汝の敵は……


 

「マイクロトフ団長、少々お時間をよろしいでしょうか?」
そう呼び止めたのは、赤騎士団の第二隊長である。
所属の異なる騎士が接見を求めてくるのは珍しいことだ。怪訝に思いながらも青騎士団長マイクロトフは男の後に続いて歩き出した。
誘い入れられたのはロックアックス城の中でもほとんど使われていない、古い資料室の一角である。だが、それでも第二隊長は厳重に周囲を確認した上で、小声で囁いた。
「実は、我らのカミュー様に関することなのです」
予想通りである。
戦時下でもない限り、他騎士団の人間が近づいてくるとしたら、それは彼らの愛する赤騎士団長に関する用件以外の何ものでもないだろう。
大きく頷いたマイクロトフに、なおも第二隊長はしきりにあたりを気にしている。よほど内々にしておきたい話なのかと首を傾げたとき、彼は地を這うような低い声で切り出した。
「ご存知ですか? 実は今……我らのカミュー様が、とある女性とお付き合いなさっておられるという噂が流れていることを……」
一瞬反応出来ず、マイクロトフは瞬いた。
「カミューが……?」
「わたしも初め、些細な風評かと一蹴しておりましたが、先刻、部下が目撃してしまったと報告に参りました。我らのカミュー様が、城下の街を女連れで歩かれておられた、と……」
マイクロトフは苦笑した。
「それは……まあ、あいつのことだから……女性を連れて歩くことくらいは……」
「甘い! 甘いですぞ、マイクロトフ団長!!」
人目を忍んでいるのをすっかり失念したように第二隊長は叫んだ。
「ただ横に並んで歩いているだけなら、我らとてこうも騒ぎ立ては致しません。が、その女性がかような振る舞いに出ていたと耳にしても、穏やかでいられましょうか?!」
言い放つなり、彼はマイクロトフの左腕に両腕を絡みつかせ、べったりと肩口に頬を寄せてきた。ただでさえ同等の体格をした大男にしどけなく寄り添われ、思わず鳥肌が立ちそうになるマイクロトフだったが、相手は大真面目である。
「このように! 我らのカミュー様の腕に蛇のようにへばりついて! はしたなくも胸元を押し付けていたというのですぞ!」
「ア、アレン……わかった、わかったので……頼む、離し……」
「確かに見目はそう悪くはなかったようですが……無論、我らのカミュー様のご容姿に勝ろうはずもなく! 何やらコロネパンのような髪を結い上げて、孔雀のように着飾った高慢そうな女性だったとか。現在、情報を収集させておりますが、そこそこの家柄であることは間違いないようで」
「アレン、頼む……腕を……」
「さながら『カミュー様はわたくしのものよ〜〜』と周囲に見せつけるような態度が腹に据えかねる、とのことで。わたしも報告を聞いて眩暈がしました」
現在眩暈中のマイクロトフは、必死で頷きながら身を捩る。
「そして何よりも! わたしが耐え難いのは、我らのカミュー様の反応です!」
「カミューの……?」
流石に一瞬マイクロトフは身じろぎを止めて第二隊長を窺った。相手は心底納得出来ないといった哀しげな顔になっている。
「カミューがどうかしたのか?」
「信じ難いことではあるのですが……頬を染めておられた、というのです!!」
「…………────」
「こう……気恥ずかしげに女性から顔を背けられて……俯きがちに歩いておられるお姿がまたひどく儚げでお美しく、どう考えてもあの女性には勿体無いというのが部下の意見でありました」
マイクロトフは大男に絡みつかれているのも忘れて呆然とした。何とか動揺を隠そうとしたが、声は上擦った。
「頬を染めて……だと?」
「左様! さながら恋に打ち震える乙女の如く、目線も定まらず、孔雀女性のなすがまま……」
怒りが蘇ったのか、第二隊長は声を震わせている。
「ああっ、カミュー様。あなた様が選ばれる御方なら、我らは祝福するだけの心は持っております。しかし、どうも、何故か釈然と致しません。ようやく最近…、やっと…………やっと心に折り合いをつけたばかりですのに〜〜」
────よもや『心の折り合い』が自分に関することとは知る由もないマイクロトフは、だが留意するだけの余裕もなかった。
「ご安心下さい、マイクロトフ団長! 今後も随時報告は入れましょう。ええ、我らのカミュー様がかような孔雀女性に奪われるのを指を咥えて見ているわけには参りません。事と次第によっては妨害工作も辞さぬ覚悟であります故」
力強く宣言する赤騎士団・第二隊長と自失している青騎士団長。未だしっかりと腕を組んだ状態のまま、二人はどこまでも真剣であった────

