異邦の民


西方グラスランド出身のカミューがマチルダ領ロックアックスに足を踏み入れたのは、十三歳のときである。
交易商人の隊商に混ざって遥か道程を旅しながら、向かう街に待つ新たな人生に胸をときめかせたものだ。想像を超えた荘厳な景色に圧倒された日を生涯忘れることは出来ない。
旅の道中、彼の素直な気質と類稀な容貌にすっかり惚れ込んでしまった商人の口利きで、城下に住まう正騎士の屋敷に住み込むことを許された。こうしてカミューは晴れて従者として騎士への第一歩を踏み出したのである。

 

さて、新天地での生活を始めた彼が最初に当たった壁といえば、言わずと知れた言葉の問題であった。
このデュナン地方が完璧なる標準語を使用していることはグラスランド在住中から知っていたが、彼の地でそれを学ぶことは至難であった。
ならばマチルダへの旅の途中でと考えたが、生憎商人らはゼクセンの民で、デュナンで使われる標準語とは微妙に異なる言語を使っていた。
無論、グラスランド訛りがあるとはいえ、意志の疎通に然したる問題はない。ただ、騎士という立場にはあまり歓迎されないであろうことも事実だった。
もともとマチルダ騎士は九割以上がマチルダ近郊出身者で埋められている。他の都市、まして都市同盟外の人間は稀有な存在なのだ。実力さえ伴えば、分け隔てなく上位を目指せるというが、それにはやはり標準語は不可欠の要素となるだろう。
カミューは早速言語の矯正に努めようとした。
だが、不幸なことに環境が悪かった。
主人である赤騎士は非常に無口な性格の上、彼の訛りを一向に気にする人間ではなかったのだ。屋敷の人間は従者という、言わば半使用人にも等しい少年を殆ど空気のように扱っていたから、対話によって言葉を覚えることも出来ない。
次第に焦燥に駆られながらも、彼は従者としての役割は完璧にこなした。やがて主人はカミューの資質、利発さに肩入れする気になったのか、彼を騎士士官学校に推薦してくれた。従者として最大のチャンスであり、これ以上望むべくもない厚遇だった。
唯一、言葉への不安は過ぎったが、それもいずれ解消してみせると意気込んで、カミューは士官学校へ編入扱いとして入学した。
位階は騎士見習い、ロックアックスへ来て一年あまりが経っていた。

 

 

 

馬の世話や使い走りに追われることなく、勉学や剣技に打ち込めるようになったことは僥倖だった。
カミューの美貌と才覚は直ちに士官学校中の噂となり、常に注目を浴びるようになった。
けれど、彼は孤独だった。
友人が出来なかったからである。
最初のうち、彼は努めて他人に話し掛けるように心掛けていた。会話のうちに標準語を学び取り、故郷の訛りを消そうと考えていたからだ。
だが、この士官学校に入学出来るのはマチルダの少年の中でも家柄の良い、経済的に豊かな子息ばかりなのだ。当然のことながら、彼らは綺麗な標準語を話す。そんな少年たちにとって、耳慣れない訛りは不快なものだったらしい。
カミューの容姿に惹かれて近寄ってきた者も、彼が二言三言返すうちに必ず眉を寄せる。次には困ったような笑みを浮かべて去って行ってしまうのだ。
次第に孤立することに戸惑い、いっそう仲間の輪に入ろうと努めたけれど、楽しげに談笑する少年たちでさえ、カミューが話し掛けるとそそくさに逃げ出す有り様。これではどうしようもない。
何としても標準語を身につけねばならないのはわかっているから、学問の師らの言葉を注意深く聞くことに努めたが、やはり日常会話で復習出来ないためか、成果は上がらない。気を遣って話そうとすればするほど、怪しげな発音になってしまうのだ。
やがて一人で居ることに慣れ始め、甘やかな薄紅の唇は滅多に開かれることもなくなった。士官学校内に与えられた部屋で書物を朗読し、標準語での独り言を呟き、ひとりぽっちの戦いに立ち向かうカミューだった。

 

 

