良心の城


それはある夜のこと。
新同盟軍・本拠地に与えられた自室へと向っていた青雷のフリックは、隣室の前を通り抜けようとしてふと足を止めた。
次第に増える同志の数に増築を重ねた居城。当然のことながら重厚な作りとは言えない部屋の数々。彼の隣室の主は元マチルダ青騎士団長マイクロトフである。
地声が大きく、動作も大雑把である男の部屋から洩れ聞こえる物音に最初は閉口したフリックであるが、朴訥で飾り気のない気質に触れてからは目を瞑れるようになっていた。
が、今宵足を止めたのは、扉口から聞こえてきた声が尋常でなかったためだ。

『……っ、もう嫌だ……』

掠れた響きは、マイクロトフと対を為す赤騎士団長カミューのもの。あまりに切羽詰った声色が通り過ぎようとしたフリックを足止めした。

『嫌だ……怖い───』

そこでフリックはぎくりとする。
およそ恐怖心や怯えといったものとは無縁と思える、優美でありながら飄々とした青年カミュー。端正な姿を思い浮かべながら、フリックは眉を寄せた。

『やめてくれ、頼むから』

次第に懇願を滲ませて訴える切なげな声。扉の中でいったい何が起きているというのだろう。

『それ以上は……っ、ああ───』

喧嘩か?
いや、どうも違うようだ。フリックの騎士団長らへの認識では、些細な行き違いで本気の諍いなど起こりそうにない。まして、常に余裕を感じさせるカミューが縋るような声を上げるような事態など、容易に想像出来ないのだ。
精一杯の想像力を掻き立てたフリックが行き着いた結論は、思わず頬を染めるようなものであり、一連の流れから最も考え得る状況でもある。
しかし、それは同時に彼を悩ませた。先ほどから聞こえるカミューの必死の声。これはどう考えても自ら望んで、といったものには聞こえない。扉一枚隔てた向こうで展開されているように思える光景は、仲間思いのフリックにとって耐え難い事態であるようなのだ。
どうしたものかと思案に暮れながら、いつしかピッタリと扉に耳をあてて様子を窺っていた彼は、終に洩れた細い叫びに息を詰まらせた。

『…………っ……! マイクロトフ……!!』

半ば哀願にも取れる苦しげな悲鳴。たまらず彼はノブを回していた。

 

 

「マイクロトフ、いったい何して……!!!」

 

 

飛び込んだフリックはその場で固まった。
カーテンがしっかりと引かれており、部屋は闇に包まれていた。唯一灯った明かりは床に置かれた一本の蝋燭。脆い光が驚いたように目を見開くマイクロトフと、彼から逃げるようにして耳を塞いでいるカミューを映し出した。
───ちなみに、両名とも着衣のままである。
「フリック殿……、何か……?」
最初に気を取り直したらしいマイクロトフが怪訝そうに問う。予想と異なる展開に一瞬白くなっていたフリックが答える前にカミューが床を這うようにしてにじり寄って来た。
「フリック殿、良いところへ! 助けてください、マイクロトフを止めてください」
「と……止めるって……」
自身に縋るようにしている赤騎士団長は、涙目の美しい琥珀を揺らしていた。
「わたしは嫌だと言ったのに……いくら頼んでも止めてくれないのです」
「って、……だから、何を……?」
「怪談です」
カミューは唇を噛み締めながら答えた。あんまりと言えばあんまりな答えにフリックが更に呆然としていると、彼は悔しげに続けた。
「昔から怪談話は苦手なのです。なのに、わたしが怖がるのを面白がって……ひどい男だと思われませんか?」

 

───ああ、かなり。

 

