Rain


 

「……それにしても」
元・マチルダ青騎士団長は溜め息をつきながら呟いた。
「────誇り高きマチルダ騎士が、買い出しに駆り立てられるとはな……」
「……『騎士の名などいらない』のではなかったか?」
肩を震わせながら元・赤騎士団長が返した。
ここはサウスウィンドゥ。
ジョウストン都市同盟でも随一の商業の街であるミューズが敵の支配下に落ちている現在、同盟軍においては物資補給の貴重なルートのひとつである。
マイクロトフが渋い顔をしているのは、その補給の内容であった。
当初、新たな剣の主人にこの任を与えられたときには誇りで胸が一杯になった。とかく寄せ集めの貧乏所帯、装備もアイテムも常に欠乏している同盟軍。ひとつの目的のために心を合わせる仲間が少しでも快適な環境で戦えるなら、と即座に快諾したのだが────

 

「…………よもや生活用品とは思わなかった……」

 

枕二百五十個、布団六百組、歯ブラシ千五百本……云々。
渡された書面を塗り潰しそうな勢いで書き殴られた数々の物品に、見れば見るほど脱力していくマイクロトフである。
だが、そんな彼を相棒は笑い飛ばした。
「あの城は同盟軍の本拠地ではあるけれど、避難してきた住民の住処でもある。最初に説明を受けただろう?」
「……それは十分に承知しているが……」
「こうした任についているのはわたしたちだけではない。戦いの合い間をぬって、みんな大忙しだ」
「────人手不足も極まれり、だな……」
またも大層な溜め息を零した彼に、カミューは薄い笑みを浮かべた。
「……『フライのレシピ』探しの方が良かったか?」
「………………………………」
確かに、あの城が兵士の生活の場であることは理解している。だが、誇りを賭けた戦いに臨むと意気込んでいただけに、この妙な緊迫感のなさに戸惑うのだ。まあ、あの澄ました顔をした軍師が直々に指示したことだし、何よりカミューが同意したから否はないのだが。
城に残った部下の騎士たちも、城の増築作業に借り出されている。初めての大工仕事に苦心しながら、必死に同盟を守り立てようとしているのだ。ならば、文句を言うのも憚られる────そう自らを諌めるのだが、やはり愚痴は洩れてしまう。
「まあ、いいじゃないか。この──……騎馬部隊用の馬・三十頭、というのをおまえに選ばせてやるから」
カミューはなおも笑いながら、かろうじて読める品書きの箇所を指した。マイクロトフとしては、貴重な軍馬よりも洗濯石鹸の方が大きく扱われているのが気になったが。
この街に来て丸一日が経ち、自分たちがこの任を与えられたことを次第に納得しつつあるマイクロトフではあった。
正確には『自分』ではなく『カミュー』が、なのであるけれど。
元・赤騎士団長は見かけに寄らず、実に根性の逞しい青年だった。海千山千の商人を巧みな弁舌でやり込めて、見事に値切りまくる姿には一種の感動さえ覚える。
整った容貌、相手を魅惑する甘い声、くらっときた商人に有無をも言わせず値引きを要求するタイミング。
成る程、これは理に叶った人選だ───彼は横で感心するばかりである。
軍師から与えられた手持ちの資金の半分以上を、カミューは自らの才で残していく。まったく、素晴らしいまでの買い叩きぶりなのだが、相手が決して損をしたと思っていないあたり、悔しいような気がするマイクロトフだ。
自分だけに与えられるはずの綺麗な笑顔を、カミューは同盟軍のために大安売りする。だが、そうして残された資金が再び有効活用されるのだと思うと、つまらぬ嫉妬は押さえ込むしかない。
マイクロトフは散々煮詰まりながらも、嬉々として任務をこなすカミューを見守るばかりだった。