 

 

赤騎士団長カミューと恋仲になって2年程が経つ。
決して大きな声で触れ回れない想いではあるものの、彼を選び、生涯を共に過ごす相手と出来たことはマイクロトフにとって誇らしき喜びであった。
かつてカミューは多くの女性と浮き名を流してきたものだ。だが、マイクロトフと関係を結んでからは一度として浮いた噂のひとつも出たことはなかった。
無論、今聞いたような話を前にしても、彼の変心を疑う余地はない。それほど容易く違えられる想いでないという自負はある。
だが────
心の何処かに燻るものが生まれた。
────街中を腕を組んで歩ける恋人。
まあ、多少この厳粛なロックアックスの街では奇異ではあるが、誰の目にも不自然ではない、祝福される恋人模様だ。
だが、自分とカミューは?
無論、そんな真似をしたいわけではない。けれど、ほんの僅か体温を確かめるために頬に触れるのさえ人目を憚らねばならない関係を引き合いに出せば、やはり気持ちは暗くなる。
あの、どこまでも華やかなカミューを薄闇の中でしか満たされぬ関係に引き摺り込んでしまったのではないか。
これまで一度として考えたことのなかった懸念。それは夕暮れの雷雲のように突如大きく胸に広がっていく。ただでさえそうしたことを考えるのが苦手な男は、慣れない不安にいっそう減り込んでいくのだった。

 

 

「大変ですぞ、マイクロトフ団長!」
数日後。
再びマイクロトフは赤騎士に呼び止められた。今度は第三隊長である。
彼はマイクロトフを用具室に押し込むなり、狼狽した様子で口を開いた。
「例の孔雀嬢の素性が知れましたぞ。何と、ゴルドー様の縁者だったとか」
「ゴルドー様の……?」
「我ら、一丸となって情報収集にあたりましたところ、判明したのです。その上、あろうことか現在ゴルドー様を通して内々に縁談を進めようと画策している模様」
「縁談だと?!」
さすがに冷静ではいられず、マイクロトフは声を荒げた。第三隊長は強く頷いた。
「ゴルドー様が間に入られては、我らのカミュー様に逃れようすべはありません。それに……実に申し上げにくいが、あれからもたびたび孔雀嬢と逢引を重ねるカミュー様を目撃するものが後を絶たず……しかも毎回頬を染められて……考えたくはありません。ありませんが────まさか、本気で……」
「……………………」
マイクロトフは固く唇を噛み締めたまま考え込んだ。
最初に話を聞いてから、カミューには何も問い質していない。
カミューを信じていても、どうしても平静でいられないのは事実だったし、噂が立った経緯を知るのも忌々しかった。
いっそ問い詰めて洗いざらい聞き出してしまえば解決するのだろうが、それも女々しくて躊躇われた。そうこうしているうちに、事態は思わぬ展開を迎えてしまった。足早に変わっていく状況に、色恋沙汰に不慣れなマイクロトフはついていくことが出来ないでいる。
「────失礼致します、エルガー隊長」
そこへ赤騎士団員が一人、人目を忍ぶようにやってきて声をかけた。
「何事だ、取り込み中だぞ」
「承知しております。マイクロトフ団長もご一緒でございますね……?」
「ああ」
「例の孔雀めが、マイクロトフ団長を直々に呼びつけております」
「何だと……?」
マイクロトフは第三隊長と顔を見合わせた。一団を束ねる騎士団長を、一般市民が訪ねて来ることなど滅多にない。あからさまにゴルドーの威光を嵩にした挑戦的な態度だと判断したのだろう、赤騎士の表情は険しい。
「城を出て東の見晴らし台にて待つ、とのことであります。マイクロトフ団長、何としても勝利していらしてください!!」
「い、いや────その…………」
果し合いでもあるまいに、両拳を握って鼓舞する赤騎士に、マイクロトフは訳もわからず首を傾げる。すでに自分と赤騎士団長の仲が騎士団で公認とされていて、少なからず応援の気炎が吹き荒れていることなど当然知らない。
「残念ながら、我らはお供することまでは出来かねますが……城内よりマイクロトフ団長の武運をお祈り申し上げておりますぞ!!」
第三隊長が戦地へ赴く騎士へ捧げる礼を取る。弾かれたように、報告にやってきた騎士が倣った。
二人の敬礼に見送られる形で、何処か釈然としないまま、気の重い訪問者を迎えるべくマイクロトフは用具室を歩み出たのだった。