フリックは心中で同意しつつ、盛大な溜め息をついた。が、自分がもっとひどい男を連想していたことは胸の奥深く押し殺すことにする。
「まあ……ほどほどにしろよ……?」
言いながら、くるりと踵を返す。
まったく馬鹿馬鹿しいにも程がある。常日頃、どこか妙に甘い雰囲気を漂わせていると噂の二人に、気付かぬうちに毒されていたのかもしれない。考えてみれば男が男に襲い掛かるなんて、そうそうある筈がないではないか。
ほっとしつつ、やはり脱力したのは事実だ。とりあえず、この馬鹿馬鹿しさを相棒ビクトールにでも訴えて憂さを晴らさねば眠れない。
ごく常識的で良心的な青年は自室へ戻るのをやめて、相棒が残っているであろう酒場へと歩き出した。

 

 

 

 

 

ある日の午後。
久々に空いた時間を利用して本拠地屋外を散歩していたコボルトの将軍リドリーは、敷地内にある塔を見上げるウィングホードの少年に目を止めた。
快活で物怖じしないチャコ少年だが、このときばかりは不安そうな顔を隠し切れずに数人の住人たちと深刻そうに相談し合っているのだ。
「どうしたのだ?」
声を掛けると、チャコは顔見知りのコボルト将軍に力を抜いた。
「それが……塔の上から声が聞こえてくるんだ」
「声?」
「『離せ』だの、『助けてくれ』だの……」
「な、何事が起きているのだ?!」
リドリーは驚いて慌てて塔を見上げた。
仲間内の諍いか、あるいはもっと卑劣ないじめか。いずれにしても、一団を率いるものとして見過ごすことは出来ない。
「何故踏み込んで行かぬのだ」
厳しく問うと、チャコは複雑そうに肩を竦めた。
「それがさあ……声があの人っぽいんだ」
「あの人?」
「……赤騎士団長」
リドリーはいよいよ驚いた。
優美で礼節に厚い青年騎士団長のことは、彼も好ましく思っている。そんな彼が本拠地内で窮地に陥っているなど、確かにチャコが突入に躊躇しても不思議はない。
いや、むしろ急がねばならない。あの誇り高き若者が助けを求めるほど切迫した事態。よもや本拠地内に敵が侵入し、優れた剣技を誇る同志を追い詰めているならば。
リドリーは腰に携えた短剣を抜いた。それからチャコに向って厳しく命じる。
「おまえたちは下がっているがいい。もし、わたしが戻らなかったら……ウィン殿に報告を頼む」
悲壮な覚悟で臨もうとするコボルト将軍に、少年は僅かに顔を歪ませながら頷いた。彼は勇猛な将であるけれど、個人としての武力からすれば赤騎士団長には及ぶまい。それでも仲間を助けに向おうとする男には目映いばかりの意志があった。
「き、気をつけて」
「うむっ!」
短剣を握り直し、リドリーは塔の内部へ侵入した。そのまま螺旋状の階段を駆け上がり、雄々しく宣言する。

 

 

「赤騎士団長カミュー殿! 助力致しますぞ!!!」

 

 

それは敵対しているであろう相手に自らを誇示し、窮地の同志から意識を逸らそうという精一杯の配慮だった。が、塔の上から反応は返らない。
リドリーは焦った。時既に遅く、美貌の赤騎士団長は敵の刃にかかってしまったのか、目的を果たした敵は脱出に取り掛かっているのではないか───
目も眩みそうな憤怒に駆られながら走ったリドリーは、だがその頂上で呆気に取られた。
そこでは目指す赤騎士団長と相棒である青騎士団長マイクロトフがリドリーの来訪に困惑したようにこちらを見返していたのである。
「カミュー殿……それに、マイクロトフ殿……?」
「リドリー殿……」
マイクロトフが微笑んで姿勢を正した。
「リドリー殿も展望を楽しみにいらしたのですか?」
同時にカミューがよろよろとリドリーの方へ進み出る。
「ああ……駄目だ、わたしにはとても耐えられない……」
絶え入るような声にようやく我に返ったコボルト将軍は怪訝な声で問う。
「な……何をしておいでか?」
するとカミューが溜め息を洩らしながら口元を押さえる。
「眺めが綺麗だと無理矢理連れてこられたのです。実は、わたしは高いところが苦手で……降りると言ったのに離してくれなくて」
「…………………………」
「『一団の将たるもの、高所を不得手として何とする』などと言われても……正論とは思いますが、駄目なものは駄目なのです……」
「さ、左様か……それは気の毒に、カミュー殿」
とりあえず案じていた敵襲でなかったことにほっとして、それからリドリーは深々と考え込んだ。一分の隙もないように思われる赤騎士団長だが、意外な弱みを持っているものだ。
しかし、誇り高い彼としては自ら弱みを口にすることはあるまい。だとしたら、こんなかたちではあるが知ってしまった自分が心を配ってやるべきだろう。戦いの陣形において高所が当たらぬよう、さりげなく尽力してやることにしよう。
生真面目さではマイクロトフに勝るとも劣らぬコボルトの将軍は、青年騎士団長二人を見詰めながら微かに笑むのだった。