士官学校での生活が一年を過ぎ、幾つかある級組が混合された。いよいよ従騎士に叙位されたのである。
ここでカミューは一人の少年と出会った。
彼の名はマイクロトフ、一つ年下の特待生である。剣や学問に特別優れ、尚且つ家柄も認められる者のみが与えられる待遇の少年だった。
驚いたことに、彼は最初からカミューに真っ直ぐに近寄ってきた。まともに標準語も話せない異邦人と噂されている自分を確かめにきたのかと身構えたカミューだったが、意外にも向けられたのは天真爛漫な笑顔だった。
人恋しさと将来への不安に押し潰されそうだったカミューは即座にマイクロトフに惹かれた。彼は訛りに動ずることなく気さくにカミューに語り掛け、また、話を聞きたがった。
ようやく得た友人に、カミューは堰を切ったように積もり積もった孤独をぶつけ、マイクロトフは真摯に受け止めてくれた。
標準語を話せるようになるよう協力すると生真面目に申し出られたときには、安堵で涙が浮かびそうになった。それはロックアックスに訪れて以来、ずっとカミューが待ち望んでいた他人の優しさだったのだ。
以来、番いの鳥のように常に並んで行動する二人の姿が見られるようになった。
マイクロトフは誠実だった。
あまり饒舌な質というわけではない。むしろ他の従騎士への態度を見ていると、無口といった方がいいほどだ。『ああ』とか『いや』とか、素っ気無い口ぶりで仲間に応対しながら、いざカミューと向き合うと実に雄弁な男、マイクロトフ。己の申し出を守り、語学上達に尽力してくれる友の誠意が心から嬉しいカミューであった。
しかし、彼の協力も虚しくカミューの発音はまるで進歩がなかった。
すっかり苦手意識に捕らわれてしまったのだろう、他のことなら人並み以上に器用にこなせるというのに、カミューは相変わらずグラスランド訛りから抜け出すことが出来ない。話そうとすると身体が強張り、無意識に故郷の言葉が出てしまうのだ。
この時期になると、学問の形態も指導騎士から一方的な講義を受けるというよりも、討論といったかたちが増えてくる。数人の従騎士と意見を交える場においても、カミューが発言するなり必ずといっていいほど『君はグラスラド人か』との質疑が入る。
そのたびに落ち込む彼を、マイクロトフは巌の如き辛抱強さで励まし続けた。口を開くたびに必要以上の緊張に駆られるカミューを宥めては、落ち着いてゆっくりと話せばいいと諭し、おまえになら出来ると拳を握る。
カミューはマイクロトフの情熱を信じることにした。出来る限りに心を静め、マイクロトフの発音に耳を澄ませ、馴染むように努め────
そしてようやく、自ら他人に語り掛けるだけの自信を手に入れたのである。

 

 

マイクロトフを探して立ち入った室内では、数人の従騎士仲間が四方山話に耽っていた。一瞬緊張が走ったが、気を取り直してカミューは彼らに近寄った。
ここのところのカミューの発音に、マイクロトフは太鼓判を押してくれていた。訛りの消えた今なら、避けられることもないだろう。こんなふうに他の仲間たちと親しく付き合うことも出来るようになる筈だ。
希望に満ちて、笑い合っていた一同にマイクロトフの所在を問い掛けた────のだが。
従騎士たちはぽかんと口を開けてカミューを見返した。無論、答えなど返らない。彼らの視線は妙なものを見たような色合いで、やっと自信を持ち始めたカミューを打ちのめすのに充分であった。

 

やはり、駄目なのだ。
どんなに苦心して努めても、自分の発音は怪しげなのだ。紛い物の標準語、異邦の訛りの残った……────

 

なまじ希望を抱いていただけにショックは大きかった。
カミューはくるりと踵を返し、脱兎の如く部屋を逃げ出した。見送る従騎士たちは狐につままれたような怪訝な思いであったが、カミューと入れ替わりにやってきたマイクロトフに詰問口調で事情を問われ、今の出来事を説明した。
大柄な相棒は、逃げた友の後を追って部屋を飛び出していった。

 

 

 

