初冬の脆い朝陽に見守られた訓練を終えて、白い息を吐きながら鍛練場内に散る騎士らを見遣る。
そろそろ朝寝が恋しくなる季節だ。未だ暗いうちから精進に励み、日の出を迎えてからつとめに向かう部下の謹直を誇らしく思う。
訓練終了時を見計らってタオルを届ける役を担う従者らが騎士たちの間をぬってまめまめしく行き来している。目を細めて見守っていると、不意に横からタオルが差し出された。
「今朝はまた一段と気合いが入っておいででしたな」
騎士服を上半分だけ脱ぎ落とした姿で薄い笑みを浮かべているのは第一隊長メルヴィルだ。
「そうか? いつもと同じだが……」
タオルを受け取りながら首を傾げると、部下は闘技場の端に視線を投げた。その先には、ぐったりとへたり込んでいる副長ディクレイがいる。
「……指示を出される必要がありそうですな。各人、自己の調子を鑑みつつ鍛練を行うように、と。団長の勢いに付き合っていては、つとめの刻限前に青騎士団は壊滅してしまう」
ふむ、と生真面目に腕を組んで考え込み、ポツと呟く。
「おれに合わせろと命じたつもりはないのだが……」
「それは団長の理屈です」
メルヴィルはきっぱりと一蹴した。
「子が親の背を見て育つように、騎士は上官に倣うことを信条とする。たとえ命じずとも、彼らは何処までも団長についていこうと心掛けますからな」
成程、そういうものかと頷いて真っ直ぐに部下を見詰めた。
「分かった、明日からは個人の体力に合わせて鍛練するよう指示する」
「ありがたい。わたしも助かります」
大袈裟に両肩で息を吐いた男が、ふと表情を改める。
「昨夜はお出掛けだった御様子で」
「急ぎの用でもあったか?」
「部隊の小隊編成で裁可をいただきたかっただけです。まあ……、外泊とは伺っていなかったので無駄足は踏みましたし、少々案じは致しましたが」
せめて側近には夜間の行き先を明言しておけとの遠回しな諫言なのだろうと解して、笑いが零れる。
「そう言えば伝えるのを失念していた。すまん、昨夜はカミューの部屋で休んだ」
「カミュー団長の……?」
メルヴィルは微かに眉を寄せ、押し黙った。
「どうした?」
すぐに表情を緩めた男が淡々と呟く。
「あれだけ質の違う御方と親密でおられるのは、些か不思議に思えますな」
「そうか?」
逆に首を捻ったマイクロトフは、続く言葉に更に困惑した。
「実に怖い御人だ。生まれてこのかた、わたしはあれほど人を恐ろしく思ったことはない」
「カミューが……怖いだと?」
思い掛けない言葉に呆気に取られ、彼はまじまじと部下を見る。
ええ、と苦笑した男は柔らかく言い募った。
「あの優しげな姿に騙され、侮った者は痛い目に遭うでしょうな。穏やかそうに見えて、実は猛火を飼っておられる。ひとたび敵と認めれば焼き付くさずにはおかぬ焔を、です」
それから窺うようにマイクロトフを見遣る。
「……無論、味方なれば闇夜の焚火の如く、頼もしく明るい光となりましょうが」
暫し考え、重々しく返した。
「ならばおまえが恐れる必要はないのではないか?」
───敵ならばいざ知らず、メルヴィルにとってカミューの焔は脅威となろう筈がない。
すると部下は瞬いて、次には破顔した。己の首筋に巻いたタオルを両手で引っ張り、天を見上げて目を閉じる。
「成程、言われてみればそうでした。騎士たちの無欲なる献身を一身に受ける温かな輝きなら……わたしも一つ知っている」
伴侶の側近たる男たちの忠節はマイクロトフも羨むところだ。
無論、自身に与えられるそれが劣るとは思わない。ただ、メルヴィルは彼ら赤騎士の力を認め、そうした献身を捧げられるカミューを畏怖混じりに讃美しているのだろう。
そこでやや冷え始めた汗に気づいたマイクロトフは、上衣をずらして逞しい半身を曝した。
冬場のタオルは温水で絞られている。未だ仄かな温みを残す布地で身体を拭って漸く、朝の鍛練の終了を感じた。
「良いことを知った。おまえの憎まれ口が耐え難いときは カミューに泣きつくことにしよう」
「……斯様に情けない策に走られては青騎士団長の名折れです。お止めいただきたい」
いつもながらの遣り取りの後、マイクロトフは口調を改めた。
「……あいつの内に燃える炎は、おれも常々感じている」
自身にこそ言い聞かせるように訥々と語る。
「その炎が赤騎士団を包み、導く。おれも斯く毅く在りたいと思う」
「今以上の毅さをお望みか。さて、強欲な騎士団長殿でおられる」
軽い揶揄には不敵な笑いで応じた。
「強欲とは不本意な言葉だ。望みが高いと言ってくれ」
言いさして、そろそろ人気の減った闘技場を見渡して身を捩ったとき。
ふわりと布が上体を覆った。
