そんなことが出来るか」
「そうだそうだ、絶対に御免だ」
そうして、カミューが追い掛けようともしないのに足早に逃げて行ってしまうのです。
今日もぽつんと置き去りにされて、カミューは悲しくなりました。
「やはりわたしがグラスランド人だからなのだろうか。差別はないと聞いていたのに、マチルダ出身ではないから嫌がられているのだろうか」
とても優しいカミューですが、彼は恐ろしい力を持つ「烈火の紋章」を宿しています。あんまりがっかりしたものだから、その魔法の力を使って辺りの雑草を燃やして憂さ晴らしをしていました。
すると、そこへひょっこりと別の騎士がやってきました。青騎士団に所属するマイクロトフという騎士でした。
「どうしたんだ、馬鹿に手荒な真似をして。おまえらしくないぞ、カミュー」
彼はカミューにとって、騎士団でたった一人友達と呼べる騎士でした。
癇癪を起こしたのを見られて、ちょっときまりが悪そうな、恥ずかしそうな顔をしましたが、カミューはすぐにいつものように微笑みました。そして、自分が赤騎士団で仲間外れにされているのを打ち明けました。
所属が違うため、何も知らなかったのでしょう。マイクロトフはびっくりして目を見張りました。
「皆がおまえを嫌うなど、信じられないぞ」
「でも、本当なんだよ。誰もまともにわたしと付き合ってくれない」
ふうむ、とマイクロトフは考え込みました。それから良いことを思いついたように掌を打ちました。
「よし、ではこうしよう。これからおれが赤騎士団員のところへ行って、暴れてやる」
「な、何を言っているんだい」
カミューは少し慌てて遮りました。
「まあ、聞け。そうやっておれが乱暴を働いているところへひょっこりおまえがやって来る。おれを抑えて、殴り飛ばすのだ」
カミューは、屈強揃いの騎士の中でも際立って偉丈夫な男を窺い見ながら首を傾げます。
「……それは無理だよ」
「大丈夫、おれは抵抗しないから。そうすれば、赤騎士たちはおまえを見直し、仲間として認めるだろう」
「成程、妙案かもしれない。でも、それではおまえに申し訳ないよ」
「水臭いことを言うな、カミュー」
マイクロトフはにっこりしました。
「何かを成し遂げるには犠牲を惜しんではならない、と騎士の教えにもあるではないか。それにおれは青騎士だから、赤騎士団員に嫌われてもどうということもない」
何がなし物悲しげに、けれどあっさりとマイクロトフは言います。カミューは考え込んでしまいました。
「心配性だな、カミュー。思い立ったら、即、実行するのも戦略の一つだぞ。さあ、行こう」
マイクロトフはカミューの手を引いてせっつきました。
二人は騎士たちが集う食堂へと向かいました。食堂には白騎士や青騎士も居ましたが、一番隅の方に赤騎士が数人固まって食事を取っていました。
「よし。いいか、それでは後から来るのだぞ」
マイクロトフは囁くように言うが早いか、通路を駆けて赤騎士たちの元へ向かいました。あまりの勢いに騎士らはびっくりして顔を上げます。
「何か用か?」
一人が問いますが、マイクロトフはお構いなしで、いきなり長いテーブルを鷲掴んでガタガタと揺らしました。飲み物を入れたコップが倒れ、赤騎士たちは目を丸くしました。
「な、何だ、何をする?」
大声を上げた一人の胸倉を掴んで立たせると、マイクロトフはぶんぶんと振り回しました。
「狂ったか、青騎士!」
他の騎士たちが怒声を張り上げながら止めようとします。しかし、騎士の中でも特別力がある大柄な男を、そうそう止められる者はいません。振り回された騎士は、可哀想に目を回して伸びてしまいました。
そこへ打ち合わせ通りにカミューが走ってきました。
「乱暴はやめろ、マイクロトフ!」
マイクロトフを後ろから羽交い絞めにして、迷った末に、弱く頭を打ち据えました。マイクロトフは小声で言います。
「そんな程度では弱いぞ、続けて殴れ」
カミューは唇を噛んで、今度はもう少し力を込めて殴りました。どうなることかと息を詰めている赤騎士たちには、相当な痛打と見えました。
「もっとだ、カミュー」
「もういいよ、マイクロトフ。行ってくれ」
演技とは言え、耐えられなくなったカミューがそう囁くと、マイクロトフはすかさず彼を振り解いて食堂を飛び出して行きました。
出て行くとき、彼は扉に思い切り頭を打ち付けて「痛っ」と叫んでいましたが、果たして芝居だったのか、彼らしい粗忽だったのかは分かりません。カミューは心配しましたが、近寄ってくる赤騎士たちに気を取られ、追い掛けられませんでした。
「ああ、驚いた。いったい、何だったんだ?」
「真面目な騎士だと思っていたのに、変な奴だ」
「それにしても、あの男に掴み掛かるとはカミューは勇気があるな」
