恋文 ── の裏側 ──


礼を払いながら部下たちが入室してきた。
簡単な終課の儀を行った後、第一隊長が微笑んで切り出す。
「今宵は芝居見物ですな、時間は宜しいのですか?」
カミューはにっこり頷いた。

 

 

現在、ロックアックスの街に著名な劇団が逗留している。遥か遠いゼクセンを拠点とするこの劇団は圧倒的な歌唱と演技で、訪れるあらゆる土地の人々を魅了していた。
デュナン周辺諸国の劇団中で最高峰に位置し、招聘することさえ難しい一行が、以前ロックアックスを訪れたのは何と十年以上も昔になるという。先触れにより、公演期間が僅か五日という短さと知った街人は色めき、チケットの入手に奔走した。
『魂を揺さぶる』との評判を聞いては、カミューも関心を持たずにはいられなかった。騎士団には優先的にチケットが配分されると聞いていたので、一行の訪れを楽しみにしていたのだ。
ところが、確かに劇団側から招待券は届いたものの、これをゴルドーが尽く手中に納めてしまった。最高指導者の横暴に多くの者は眉を顰たが、どうにもなるものではない。
実は、一緒に行くかと誘われたのだが、ゴルドーの隣で芝居鑑賞するよりは天井桟敷でネズミと一緒の方が良い、くらいに思っていたので丁重に断ったカミューだった。
けれど、初日に劇場に出向いた者たちが感動に泣き濡れたという話を耳にしては思いが募る。
最愛の伴侶はこうした芸術に然程興味を示さないので、あまり頼りに出来ない。やむなく諦めようとしたカミューだったが、そこで例によって部下たちが奮起した。
敬愛する上官の望みを果たそうと、彼らは必死に手を尽くしたが、チケットを手にした親族郎党は『十年に一度の公演を見逃すことは出来ぬ』の一点張りだったらしい。
チケットをもぎ取ろうと努める赤騎士たちの勢いは凄まじく、このままではご近所・ご家族の親睦の危機が案じられたので、カミューは直ちに一切の画策を禁じた。
しかし、最終公演の前日になって事態が一変した。赤騎士団最年少の騎士隊長が意気揚々として執務室を訪れ、提案したのである。

 

───もしチケットが二枚用意出来たなら、自分が同行しても良いだろうか。

 

彼の生家はロックアックスでも有数の名家であり、今回の公演の多大なる出資者でもあった。当然のことながら感謝を込めて劇団からチケットが贈られていて、家人が必要の有無を問うてきたのだという。
この若者にとってカミューは初恋のひとであり、失恋後も熱い慕情を捧げる唯一の人だった。
謂わば姑息な、下心だらけの申し出に、けれどカミューは笑って同意した。街中の人間がチケット入手に目を血走らせていたのだ。余っているというのは意想外の喜びだったが、よもや複数枚ということはなかろうと考えたからだった。
が、即座に騎士隊長は満面の笑みを浮かべ、『最終公演の特別席。約束はお忘れなきよう』と勝ち誇ったように宣言したのである。
チケットは明日、家の者が届けてくれることになっているので後ほど渡す、そう言い置いて去っていく若者の足は弾んでいた。
───そして本日、公演最終日。
そろそろ臨時で設えられた、けれど豪華で壮大な劇場に期待に満ちた人々が募り始める頃合だった。

 

 

 