無造作に地に落ちていた騎士服をメルヴィルが拾い上げ、肩に掛けてくれたのだ。礼を言おうと向き直ったが、初めて見る男の表情に言葉が詰まった。
微かに目を見開き、唇を真一文字に引き結び、深刻な眼差しで見詰める騎士隊長。丸出しの不機嫌、更には人を小馬鹿にするような笑みは良く見せるが、こんな顔は未だ見たことがない。
沸き起こる不審を堪えて努めて軽く訊いた。
「どうかしたか?」
「あ、いえ……」
ひどく似合わぬ口籠り方。それから一度だけ視線を落とし、彼は真っ直ぐに瞳を合わせてきた。
「長々と冷気に曝されて風邪でも召されては、苦労するのは副長やわたしですからな。団長も、そのあたりは重々弁えていただきたい」
「そんなに柔ではないぞ」
朗らかに笑いつつ、忠言通り騎士服に袖を通し始める。そんな彼を依然無表情で見守っていたメルヴィルが、ポツと独言を洩らす。
「……これは予想外だ」
「何がだ?」
「よもやそこまで進んでいたとは……。団長の、望みを貫く信念というものを少々侮っていたかもしれない」
「だから、何がだ?」
顔中に不可解を浮かべて部下を睨み据えるが、あくまで韜晦し通すといった顔つきに嘆息しながら首を振った。
「おまえはもう少し他人に親切な会話を心掛けた方が良いぞ。何を言っているのか、さっぱり分からん」
はあ、と神妙に頷いた次には人を食った笑みを見せ、矢鱈と丁重な礼を取る。
自分も性分を変えられる人間ではないが、腹心の男も同様であるらしい。けれど、真に必要ならば言葉を選ばぬ人間であるのも事実だ。
含みは恐ろしいほど在るが、裏はない。それがマイクロトフの第一隊長への評価である。追及を諦め、話題を変じた。
「そうだ、メルヴィル。一つ任を受けてくれるか」
「確認などなさらずとも宜しい。命じられれば、地の果てへも赴きましょう」
「実は交渉……というか、商談を一つ纏めて欲しいのだ。おまえが適しているとカミューに勧められてな」
騎士団の都合に左右され、売れる宛てのない高価な品を抱え込んでしまった商人。救済を思案していたマイクロトフに道を与えた伴侶は、その役目に第一隊長メルヴィルを推したのだ。
マイクロトフにはカミューの思惑がすべて理解出来ていた訳ではなかったが、少なくとも彼の適材適所といった手腕を信じているし、賛同しない理由もない。
ただ、メルヴィルが相手の不利を考慮に入れて商品を買い叩く懸念は捨て切れなかったが。
事情を詳しく説明すると、男はうっすらと微笑んだ。
「……成程。確かに団長や副長よりもわたしが適任らしい」
「分かるのか、カミューの意図が?」
「お分かりになりませんか。だから団長は不適格なのです」
今にも吹き出しそうな顔でメルヴィルは説く。
「要は、我が青騎士団長が如何に寛容で慈悲深い御性情であるかを商人に諭し、今後あなたのために尽力したいと思わせよ───そうカミュー団長は仰せなのです。御二方では、商人に恩を売るような真似は難しいでしょうからな」
恩を売る。
カミューも同じような言い回しをしていた。思い至って、マイクロトフは考え込む。
「おまえがカミューの意図を読めるのに、おれに出来ないというのは釈然としない」
憮然と唸ると、今度こそメルヴィルはにっこりした。
「そう出来ぬあなただからこそ、カミュー団長は慕わしく思っておいでなのでは?」
そうなのだろうか。
即座に言葉の真意を悟れぬ疎さをもどかしく思ってはいまいか。
昨夜の遣り取りを思い返して思案に暮れる彼を、男は温かく見詰めて続ける。
「それはさて置き、見込まれたからには成し遂げます。城下に青騎士団の伏兵を一名、確保して御覧に入れましょう」
「……威圧はならんぞ」
「御意」
肩を竦めながらの返答。
こればかりは任せるしかないだろう。メルヴィルは確かに自分や副長ディクレイよりも交渉事に向いているように思う。罪のない民間人に無意味な権威を振るう男でも有り得ない───ただ、言動がやや威圧的に見える可能性は残るけれど。
気を取り直して見回した闘技場は、すっかり空になっていた。何時の間にか、隅で息を切らせていた副官も執務室に向かったようだ。
「そろそろ行かねば。つとめに遅れようものなら、またディクレイに小言を食らってしまう」
最後に騎士服の襟を止めた彼は、誰もが平伏す雄々しき騎士団長の威厳を取り戻していた。それでいて、口にするのは少年めいた自戒である。落差が可笑しかったのか、メルヴィルは首を振って背を正した。
そうして先に立って歩き出したマイクロトフは、またしても背後に不可解な述懐を聞いたのだった。
「それにしても……艶のない話題は昼のうち、執務室にて済ませられるべきかと思われますな、マイクロトフ団長」
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