 

 

 

振り向いた顔は、確かに美女という定義で括られるものだった。
あまりしげしげと女性の顔を見るという習慣のないマイクロトフだが、相手の容貌が整っていることくらいは認めることが出来る。幾分化粧が厚く、毒々しい紅を引いている気はするが、人目を引く女性であることは間違いない。
彼女がカミューの横に鎮座する様を思い描くと、胸が重くなった。
正直言って、やはりカミューの方が幾倍も綺麗に思える。その点では、赤騎士連中の指摘に同意出来なくもない。
それでも彼女が祝福されるべき存在であることは否めないだろう。
ゴルドーの後ろ盾があれば、あるいはカミューは婚姻を拒み通すことは出来ないかもしれない。
だとしたら自分は。
自分の想いの行き場は────

「マイクロトフ様、ですわね?」
険のある声が問い掛けた。明らかに己の優位を疑わない、大上段に構えた口調だった。
「お初にお目に掛かる。青騎士団長マイクロトフ…………」
一応の誠意を持った答えを、彼女は鼻で笑い飛ばすように遮った。
「わたくしはイライザと申します。白騎士団長ゴルドー様の縁戚の者ですの」
女は纏った威光を隠すどころか前面に押し立てた。権力を振り翳すゴルドーに、ただでさえ日頃から好感を持っていないマイクロトフとしては気分の良くない展開である。
「では、イライザ殿。おれに何用ですか?」
「如何にもご迷惑、というお顔ですのね。早くお戻りになりたいかしら?」
ふふんと嘲笑って、イライザはこれ見よがしに豊かな胸を突き上げた。
「でも……これをお聞きになっても、そのお顔が続くかしら? カミュー様のことですのよ?」
相手の挑発に乗るまいと固く自制を働かせていたが、早くも挫折しそうだった。恋しい相手の名を出されただけで、マイクロトフは明らかな動揺を見せてしまったのだ。
「カ……、カミューのことで、何故おれに…………」
「あら」
女は不穏な笑みを浮かべると、それから突如忌々しそうに顔を背ける。
「思い当たる節がおありではなくて? わたくしとて色々耳にしておりますのよ、貴方とカミュー様のおぞましい噂を────」
「お、おぞましい…………?」
イライザは今度こそ敵意を剥き出しにマイクロトフを睨み付けた。
「殿方同士で淫らな関係に陥っているという噂ですわ! わたくし、耳にしたときには俄かに信じられませんでした。あの清廉で麗しいカミュー様が、同性と……何ておぞましい!!」

 

祝福されない恋だという自覚はあった。
だが、それをおぞましいと非難されることがあるとは────
マイクロトフは愕然として立ち竦んだ。

 