「ミゲルとご同伴とか」
「何しろ貴重なチケットを横流してくれたんだ。そのくらいは……、ね」
苦笑したカミューに副長も笑む。第一隊長が両手を上げて息を吐いた。
「奴め、今日は一日舞い上がっておりましたぞ。口元に締まりがないというか、目許が垂れ下がっているとでもいうか……」
「───劇場内は薄暗いからな」
コソと呟いた副長の声は、既に身繕いを始めていたカミューには届かなかった。
「ともあれ、文化的な催しが為されるも平和な証拠。御存分にお楽しみを、カミュー様」
「ありがとう、そうするつもりだ」
朗らかに応じたカミューは、そこで戸口から顔を覗かせた今宵の同行者にも形良い唇を綻ばせた。
「団長、そろそろ城を出た方が宜しいかと。開演前は何かと混雑しますし……」
確かに第一隊長が述べた通り、若者は浮かれている。ともすると緩みそうになる口元を必死に抑えているのが端からも瞭然だった。
「カミュー様のお出ましとあっては、それはそれで騒ぎとなろう。老若男女、如何なる者からも見事カミュー様を御護りせよ」
「拝命致します!」
副長の後を次いで第一隊長が小声で命じる。
「……くれぐれも粗相のないように。間違っても暗がりでカミュー様に不埒な真似などはたらくでないぞ」
すると若者は憮然とした。
「おれへの認識に再考を求めます、ローウェル隊長。観衆の中で何をするって言うんです?」
「では、観衆の中でなければするのか」
「………………………………」
「黙るな!」
小突かれた若者は吹き出した。それから威儀を正して宣誓する。
「第十部隊長ミゲル、誠意をもってカミュー団長の随従の任を果たします」
「……よし」
険しい表情で頷いた男は上官を振り向く。栄誉を欲しいままにしている劇団への礼節か、カミューもまた正装を整えていた。
歩を進めた騎士団長は若者の前で立ち止まり、優美な仕草で片手を差し出す。息を殺した第十隊長は反射の速さでしなやかな手を取った。
「……何をしている」
にっこりしながらカミューは問うた。
「え?」
「誰が手を握って欲しいと言った」
「い、いや、エスコートしろと言われたのかと思って……」
「馬鹿者。わたしはレディではない」
「そ、そうですね」
では何を───と首を傾げた若者は次の言葉に瞬いた。
「チケットは?」
「は……?」
「チケットだよ、今夜の。焦らさないで見せてくれ」
暫し自団長を見詰めていた彼は、おずおずと切り出す。
「お渡ししたじゃないですか」
「貰っていないよ」
「いえ、少し前にお訪ねしたら不在でおられたので、机の上に置いておきましたが」

 

 

 

 