「さすが、赤騎士団の誇る精鋭だ」
これまでカミューを避けていたのが嘘のように、親しげに離し掛けてきます。
そこでカミューは初めて知りました。
彼らが剣の相手をしてくれなかったのはカミューが強すぎるから。何となく線を引かれていたのは、その顔立ちがあまりに美しいから気後れしていたのだ、と。
騎士たちはカミューを嫌っているのではなく、ただ近寄り難く感じていただけだったのです。
「なのにおまえは危険も顧みず、仲間を助けるために、あんな猛牛みたいな男を制止してくれた。本当にありがとう、これからは仲良くしてくれ、カミュー」
騎士たちは照れ臭そうに握手を求めてきました。カミューの手に触れた途端、真っ赤になる者もいました。
それからというもの、カミューは漸く赤騎士団の仲間の輪に入ることが出来て、楽しい毎日を過ごしていました。
ただ、一つだけ気懸りがありました。マイクロトフのことです。あの日以来、ぱったりと顔を合わさなくなってしまったのです。
「どうしたのだろう、体調でも崩したんだろうか。そういえばあのとき扉に頭をぶつけていたけれど、打ち所が悪かったんじゃないだろうな」
違う所属の騎士の話は、なかなか掴みにくいものなので、カミューは思い切って青騎士団の本拠となっている城の東棟まで足を伸ばしてみました。
兵舎に行ってみると、マイクロトフの寝所は空でした。
「おかしいな、この時間なら寝ていると思ったのに」
言いながらよくよく見てみると、寝台の上に一通の置手紙がありました。「カミューへ」と表書きがあったので、急いで封を開けてみました。
「カミュー、赤騎士仲間とは上手くやっているか? おれは暫くおまえと会えない。おまえと親しくしていたのが知れ渡れば、あのときの行為が策だと見破られてしまう恐れがある。と言うのは置いておいて、おれはあの日暴れた罪で、営倉入りになってしまったのだ。突然の乱心、という理由で心の医師などというものが出入りしているが、まあ、そのうち出られると思う。どうか気にせず、日々を幸せに過ごしてくれ。身体を大切に、な。何処までもおまえの友、マイクロトフ」
カミューは黙ってそれを読みました。
何度も何度も読みました。
文に顔を押し当て、はらはらと涙を流しました。
マイクロトフ。
赤騎士団内に友達がいなくても、こんなに優しい男が傍に居てくれたのに。
決してひとりぼっちなどではなかったのに。
カミューは歩き出しました。勿論、全部打ち明けてマイクロトフを営倉から救い出すためにです。
また赤騎士たちに避けられるようになってもいい。でも、マイクロトフが傍に居てくれないと、寂しくてたまらないのです。
「やっと分かった。おまえが好きだよ、マイクロトフ」
綺麗な涙に濡れた顔で、カミューはそう呟きました。
* * *
「アイリちゃんたら、やったわね〜」
紙面を読み終えたニナが深々と息を吐きながら洩らす。照れたように笑う少女の傍ら、美しい姉が頷く。
「ついこの間までネタ詰まりに唸っていたのにね」
「漫画じゃないけど、これでも良いかなあ?」
恐々と問うたアイリにニナは大きく胸を張った。
「四コマ漫画も捨て難いけど、小説だって全然オッケーよ。ちゃんとテーマにも合ってるし、今回はこれで行きましょ。タイトルは何にするの?」
「ええとね、「泣いた赤騎士」じゃ駄目かな。まんま、だけどさ」
同盟軍、深夜の本拠地の一室。
コソコソと集っているのは四人組の乙女である。最年長者で、ニナと同じグリンヒル出身のエミリアが眼鏡を摺り上げながら初めて口を開いた。
「アイリちゃん、このお話……出展はアレね?」
「あ、エミリアさん、知ってる?」
乗り出す少女に軽く笑む。
「伊達に図書館を与っていないわ。東方の昔話……、赤と青のモンスターのお話でしょう?」
「そう……なの?」
意外そうに瞬くニナにアイリは朗らかに説き始めた。
仲間である元マチルダ騎士団長らをネタに、妖しげな本を作り続ける彼女らは「マチルダ・サークル」なる一団を名乗っている。四人で個々に担当を決め、戦火の合間に同人誌の出版に勤しんでいるのだ。
同人とは同じ人、つまり同じ志を持つ者、同じ目をしている者といった意味合いであろう。噛み砕いて言えば、彼女らが作っているのは、元騎士団長らの恋物語を捏造した書物であった。
果たして何処まで捏造と言えるのか疑問なほど、二人の騎士団長は親密なのだが、一応はひっそり活動しているあたりに作品の妖しさ度合いが窺える。
さて、そんな中でアイリは、ほのぼのとした作風の四コマ漫画を描いていた。いざという時の頁合わせといった需要もあり、彼女は常に大量のネタを吐き出せるよう、日々強いられていた。