「カミュー様は昔から華やかなお噂を重ねてこられた御方、殿方に走られる要因など何一つありませんわ。貴方が引き込んだとしか思えません! 反論出来まして?」
「………………それは────」
「わたくし、以前よりカミュー様をお慕い申し上げておりました。でも、この噂を聞いて改めて決意致しましたの。わたくしの愛で、カミュー様を汚れた関係からお助けしてみせますわ!」
生来の口下手の上に、女のあまりの勢いについてゆけず、マイクロトフは反論するタイミングさえ見つけることが出来なかった。
そして何よりも────
自分たちが必死に辿り着いた結論を、汚らわしいの一言で片付けられてしまうことに衝撃を受けていた。

 

自分たちだけが認めていれば。
それは世間への後ろめたさを忘れるための言い訳なのだろうか。
自分はカミューを望まぬ道へ堕としてしまったのだろうか。
そう考えるのは間違いのはずだ。同じ道を選んでくれたカミューに対する侮辱ではないか。
だが────
本当に正しいと言い切れるのか。
二人だけで、世間から背を向けて育む想い。
自分は後悔しないと断言出来る。だが、カミューは────

 

「ゴルドー様にお願いしようと思っておりますのよ、わたくしたちの婚姻を取り持っていただけるように。でも……わたくしとて騙まし討ちのような真似は不本意でしたから、こうして前もってお知らせに参りましたの」
「カ、ミューは…………」
「カミュー様? まだご存知ありません。でも……快く承諾して下さると思いますわ。幾度かお会いしていただいておりますけれど、とても紳士的でお優しくて……わたくしに好意を持ってくださっておいでと自負しておりますの。それに、ゴルドー様の御声掛りの婚儀となるのですもの、将来の白騎士団長も夢ではなくなりますわ。あの方は聡くていらっしゃいますし、ご自身のメリットは量っておいでと思います」
「……………………」
「そういう訳ですの。真にあの御方に相応しいのは貴方ではなく、わたくし。カミュー様がわたくしを選ばれたとしても、どうぞお恨みになりませんよう。それだけお伝えに来たのですわ、マイクロトフ様」
勝ち誇ったように微笑むイライザに、何も言えないままマイクロトフは唇を噛んで俯いた。
認めたくはない。
だが、万一カミューがそれを望むなら────この、摂理に反した恋に引き込まれたことを悔いて是正を望むなら。
黙って見送るしかないのだろうか?
────これほどまでに想っていても。

 