カミューが向かったのは、城の西にある森である。
騎士たちの墓を奥に控えたこの森には、滅多に人が訪れない。つらいとき、彼はよくここへきて一人涙したものなのだ。
マイクロトフと出会って以来、あまり訪れることはなくなっていたが、久々に足を踏み入れた森は傷ついた心を柔らかく慰撫してくれた。
草むらに身を投げ出して悲しみに暮れていると、ふと背後に重い足音が響く。
「カミュー……」
傍らに膝を折り、優しく掛けられた声にこらえていたものが溢れた。
「やはり、わたしは駄目なんだ……精一杯努力してみても、いつまで経っても標準語一つまともに話せない駄目な人間だ。こんなわたしが騎士に叙位などされよう筈もない……わたしは落伍者だ」
「……カミュー」
「すまない、あんなに協力してくれたのに……マイクロトフ、もうわたしに構わないでくれ。おまえの勉学の時間を割くわけにはいかないよ、これまで本当にありがとう」
そこまで言ったとき、厳しい叱咤が飛んできた。
「アホぬかすなや、カミュー!!」
剣幕に驚いて顔を上げると、マイクロトフは生真面目な顔を紅く歪めていた。
「マイクロトフ……?」
「何や、弱気ンなるやなんて、おまえらしゅうないやんけ! えぇか、言葉なんてもんは気合や! いつもゆーとるやん、おまえなら出来ん筈ない!」
「そうは言うけれど……」
腕を掴んで座り直させられたカミューは、真っ向から睨みつける友の凝視に耐えかねて目を伏せる。
「さっきも……まともに相手にしてもらえなかったんだ……」
「聞いたで。カミュー、おまえ……何言ぅたん?」
「……『マイクロトフ、何処におるか知っとる?』」
ううむ、とマイクロトフは腕を組んで考えた。
「悪ぅないやん。通じん筈ないんやけどな〜……。せやな、呼び掛けん時、『な〜』つけてみ。語調が整うで」
「……『な〜、マイクロトフ、何処におるか知っとる?』、こんな感じかい……?」
「ええ感じや」
マイクロトフはにっこりした。
「多分、やけどな……連中、驚いたんとちゃうか。おまえから何や話し掛けられるん、珍しかったんで」
「そ、そうだろうか……」
「そーや。えーから、ほかしとき。気にすることあらへん」
「ほ、ほか……?」
ああ、と彼は爽やかに微笑む。
「『ほかす』……ん〜、『捨てる』の意味や」
毎度毎度粘り強く指導してくれる年下の友人。カミューはやや潤んだ瞳で精悍な顔を見詰めた。
「マイクロトフ……どうしてそんなに良くしてくれるんだい? わたしがおまえなら、とうに匙を投げているだろうに……」
するとマイクロトフはにわかに頬を染め、慌てて視線を逸らした。これまで見たことのない反応に戸惑っていると、彼はもぞもぞと地面に座り直し、膝の上に拳を揃えた。
「そ、そらおまえ……決まっとるやん……」
語尾が消え入りそうである。困惑して瞬くカミューに、彼はちらちらと気まずそうな目を向ける。
「すっ、き……やから……」
「え?」
「……好きやからに決まっとるやんけ!」
終に覚悟を決めたかの勢いで、マイクロトフは怒鳴った。
「ああ、そうや! 初めて会うたときから、ずっと……おまえのことが好っきやねん!!!」
────カミューにとって、愛の告白というものはもう少し穏やかで甘いものの筈だった。こんな怒られるような口調で告げられるものではなかったので、一瞬呆然とした。
「好き……?」
「……何度も言わすなや、アホ〜」
「で、でも……わたしは男だよ……?」
「分かっとる」
ぽりぽりと頭を掻きながら呟き、マイクロトフは俯く。
「せやけど……好きなもんは好きなんや、しゃーないやん」
最後は何やら開き直った口調であったが、カミューはマイクロトフの迫力ある告白を厭うていない自分に気付いた。それでも何と返したものか思案にくれていると、マイクロトフは燃える瞳で彼を抱き締めてきた。
「おれんこと、嫌か?」
「そ、そんなことはない」
「じゃ、好きか?」
「う、うん……」
「そか」
やや勢い勝ちの感もあるが、同意を得たマイクロトフは勇んで彼を草むらに押し倒す。突然の展開に身じろぎも出来ないでいると、目前の黒い瞳が優しく笑いながら言った。
「おまえはちゃーんと騎士になれるで。おれが付いとる、いつまでも一緒や」
「うん……」
「好きや、カミュー……」
「わたしもおまえが……好き、だよ……」

 

……多分。
きっとそうなのだ。マイクロトフといて感じる安堵感は、恋の為せる仕業に違いない。
……と思う。

 