 

 

 

 

また、とある日の本拠地内・大浴場。
風呂職人であり、ここの管理の一切を任されているテツは、男風呂に入っていった数人の住人が恐ろしげに戻ってくるのに眉を寄せた。
「おう、どうした。何か問題でもあったかよ?」
職人芸の粋を凝らした風呂は、常に城の仲間たちを喜ばせ、幸福に導く憩いの場だ。こんな顔をされて黙っていられるわけがない。
テツの詰問に男たちは顔を見合わせ、それから近寄ってきた。
「それがね、……どうも妙な感じなんですよ……」
「妙? おれの風呂が妙たー、どういうこった!」
「いえ、風呂ではなくて、中の様子が……」
思い切ったように一人が進み出た。
「何か……喘ぎ声みたいのが聞こえるんですよ」
「それだけじゃない、『痛い』とも聞こえたぞ」
「『もっと優しく』とも聞こえた……それもあの、赤騎士団長さんの声だったような……」
テツは首を傾げた。
男性限定の浴場で、というのが今ひとつ釈然としないが、彼らのもたらす情報が指している内部での行動は何となく分かる気がした。風呂職人の勘である。
「ちょっと様子を見て来てくださいよ、おれたちじゃ入りづらくって……」
折角気持ち良く汗を流しに来たのに、内部を気遣って引き返した男が心苦しげに言う。周囲も倣うように頷き合った。
「お…おしっ、皆が使う神聖な風呂で妙な真似しくさるたぁ、とんでもない連中だ。おれが一発、説教してやるっ!」
勇ましくサラシを巻いた腹を叩き、彼は番台を下りて脱衣場に向かった。途端、情報通りの切なげで甘い声が響いてくる。

『あっ……もっとゆっくり……っ……』
『───こうか?』
『駄目だ、苦しい……』

背後で息を詰め、尚且つ頬を染めている連中の期待を込めた視線に応えるべく、テツは思い切って浴場の扉を開いた。

 

 

「てめーら、おれの風呂で何して…………!!」

 

 

叫んだテツの視線の先に泡だらけになって仲良く前後に並んで座る青年騎士団長が二人。
背後に回った青騎士団長マイクロトフの手にはタオルがあった。突然乱入した風呂職人に驚いて止まっているが、彼が赤騎士団長カミューの背中を流していたのはあきらかだった。
「テツ殿……?」
マイクロトフがぽかんとして呼び掛ける。それを上回って唖然としていたテツは、次に視覚に滑り込んできたカミューのなめらかな白い肌に一気に紅潮した。
「す、すまねえ! いや、実はこいつらが妙な声が聞こえるっつーからよ、おれは別に……」
「妙な声?」
怪訝そうに返したカミューが、ああと微笑んだ。
「申し訳ありません、わたしの所為ですね。久しぶりに背中を流してもらっていたのですが、まったく馬鹿力で……皮が剥けそうだったのです」
「そ、そうかい……」

 