そのときだった。不意に背後から規則正しい足音が響いた。
はっとしたように目を見開いて即座に蕩けるような笑顔になった女に、慌てて振り向いたマイクロトフは、真っ直ぐに自分たちに歩み寄ってくる真紅の姿に眉を寄せた。
「カミュー……────」
幾度見ても慕わしい、美貌の青年。華やかに匂い立つような輝ける存在。
やはり胸が痛んだ。
彼が背を向けるなら、やはり追わずにはいられないだろう。抱き締めて、決して逃れられぬように捕えてしまう────
目前に迫った白い顔を食い入るように見詰めていたマイクロトフだが、矢庭に振り上げられた彼の右手に目を見開いた。横のイライザが思わず息を詰めて身を縮めるのに、咄嗟に庇おうと身体が動きかけたのだが、カミューの右手は女を擦り抜けて、彼の頬で乾いた音を立てたのだ。
小気味良い響きが耳元に弾け、続いてじんじんと痛みが広がっていく。平手ではあるが、容赦ない一撃だった。
唖然として瞬きを繰り返すマイクロトフは、カミューの琥珀が怒りに燃えているのに気づいた。
「カ……────」
だが、声を出すことも許されなかった。きつく睨み据えられて言葉が凍りつく。その間にカミューはイライザに目を向けた。
「────生憎、レディに手を上げる趣味はないのでね。それにこの男にも腹を立てているので、これで帳尻を合わせることにします」
凛として言うなり、今度はマイクロトフの胸倉を掴み、力を込めて引き寄せた。
不意に唇に訪れた柔らかく甘い感触。
それがくちづけであることに気づくよりも早く、忍び込んだ舌先が口腔を蹂躙する。マイクロトフの頭は真っ白になった。
────人前で。
それも結婚話が持ち上がろうとしている乙女の前で、あまりにも無造作に、尚且つ情熱的に与えられるくちづけ。
角度を変えるたびに洩れる熱い吐息がマイクロトフを混乱の境地に追いやった。
無論、目撃しているイライザはそれ以上に呆然としていた。
真っ赤な唇をあんぐりと開けたまま、食い入るように光景に見入っている。
「……────っ」
こんな非現実的な状況にあっても、マイクロトフの心に火が点いた。思わずカミューの背に腕を回し、きつく抱き締めてしまう。腕の中にいる間は、何よりも確かな存在だと信じることが出来たから。
貪るようなくちづけは、長い長い情熱を交わした後、ようやく終焉に向かった。微かに息を乱しつつ、カミューはゆっくりと手袋で濡れた口元を拭いながら女に向き直る。
「────失礼。理解していただくのに一番手っ取り早い手段に思えたものですから」
「あ、の────」
「わたしはこういう男なのですよ、レディ。根も葉もない噂でもなければ、彼に引き摺りこまれたわけでもない。わたしの意思で、こうして彼を選んだのです」
「カミュー……────」
「で、でも」
何事か言い募ろうとしたイライザを軽く手を挙げ押し止めると、カミューはうっすらと笑みを浮かべた。
「わたしこそ、あなたに相応しい男ではありませんよ、レディ。わたしは夜毎、この男に抱かれてヒィヒィ悦んでいるような男です。ゴルドー様にご報告なさりたいなら、ご随意に。わたしは別に逃げも隠れもしません。仮に団長職を失ったとしても、後悔は致しませんよ」
「あ、あの…………」
「おまえもおまえだ、マイクロトフ!」
笑みを消したカミューがマイクロトフを振り仰ぎ、厳しい口調で一喝する。
「どうして言われるままでいる! おまえの気持ちはその程度か? それとも、わたしの気持ちが信じられないか!」
「カミュー……」
「わたしが生涯『ただ一人の相手』だと言った言葉は偽りか?」
「い、偽りなどではない! おれはおまえのことだけを────」
「ならば言え! 誰が何を言おうと、互いが互いを自らに相応しいと認めたのだ、と────わたしを誰にも渡す気はない、と!!」
刹那、マイクロトフは考えることを放棄した。
もともと悩むのは性に合わないのだ。カミューの勢いに押され、マイクロトフは本心だけを掴み取ることに成功した。
「渡さない────誰であろうと。おまえはおれの……おれだけのものだ! 誰に認められずとも、おれは生涯おまえだけを想い続ける!!!」
「────よし」
必死で訴えたマイクロトフに、カミューはやっと笑みを返した。そして、改めて呆気に取られたままのイライザに今度は穏やかな口調で言った。
「……あなたのお気持ちは嬉しく思います。しかし、わたしもマイクロトフと同じ気持ちです。生涯────彼以外と添うつもりはありません」
「カミュー…………様…………」
「非礼はお詫び致します。どうぞ、あなたに相応しい相手をお探しください」
カミューはしなやかに礼を取る。
「行くぞ、マイクロトフ」
「あ────ああ……」