────どうやら、彼はこの役を楽しんでいるらしい。
思い起こせばロックアックス時代、派手好きなゴルドーが溜め込んでは忘れていく宝物の数々を倉庫から密かに引っ張り出しては、ちゃっかり売り飛ばして末端の騎士の装備を補強してやっていたカミューである。
華麗な外見とは裏腹の、したたかで柔軟な考え方を垣間見るのも、それはそれで楽しいかもしれない────そう前向きに考えることにした。
「それで……いったいこの大量の物資をどうやって城まで運ぶ? いくら馬も得るとは言え、おれたち二人ではとても……」
「ああ、それは大丈夫」
カミューは軽く肩を竦めた。
「三日後に、騎士団員がテレポートで送られてくる。わたしたちの任は、あくまで物資の確保までだよ」
「そうなのか……」
ややほっとして、マイクロトフは溜め息をついた。そんな彼の様子を窺っていたカミューが、探るように顔を覗き込んだ。
「────こうした任務は疲れるかい?」
「い、いや……おまえは楽しそうだな────……」
「まあ……ね」
彼は前方から駆けて来た少年をひらりと避けてマイクロトフの懐に飛び込んだ。その拍子に柔らかな髪が鼻先を掠め、不思議な甘い香りが漂う。知らず動揺したマイクロトフに気づかず、カミューはにこやかに言い放った。
「財の運用には才覚がいる。それを期待されたのは光栄だし、……それに」
「それに?」
彼はふと上目遣いにマイクロトフを見た。その瞳に揺れる悪戯めいた輝き。
「────久しぶりに、こうしておまえと二人っきりだし」
「…………────!」

同盟に参加して以来、カミューは見事に二人の関係を隠匿して振舞った。
『新たな環境に順応するため』と称して城のあちこちで女性と言葉を交わし、マイクロトフには『ごく親しい友人の一人』といった姿勢を保ち続けていたのだ。
寂しい、などと思う暇もないほど日々に追われていた。
合い間をぬっての束の間の逢瀬がなかったなら、いっそ関係に終止符が打たれたのではないかと思われるほど、カミューは素っ気無く、つれなかった。
だが────

「…………聞いてもいいか?」
「────ん?」
「おまえが…………とても、その……はしゃいでいるように見えるのは……おれと二人で居るから────なのか?」
するとカミューは虚を突かれたように目を見開き、見る見る頬を淡く染めた。彼は無言で足を進め出す。遅れたマイクロトフは慌てて背後から追い縋った。
「カミュー、おい────」
「…………………………」
「どうした、何を怒っている?」
「…………………………」
「おれは────気に障ることを言ったか?」
「────信じられない男だな」
ようやく足を止めた彼は、背中を向けたまま小さく応じた。
「…………そういうことを真面目に聞くか? 少しは察しろ、……朴念仁」

 

────────────ポツリ。

 

最初の雨粒は火照った顔に心地良く感じられた。
だが、その恩恵を味わい尽くす前に、立て続けに零れ落ちてきた雨が思考を中断させる。
往来は突然の降雨に右往左往する市民で騒然となり、マイクロトフは一瞬しなやかな肢体を見失いかけた。
「カミュー!」
大声で叫びながら行き交う人の向こうに見慣れた華やかな顔を探す。
「カミュー、何処だ?!」

 

ふと。
人々の流れが割れて、そぼ降る銀糸に浮かび上がった姿を見た刹那、マイクロトフの世界から時間が消えた。
彼を探しているのだろう、無防備な眼差しで不安げに周囲を見回す青年。
張り詰めた緊張の陰はなく、曝け出された無垢な恋心。
暖かな色合いの栗金色の髪に飾られた雨粒の輝き、頬を濡らす雫は涙にも似て。
失われた音────他の誰も目に入らない。
ただひとりだけが陽炎のように揺らめいてマイクロトフを貫いた。