「好き、やねん……マイクロトフ……」
ゆっくりと降りてきた唇に塞がれる瞬間、カミューの唇は初めて標準語の温かさを実感した。

 

 

 

 

 

そのころの従騎士たち。

「あー、たまげたな〜。カミューの奴、急に話し掛けてくるんやもんな〜」
「うっかり鼻の下、伸びるとこやったで。それにしても、近くで見るとますますえらい別嬪やな〜」
「しっかし、ずいぶん言葉、よーなったな〜」
「何や、おまえ……あの訛り抜けんとこが可愛い、言うてたやん」
「せや、一生懸命標準語話そ、思てるところがいぢらしくてたまらんで〜。けどな、傍寄られるとドキドキして、よー話せんのが難点のど飴(注・ギャグ)や」
「マイクロトフの奴、よー耐えられるな。やっぱ、どっか鈍いんとちゃうか?」
「まー、マイクロトフやからなー」
「カミュー、何処まで行ったんやろ。今度、思い切っておれらから話し掛けてみん? このままマイクロトフべったりってのは勿体無いで」
「せやな〜、そうしてみっか」

そこで一人の従騎士仲間が飛び込んできた。

「大変や!!!! そのマイクロトフが西の森でカミュー、押し倒しとったで!!」
「何やてー?! 見たんか、おまえ?!」
「見た。この目で見た。そ、それにな……ちゅーまでしとったで!!!」
「な、何やて?! ホンマかいな!!」
「あんのムッツリ……やりやがったわ、何ちゅー手の早い……!!!」

一同は愕然として沈黙した。
やがて、誰かがポツリと呟く。

「……しっかし、よりによって何で墓場の近くなんや……?」
「しょーもない奴っちゃな〜。やっぱ、マイクロトフやな〜」
「…………………………」
「…………………………」
「…………しゃーないな」
「ああ、しゃーない。おれらが遠巻きにしか見とられんかったとき、あいつはずーっとカミューの面倒見とったもんなー」
「おれも男や、ここはまー、祝ったろ」
「せやな……せやけど、ちーとシメてやらんことにゃーおさまらんで」
「一発ド突いて……それで勘弁したるか。な〜」

 

その夜、マイクロトフがどういう目に遭ったか、誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

月日は流れ────
青騎士団の頂点まで昇り詰めた熱血騎士は、現在離反行動の真っ只中にある。

 

「おれは!! おれは騎士である前に人間や!! 騎士の名ぁなんていらんわ、ボケェ!!!」

 

そして、柱の影からその光景を見詰める青年が一人。
あれから何とか標準語を会得し、マイクロトフ同様地位を極めた赤騎士団長カミューである。
未だに気を許すとグラスランドの言葉が出てしまう。だから努めてゆっくりと話すようにしているのだが、それが何とも言えぬ品格を生むらしく、彼は騎士団随一の優雅な騎士とうたわれていた。
カミューは息を詰めて語学の師であり、恩人であり、恋人でもある男の啖呵に聞き惚れていた。
「ああ……マイクロトフ、相変わらず見事だ……迫力といい語感といい……まだまだわたしは敵わない……」
思考回路は今もグラスランド言語。だからこそ、すべてにおいて完璧なマイクロトフへの憧れは尽きない。
「語調を整える『ボケ』の使い方……わたしではとても咄嗟に出ないよ……」
うっとりと呟くと、ふと気を引き締める。
「そうだ、見取れている場合ではない、訓練せねば。ええと……『マイクロトフ、しゃーない奴っちゃな〜、ち〜と頭、冷やさんかい』……こんなものでいいかな。よし、行くぞ!」

 

自らに気合を入れ、カミューは足を踏み出した。
誰よりも愛しく大切な、人生を支えてくれた友に向けて。

 


参考資料は夫の実家での会話ナリ。
○○(町名)弁という独自の呼び名があるとかで、
「ごっつ〜汚い大阪弁」(義母談)だそうな(笑)

ちなみに執筆後に義母が
「どや、落ち着いたか〜」と電話をくれたので、
幾分修正が入ったり(笑)
ありがとう、お義母さん!
関西弁はあったかくて好きですv

……それにしても。
いかにも大阪で考えた話ッスね。
方言を記述するのはぼっけぇ難しい……。

 

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