問題の騎士団長らには絶えず観察の目が輝いていたし、何しろ溢れんばかりの煩悩が渦巻いている。が、長く続けていればネタに詰まる日もやって来るというものだ。
相変わらず二人を見れば震えが走るほど燃え上がる煩悩を、アイリは首尾よく形に出来なくなってしまったのである。
四人は定期的に本を作っていた。どんなに不調に陥ろうと、容赦なく締切はやってくる。
此度の本のタイトルは「紅き涙」、テーマは文字通り「赤騎士団長の涙」である。とにかくカミューを泣かせなければならない。
僅か四コマでカミューをほのぼのと涙させる図案が思いつかず、やむなくアイリは同盟軍の一員であるタキを頼った。とかく物知りな老女に、赤と青という言葉を鍵として、何でも良いから話をしてくれと懇願したのである。
タキは快く物語を聞かせてくれた。それが東方の昔話、エミリアが指摘した通り、人間と仲良くなりたいモンスターの物だったのだ。
「やっぱ、最後は甘々っぽく締めようと変更したんだけど」
不安そうに言う少女にエミリアはにっこりする。
「良いと思うわ、元のままでも二人のモンスターの仲は十分切ないけれど、この方が無事に結ばれる感じがするもの」
ただ、と微かに表情が曇った。
「役割が逆っぽいのよねえ。相手のために画策を働かせるのはカミューさんの方が似合うんだけど」
「画策、って言っても無理があるけどね」
いきなり食堂で悪さをする青騎士マイクロトフ。似合わないと言えば似合わない。その点は十分に弁えていたアイリが苦笑を零す。
「配役を逆には出来ないの?」
ニナの問いには申し訳なさそうに肩を竦めて答えた。
「色が、ね。昔話のモンスターの色をそのままマイクロトフさんとカミューさんに当て嵌めると、こうなっちゃうんだよね」
「それに逆だと、営倉入りが口惜しくて泣いているみたい。マイクロトフさんの大いなる愛を痛感して涙する、っていう方が萌えるわ、やっぱり」
リィナがもっともらしく主張し、一同は即座に同意した。
昔話のもじりと言っても、元ネタを知らない者もいるだろう。欄外に小さく出展を記載しておけば、後日、元の話を読んで「ああ、これか!」と思ってくれる人も在るかもしれない。そのためには、あまり細部を弄らない方が好ましい。
それに、カミューならもっと巧みな画策を為しそうだ、というあたりでも乙女らの意見は一致していた。
「それにしても漫画と文章、両刀かあ。これは心強いわ。今後も頼むわよ、アイリちゃん」
ニナが激励するとアイリはいっそう頬を赤らめた。
「今回はタキさんが良いネタをくれたからいいけど、そうそう書けないよ。これで書き納めにする」
「あら、そうなの?」
姉の眼差しに彼女は小さく頷く。
初めての試みは楽しかったが、やはり勝手が違う。ネタを搾り出す苦しみと同じほど、ネタを文章で書き著すという行為は手の掛かる作業だった。その苦難を思い起こしながら感慨深げにアイリは語った。
「慣れないコトしたら、いつもの倍は疲れちゃった。やっぱりあたしは四コマで頑張るよ」
「そっか……うちの本では今までにない作風だし、勿体無い気もするけどなあ」
ニナは暫し首を傾げたが、仲間の決意が固いと見るや、早々に諦めた。編集担当のニナにとって重要なのは、漫画だろうが小説であろうが、きちんと締切通りに作品が提出される、という一点なのである。
「ともかく、これでアイリちゃんは脱稿ね、おめでとう!」
明るい宣言が執筆陣の乙女らを現実に引き戻した。進捗を追及されるよりも早く、シリアス漫画担当のリィナが妖艶な笑みを浮かべる。
「わたしも仕上げに入っているから、アイリが手伝ってくれれば明日にも終わるわ」
残るは一人、とばかりに一同の視線がエミリアに向かう。このところの寝不足で荒れた肌を撫でて、小説担当は嘆息した。
「はいはい、わたしがしんがりなのね。最近じゃ、もう慣れたわ」
「でも、絶対に締切には間に合わせる、それがエミリアさんの誇り……でしょ?」
まあね、と疲れた微苦笑で彼女は遠くに視線を投げた。
仲間が一人、また一人と、大手を振って戦列を離脱していくのは寂しいものである。
赤騎士団長を泣かせる、それが今回の作品における原則だ。
妄想の中でなら幾らでも泣かせ──あるいは鳴かせ──られるカミューなのに、いざ書くとなると、これが思うように泣いてくれないのは何故なのか。
挙句、手がけている話が仲間の検閲を受けた途端、「また寸止め?!」だの「濡れ場を書く気があるんですか!」だのと非難されるのかと思うと、これまた気が重い。
いっそ覚悟を決めて、突き抜けた方向に書き進めてしまおうか───などと思いながら、エミリアは今ひとたび仲間の初書き話を読み耽る。
昔話をもじった、心温まる作品。憎らしいほどにすんなりと泣いている赤騎士団長の図に心からの羨望を覚えながら。