彼の真実
それは、ある穏やかな夜のこと。
ワインを調達しようと訪れたレオナの酒場で、カミューは立ち竦んだ。
その視線の先にいる男女。
テーブルを挟んで親密そうに語り合っているその片割れは、彼の秘められた恋人だった。
女性には殊更不器用で無愛想。紳士的ではあるけれど、決して深くは立ち交われない。
同盟内でも硬派の筆頭に上げられるべき男、青騎士団長マイクロトフ。
事実カミューも彼との付き合いは十数年にも及ぶが、こうして女性とまともに話し込んでいるのを見るのは初めてだ。しかも、相手から一方的に会話がなされているのではないらしく、むしろ彼の方が積極的に身を乗り出しているのである。
マイクロトフの表情はカミュー側からは背後にあたるため窺えないが、向かい合う女性が誰であるかははっきり見えた。
(リィナ殿………………)
妖艶で美しい、年の割には大人びた印象を持った、本来マイクロトフが最も苦手とするタイプの女性である。時折、豊かな黒髪をかきあげる姿は、カミューから見ても十分に魅力的で、昔の自分ならば口説かずにはいられないだろうと思われるほどだ。
そんな乙女が、楽しげにマイクロトフと話し込み、頷きながら言葉を返している。
マイクロトフがリィナと特別親しくしているなどという話は聞いたことがなかったし、実際に自分の目で見たのでなかったら、信じられなかっただろう。
さりげなく間に入っていけたらどれほど良かったか。
周囲の仲間たちも、珍しい取り合わせに注目し、興味深々で様子を窺っているのだが、結局遠巻きに見守るばかりで傍に寄るものはいない。それほど二人は似合った一対に見えた。
生真面目で無骨な若き騎士団長と、しっとりした大人の魅力を持った乙女。
剛と柔の醸し出す気配は、明らかに周囲から隔てられていた。
カミューもまた、その光景に疎外されている自分を感じた。
とても冷静に割って入ることなど出来ず、彼は静かに踵を返した。
胸に沸き上がる感情は、初めて覚えるものだった。
恋人への不審なのか、あるいは乙女への羨望なのか。
怒りなのか、哀しみなのかも判別できない。
すべて理詰めで考えずには気がすまないカミューにとって、それは不幸なことだった。
混乱するままに、思考は暗い方、暗い方へと転がり落ちる。
どれほど深く愛し合っていても、所詮は男同士なのだ。
摂理に反した恋情は、いずれ綻びてくるものなのかもしれない。もともとマイクロトフは常識とか道徳とか、そうしたものを重んじる男だ。そんな彼の唯一の例外が、カミューとの関係なのである。
彼は常に優しいし、そんな煩悶を一度として見せたことはないが、その常識的な本能が少しずつ疑問を抱き始めているのではないか。柔らかく男を包み込める存在。
いずれは血を分けた分身を生み出すことさえ出来る、奇跡の肉体。
自分が女性だったらなどと、一度とて考えたことはない。
だがその瞬間、確かにカミューは誰はばかることなくマイクロトフの傍らに寄り添える存在を心から羨み、妬ましく思った。
ただそれを、『嫉妬』という言葉で認識するのは、あまりに強い彼の矜持が許さなかったのだが。
本拠地内がひっそりと寝静まった頃、カミューは隣の部屋に侵入していた。
室内からは心地良さそうな寝息が上がっている。リィナと一緒で酒を過ごしたのか、いつも以上に男の眠りは深いらしい。
足音を潜めてベッドまで歩み寄り、そっと寝顔を窺っても、マイクロトフは目を覚まさなかった。これは彼がカミューの気配に慣れ切っているせいであり、責めることは出来ないだろう。
カミューは身を屈め、男の唇に羽根のようなくちづけを落とした。
それでも起きないのを見て、マイクロトフに跨るように、ゆっくりベッドに乗り上げた。
さすがにその動きにマイクロトフは目を開け、自分に覆い被さる影にはっとしたように、カミューの両腕を鷲掴んだ。だが、即座に相手を見定めたように、ふっと力が抜ける。
「カミュー…………、驚かせないでくれ」
呼び掛ける声は甘く低い。心からの慕わしさが込み上げてくるような、ひどく切ない声なのだ。
無言のまま自分に跨り続けるカミューに苦笑して、マイクロトフは手を伸ばして頬に触れてきた。
「どうした? 何か……あったのか?」
大きな掌に包まれて、それでもカミューは表情を動かさない。
やがて心底困ったようにマイクロトフは身体を起こそうとした。それを押し戻し、小さく言う。