さっさと先に踵を返したカミューのほっそりした背を一瞥し、マイクロトフは未だ自失から立ち直れずにいるイライザに視線を戻す。あれほど権高だった女が、今は見る影もなく小さく、か弱く見える。微かに痛みを覚えた。
────これはさっきまでの自分の姿なのかもしれない、そう思ったからだ。
マイクロトフは低い声で呟いた。
「おれは────誰にも負けずカミューを想っています。それだけは……誰恥じることなく言うことが出来る。カミューが同じ気持ちであるなら……もう何も迷うことはない。……失礼」
ぺこりと一礼して、マイクロトフはカミューを追い掛けた。胸が痛まないと言えば嘘になるが、恋人に追いつく頃には彼の息遣いがすべてとなった。
「………………───言いたいことはあるか、マイクロトフ」
不意に憮然とした声が問い詰める。明らかに怒っている。
「…………すまない」
「わかっているなら、二度とわたしを煩わせるな」
「…………面目ない」
深々と頭を垂れた上で、ずっと疑問に思っていたことを切り出した。
「それにしても……カミュー……、何故あそこに……」
「部下たちにせっつかれたのさ」
不機嫌そうに彼は答えた。
「何だか訳がわからなかったが、やけに焦って飛び込んできたかと思うと、おまえがレディと果し合いに出掛けたから何とかしろ、と…………」
────果し合い。
思わず脱力しかける。確かにそう呼ぶに相応しい対峙であった気がする。しかも、一方的に劣勢の、思い出したくない争いだ。
「まあ、あいつらの言うことだから話半分に割り引いたが、一応様子を見に行ったのさ。そうしたら────」
思い出したようにカミューは苛々と首を振り、キッとマイクロトフを睨んだ。
「反論もせず、言われっ放しで……おまえの想いを疑いそうになったぞ?」
「────すまない……おれは……」
「慣れないことに頭を使うな。おまえはここで考えているのだろう?」
カミューはトンとマイクロトフの厚い胸板を叩く。
「わたしが結婚するなどと言い出したら、ひっ攫うくらいの覚悟をしてくれていると信じているのだが?」
「も、勿論だ!」
マイクロトフは即座に頷いた。
「おれが間違っていた。一瞬でも動揺してしまうとは……すまない、カミュー…………」
「まだまだ修行が足りないな」
カミューは朗らかに笑い飛ばした。
「まあ……恋愛経験の浅いおまえだからな、許してやるさ」
「おれも……聞きたいことがあるのだが」
「何だい?」
「噂を────おまえが、あのイライザ殿としきりに出歩いていると聞いた」
「ああ……まあね。ゴルドー様の縁者だというのは初めに聞いていたし……断り難かったというのはあるな。それに、何と言うか……勢いが激し過ぎて、断るタイミングを計れなかった……、というのもあるが」
先刻のイライザの、口を挟む隙もない迫力を思い出し、納得してしまうマイクロトフだ。
「だが………その、街中を腕を組んで歩いている、という話も……」
「積極的過ぎるレディだよ。まあ……あるいは既成事実のように周囲に見せつける、という意図もあったのかな? 穿ち過ぎかもしれないけれどね」
苦笑したカミューに、更に聞き難いことを切り出した。
「…………おまえが……かなりその気に見えた、という証言も耳にした」
「わたしが?」
今度は不思議そうに首を傾げるカミューだ。
「おまえが……彼女に腕を組まれて……赤くなっていた、と……」
やっとのことでマイクロトフがわだかまりを吐き出すと、一瞬目を見開いたカミューは笑い出した。
「おまえ────それは嫉妬というものかい?」
「わ、笑うな。おれは真剣に……」
「それはアレだよ、……香水さ」
「香水……?」
「おまえ、気づかなかったか? 彼女、いつも物凄い香りをさせているのさ。どうも苦手で……出来るだけ息をしないように心掛けていたんだ。それで多分苦しくて赤くなっていた、という訳だ」
マイクロトフは呆気に取られた。
「だが───その……香水……って……おまえが……? そんな話、初めて聞いたが……」
「まあね」
カミューはにっこりしてそっとマイクロトフに身を寄せた。
「昔はいざ知らず……今は香水の香りよりも好きな匂いがあるからね」
「────!!」
途端に真紅に染まる男らしい顔に、カミューは揶揄するように言い募った。
「……さっきの台詞だけれど───少々おまえに肩入れし過ぎた気がする」
「さささささっきの台詞って??」
「────ヒィヒィ悦んでいる、のくだり」
もはや爆発寸前に熱しているマイクロトフの頬に、カミューはするりと指先を這わせた。
「どうだろう? 今夜あたり……努力して貰いたいものだけれど?」
挑発的な視線に、マイクロトフは頬を染めながら必死に頷いていた。
────これが自分たちのあるべき形なのだという幸福に満たされながら。