「────ッ!」
大股で駆け寄ると、しなやかな腕を思い切り掴んだ。
「あ、マイクロトフ……」
広がる安堵の気配は隠しようがない。

────彼はこうして自らを繕っているのか。
涼やかな笑み、軽い会話。
そうしたもので身を守りながら、唯一人の不在に怯え、これほどまでに切ない目をする────

マイクロトフはカミューの手を握り締めた。驚いたように目を見張る彼に構わず、往来をずんずん進む。
つい先程まであれほど賑々しく群れていた人々は、幻のように消え失せていた。すでに心休める場所に身を潜めたのだろう。
見渡す限り無人の路地、多くの住人の息衝く不可思議な密室。
宿屋近くまで来ると、そこでカミューを胸に抱き込むように建物の壁に押し付けた。
「マイクロトフ……?」
「────こうしていれば、雨が凌げる」
「そうかもしれないが…………おまえが濡れる。それに、これは通り雨ではない。宿に戻る方がいい」
「おれのことは構うな。おまえが濡れなければそれでいい」
するとカミューは不本意そうな口調で抗弁した。
「……わたしは深窓の令嬢ではない。そこまで過保護にしてもらう必要は────」
マイクロトフはいっそう強く恋人を壁に押し当てた。さながら世界のすべてから隠そうかというような、強引で猛々しい行為にカミューは口を閉ざす。
「────嫌なんだ」
搾り出すように洩れた本意。
「おまえを────誰にも見せたくない……」
しっとりと雨の洗礼を受けるカミュー。儚げでたおやかで、尚且つ気高く清らかだ。こうして腕に取り込んだ彼の、長い睫にもつれる細やかな水滴が、瞬くたびに弾けて霞む。

 

おれのものだ。
────彼はおれだけのものだ────
たとえカミュー自身がそれを許そうと、何人たりとも今の彼を見せたくはない。

 

流石にカミューは周囲の状況を気にした。だが、突然の降雨にクモの子を散らしたように消え失せた街の住人の姿は相変わらずない。
そこでようやく彼は力を抜いた。
「────……なのに……」
「カミュー?」
「いつだって────おまえだけのものなのに」
恋人は蕩ける口調で呟いた。
僅かに起こした上体の分だけ空いた距離から、カミューは真っ直ぐにマイクロトフを見詰めている。
「カミュー……────」
男の落としたくちづけは、最初は緩やかに、次第に業火となって広がった。
いつしか回されたカミューの腕が、切なく背を掻き乱し、体温を奪わんとする雨を凌駕してマイクロトフを燃え上がらせた。
「……んっ…………」
魂すら奪い取ろうとする要求に、洩れる微かな吐息。
どれほど数多の人間が彼の笑顔に酔い痴れても、この秘めやかな息遣いを耳に出来るのは自分だけ────
細い肢体を拘束しながら独占の悦びに浸る。
官能を駆り立てる柔らかな喘ぎに、身体の芯が震え出す。
「────……戻ろう」
耳朶を甘噛みされながらカミューがうわ言のように口走った。
「……頭からずぶ濡れだぞ、マイクロトフ。風邪を引く……」
「構わない」
「構わなくはないだろう? それに────」
彼はお返しとばかりに、マイクロトフの耳のすぐ下に舌を這わせた。
「…………幾らなんでも……ここで最後までは御免だ」
弾んだ息遣い。
思わず覗き込んだ恋人の琥珀の目にも、激しい欲望が灯っている。
そのまま溶けてゆくのではないかと思われるほど、濡れて輝く妖しい瞳。
マイクロトフは陶酔しながら頷いた。
「…………今日はこれ以上の任務は無理……、のようだし───な」
「そう。雨が上がるまでは────」

 

天を覆い尽くす重苦しい色の雲。この分では多分、明日も雨────

 

「……それにしても、おまえ────まるで川に落ちたみたいだ」
揶揄するように囁いたカミューに、マイクロトフはにやりと微笑んだ。
「ならば────……一緒に溺れてくれ」

 

 


ゲロ甘い青赤……というよりは。
「カミュー様、商才あり!」の巻ですね。
まあ、この堅実(なのか?)な財布の握り方は
将来の結婚生活の役に立つでしょう(死)。

まあ、「逆立ちしてちゅう」よりはマシですよね、
ざかやん……(苦笑)
それにしてもラストの青の台詞……クサい(爆)

 

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