およそ十数秒、無言の対峙が続いた。やや微笑みを引き攣らせながらカミューが口を開く。
「机の上?」
「はい」
「白地に薄紅色の透かしが入った封筒?」
「そうです」
「……チケットの割にはやけに厚かったが?」
それは、と若者は得意気に胸を張った。
「劇団に関する詳細資料も入れておきました。発足からの歩み、役者の名鑑等々、完璧なる『観劇のしおり』となっています」
「おまえにしては気の利いたことを」
第一隊長が可笑しそうに呟いたが、すぐに笑いは引いた。呆然としていた騎士団長が突然暖炉に顔を突っ込み、火掻き棒で内部を掻き回し始めたからである。
「カミュー様?!」
「い、如何なさいました?」
「ああっ、駄目だ……跡形もない〜!」
失意に声を震わせたカミューは立ち尽くす若者に激しく詰め寄った。
「何故あんな乙女っぽい封筒を使ったんだ!」
「は?」
「おまえの愛用品なのか、紛らわしい!」
「え、ええと」
責められて困惑を深めた若者がふと頬を染める。
「何と言いますか……やはり特別のことなので、チケットを届けてもらうついでに母の愛用する品を貰ったのですが」
そこでカミューは薄茶の髪を掻き乱した。
「せめて署名を入れるとか、いつもの騎士団事務用箋に包んでくれれば良いものを……間違えて燃やしてしまったじゃないか……!」
「な……何と」
「燃やしてしまわれたのですか?」
驚いた副長と第一隊長が慌てて暖炉を覗くが、貴重なチケットの痕跡すら見当たらない。
カミューはよろよろとソファに座り込んだ。
「駄目だ、チケットがなければ劇場に入れない……勝利を目前にして撤退を命じられた兵の気分だ……」
虚ろな独言に痛ましげに顔を歪めた第一隊長が、ちらりと若者を見遣った。
「ミゲル、おまえのチケットをお譲りして差し上げろ」
「えっ?」
「どうせ然程観たかった訳でもないのだろう? 良いではないか」
「そんな! ローウェル隊長のお言葉でも、それは出来ません」
「吝嗇に走るものではない。カミュー様の御為であるぞ」
すると若者はくしゃりと顔を歪めた。
「確かに……、おれは芝居に大して興味はありませんでした。でも、折角団長とご一緒する機会だったのに……置いていかれるなど、あんまりです。それならいっそ、もう一枚も火に焼べた方がマシですー!」
嘆きが頂点に達したのか、懐から出したチケットを握って暖炉に向かおうとする。そんな彼を背後から羽交い締め、『どうしてこう赤騎士には思い込みの激しい連中が多いのか』と溜め息をつく第一隊長だった。
「まあ、待て」
一同の遣り取りを温厚な眼差しで見守っていた副長がのんびりした声で割り込んだ。そして懐を探り、ひらりと一枚の紙片を翻らせる。
「ふ、副長……それは!」
「今宵の席だ」
羨望を込めてちらと見遣った上官に向けて恭しくチケットが差し出される。
「お使いください、カミュー様」
「しかし……これはおまえの分だろう? 奥方とご一緒するのではないのか?」
いえ、と副長は穏やかに笑んだ。
「ミゲルめが確保したというので黙っておりましたが、カミュー様の御為、わたしもチケットを入手していたのです。どうぞ、お使いください」
受け取った紙片に見入りながらカミューは小声で聞く。
「いいのかい? おまえも観たかったのではないか?」
「確かに稀なる公演、観たくないとは申しませんが……カミュー様の喜ばれるお姿に勝るものはございませぬ」
そうして深々と礼を取る。束の間の躊躇の後、カミューは綻ぶ笑みを浮かべた。
「ありがとう、ランド……それでは遠慮なく使わせていただくよ」
地獄に仏とはこのことである。
若き騎士隊長もまた、感極まったように副長に感謝の眼差しを送った。自団長の手にしたチケットを覗き込み、目を見開く。
「副長、これも特別席ですか。一公演に十五ほどしかない貴重な席だという話ですが……」
「そうか」
彼は穏和に笑って頷く。
「ならば事情を話せば席を隣り合わせる便宜くらいは図って貰えるだろう。そろそろ時間だ、カミュー様を頼むぞ、ミゲル」
「は、はい!」
打って変わって嬉々として礼を払い、カミューと共に部屋を出ていく若者を見送った後、第一隊長は苦笑した。
「……甘くておられますな」
「仕方あるまい、誰もが喉から手が出るほど欲しがっていた貴重なチケットが二枚燃えるよりは良かろう」
「しかし、ランド様。あれはどのように入手なさったので? 部下たちも必死に走り回ったようですが」
ふと、温厚な顔に密やかな笑みが零れる。
「裏の連中に、……な」

 

数こそ少ないけれどロックアックスに根付いている裏の組織。怪しげな連中との間に、彼は微妙な友好を築いているのだ。

 

「それは……。賄賂に当たりませぬか?」
小声で案じた部下には朗らかな口調が返った。
「ただで貰ったのではないから、賄賂とは言えまい。腰痛を煩う者に薬を処方し、その代償に譲り受けたのだ。何事もカミュー様の御為、出来ることを為すが我らのつとめ」
「……………………」

 

 

窓辺に進んで暮れゆく情景に見入る副長と必死に威儀を守ろうとする第一隊長。
劇場への道を急ぐ二人連れには彼らの笑みは見えなかった。

 


久しぶりに攻め時代のミゲリンでした。
しっかりヘタレてます。
行く末が見えるようです。

……ということで、行った先も書いてみました(微笑)
この先は本っっっ当〜に
オリキャラ、ドンと来い!な方だけどうぞ。

行き方は……何処かにあります。凄く近くに。
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~aoaka//koibumi.ex.html
 コピペでGo!

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