 

 

 

 

さて。
後に残された乙女がひとり。
きらびやかなドレスに身を纏い、見晴らし台を吹き上げる風に見事に結い上げた巻き毛を揺らしている。
二人の青年騎士団長が去ってからも、彼女は長いことその後ろ姿を追い求めるように立ち尽くしていた。やがて彼女は設えてあるベンチのひとつによろよろと座り込み、両腕で身体を支えるようにして身を伏せる。
だが────その口元にあるものは、恋しい男に逃げられた失意の乙女が洩らす嗚咽ではなく、妖しげに歪んだ笑みである。
「────────ふ」
不意に乙女は低い声を洩らす。丸みを帯びた肩が震え出し、それは次第に大きくなった。
「ふ………………ふ、ふふ………………」
それは不気味な笑いだった。やがて堪え切れなくなったのか、彼女はぱっと顔を上げた。その表情は歓喜に輝いている。
「何故これまで気づかなかったのでしょう、わたくしとしたことが!」
乙女は誰憚ることなく声を上げた。すでにそれは先程までの乙女とは別人に等しい、我欲に取り付かれた亡者の姿。
「偏見、偏見でしたわ!!  美しい殿方が屈強な殿方に組み敷かれている構図! 汚らわしいどころか、萌えますわ!! ああ、どうしてこれまでこの世界を知らずにいたのかしら〜〜!!」
乙女はふらりと立ち上がると、ドレスの裾を舞わせながら一回転した。
「あの普段穏やかなカミュー様の垣間見せた情熱! 押されながらも、褥では優位にコトを進めておられる(らしい)マイクロトフ様……あああ!! どうしましょう、止まりませんわ〜〜〜」
勝手に坂道を転げ出した乙女は、ふと拳を握り締めた。
「いいえ────駄目よ、イライザ。この素晴らしいお二人の愛!をわたくしだけの胸に仕舞っておくのは罪悪ですわ……幸い、わたくしはゴルドー様のつてがあるし、騎士団の情報は入手出来るのですもの───より真実に近しい物語を書くことも出来る……」
終に乙女は自らが天に与えられた使命を見出した。
「物語!! そう、それですわ!! カミュー様とマイクロトフ様の愛を、すべからく世の乙女たちに知らしめるのですわ! そうして、お二人が偏見のない満ち足りた愛を育めるよう影からお祈りする……それがわたくしのなすべきこと! それがわたくしのつとめなのですわ〜〜!!!」

 

────どうやら一応ゴルドーの縁者。
その身を流れる血潮には、確かに熱い騎士の血が流れているらしい。
はた迷惑にも行く道を見定めた乙女は、その後ロックアックスを代表する同人作家となり、一度は敵に回した騎士団員の崇拝を集めることになるのだが、それを当事者の恋人二人が知ることはなかった────

 


長ェ(笑)
どうして阿呆なオリキャラは書いていて楽しいのでしょう。
騎士団と同人女、二組の阿呆を出したばかりに
やたら話が長くなりました……とほ。

今回、青はうじうじしてます。
だってイメージがキャ○ディだから……(笑)
耐え忍ぶ青。
赤は、ちと強引な丘の上○王子様でした。

イライザ……まんま使っちゃいましたよ、名前。
いいッスよね、まちやさん(苦笑)

やっぱり奥江的にはヒィヒィ、カタカナだな……ブツブツ。

 

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