───なら、もうちっと色気のない声で頼むぜ。

 

風呂職人は心で呟き、それでも愛想良く笑った。
「いやー、風呂はハダカの付き合いだからな! 仲が良くって何よりじゃねーか、ははは」
そのまま勢い良く扉を閉め、ずんずんと脱衣場を出て行こうとする。
このマチルダ離反組の騎士団長たちには、あまりに親密な関係であるということから様々な噂が捏造されていた。が、今見た二人は兄弟のように仲の良い若者でしかない。
「……男同士で乳繰り合ってるなんて噂、やっぱ信じちゃいけねーよなあ……」
昔気質の職人テツは自らを諌めつつ、元通り番台に座り直した。男たちは結局今宵の風呂を諦めることにしたようだった。

 

 

 

 

そして更に数日後の夜。
青騎士団長マイクロトフの部屋にて、美貌の青年は微笑んだ。
「布石は打った。これで心配いらないよ」
しなやかな腕が伸びて男を引き寄せる。僅かに屈んだマイクロトフの唇は、想い人の甘い唇に塞がれた。

 

新同盟軍に参加してからというもの、愛し合う二人にとっての懸案は居室の壁の薄さにあった。急ごしらえの城では贅沢は言えないのは承知である。だが、隣室の話し声、上下階の物音まで響く部屋は、恋人同士の交わりにはあまりに不適切な場であった。
彼らは互いの関係を恥じるつもりはなかったが、やはり道徳的に祝福され難いものであることは事実だ。まして気配は微妙に滲んでしまうのか、二人が恋愛関係にあるのではないかとの噂がいつのまにか同盟軍内に生じていた。
カミューはそこで一計を講じたのである。

 

「これだけ匂わせておけば、たとえわたしの声が洩れようとも『ああ、またか』と思われるさ。さあ、マイクロトフ……もう何も気にせず、おまえと……」
しどけなくもたれ掛かられ、なまめいた瞳で見上げられたマイクロトフは、だが僅かに表情が暗かった。まだ案じているのかと微笑んだカミューは、躊躇しているらしい男をそっと寝台へ押し遣った。
そこでマイクロトフも意を決したように息を吐き、慕わしい人の背を抱き寄せたのだった───

 

 

 

 

 

さて、カミューの画策も虚しく、二人の関係はあっという間に同盟軍中に知れ渡ることとなった。
幸いなことに非難や嫌悪は皆無で、むしろ微笑ましいもののように受け取られたのであるが、カミューとしては何となく釈然としない。
その日も愛を交わした後、寝台にうつ伏せながら憮然と呟いた。
「それにしても……どうして隠し通せなかったのだろう……」
傍らに横たわるマイクロトフは、天井を睨み付けながら小さな溜め息をつく。
「カミュー……おれたちがこういう仲になって何年経つか、覚えているか……?」
「ん? 忘れるはずがないだろう、かれこれ三年……三年半になる。そうか、もうそんなになるのか……」
唐突な疑問だったが、カミューは感慨深そうに答えた。それから心地良い疲労を噛み締めるように伸びをして、やがて穏やかな眠りに落ちていった。

 

 

───マイクロトフには言うことが出来なかった。
カミューが画策のために四方で洩らした声、それには拒絶めいたものばかりではなく、『いい』『もっと』『やめないでくれ』を追加しなければならなかったのだ、などということは。
よくよく考えてみれば、忘我の最中に自らが洩らす言葉など、カミューが知らなくても無理はないのかもしれないが。

 

「……三年半経っても、おまえのおれへの認識はそれか……」

 

少なからず物悲しい思いで呟いたマイクロトフは、それでも策に溺れがちな恋人を愛しげに胸に抱き寄せるのだった。

 


策に溺れて墓穴を掘る赤でした。
幸せだから結果オーライv

実は……リドリー将軍、好きなんです〜。
あの禁欲的っぽいところが何とも……vv
やっぱ舌技は凄いんでしょーか。 

 

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