「……夜這いだ」
「よ?」
聞き取れなかったのか、奇妙な顔をするのに改めて言い直す。
「たまには…………夜這いでも掛けようかと思って」
その途端、マイクロトフは切れ長の目を零さんばかりに見開いて、ぽかんとした顔でカミューを見つめ返した。
「よ…………ばい??」
薄い夜着一枚で自分の上に乗る恋人と、吐き出された言葉とが結びつかないのだろう。マイクロトフはひたすら呆然とするばかりだ。
確かに、夜のひとときにおいてカミューから積極的に誘いを掛けることは稀だ。しかも、いきなりベッドに上がってきて、穏やかならぬ一言を吐けば、マイクロトフでなくても驚くだろう。
その上、それが艶っぽさとか甘やかさとかを感じさせるものではなく、何処か怒ったような、カミューにしてはぶっきらぼうな言い方なのだから尚更である。
「不満か」
そう問われれば、マイクロトフはぶんぶんと首を振るしかない。
「と、と、とんでもない。大歓迎だが…………」
相変わらず食い入るように凝視してくるマイクロトフの目を、そっと掌で覆って閉じさせると、カミューは柔らかくくちづけた。潜ませるように舌を差し入れれば、困惑げな応えが返ってくる。
しばらく彼はカミューの巧みなくちづけに酔っているようだった。
しかし、しっかりと背中に回された手に力が入り、ひょいと体勢を入れ替えられたとき、カミューはマイクロトフが思ったよりも行為に溺れていないことに気づいた。
彼はいつになく冷静で、同時に真剣だった。
「……何があった?」
虚を突かれてカミューが口篭もると、重ねて強く言い放つ。
「おれは大概鈍い男だし、そう言われても仕方ないとも思っている。だが……、おまえのことだけは少しは分かるぞ」
言いながら、じっとカミューの目に見入る。耐えられず、先に視線を逸らせたのはカミューだった。
「自棄になっているだろう。自分を傷つける前に、ちゃんとおれに話せ。何があったんだ、カミュー?」
真摯に問われてカミューは唇を噛んだ。強い視線にだんまりを通すことも出来ず、ぽつぽつと白状する。
「……酒場、で……その…………」
「酒場?」
マイクロトフは一瞬怪訝そうに眉を顰め、それから困ったように微笑んだ。
「えーと…………その、リィナ殿……のこと……か?」
無言のカミューに、肯定と取ったのだろう。彼はぽりぽり頭を掻いて、身体を起こして座り込んだ。同様に身を起こしたカミューは悄然と項垂れる。
「ああ……少し待ってくれ、カミュー。説明する……ええと、整理するから」
一旦断って熟考に入ってしまった男に、カミューは呆けた。
何事か真剣に考え込んでいる男には些かも悪びれた様子はなく、不実の欠片さえ窺えない。しばらくして、マイクロトフは大きく頷いて口を開いた。
「つまりは…………、占いだったんだ」
「は?」
思わず間の抜けた声が出た。散々悩んだ挙句、いきなり『占い』では、まるで意味がわからない。呆気に取られたカミューに、さすがにマイクロトフもまずいと感じたらしく、慌てて言い直す。
「昨日の昼間、訓練から戻ってくる途中にリィナ殿と正面衝突してしまって。それで、助け起こしたときに少し話をして」
カミューは辛抱強い聞き手を演じた。マイクロトフのいうことは支離滅裂で、さっぱりわからないが。
「ええと、彼女は占いを得意にしていて、その……ぼんやりしていて悪かったから、謝罪に占いをしてくれるという話になって」
やっと少しだけ話が通じてきた。カミューは小さく頷いた。
「さ、最初は断ったんだ。いくら出会い頭とは言え、女性を跳ね飛ばしてしまったのだからな。非はこちらにある。わかっているのだが……その、リィナ殿が提案された占いが……」
初めて、マイクロトフの言葉が聞き取りにくいほど小さくなった。
「その…………こ、恋占いというもので」
大きな身体を縮込ませるようにして呟いた彼は、耳まで真っ赤だった。
「おれは別に……占いなどというものをたいして信じているわけではない。運命など、自分で幾らでも変えていけると思っている。だが……その、やはり何と言うか……少しは気になるというか、いや、決しておまえの心を疑っているとか、そういう意味ではないのだが、あ、相性とか……、『相手があなたをどう思っているか占う』などと言われたら………………」
救いを求めるように見つめてきた男に、渋々と同意してやった。
「…………気になるな」
「だろう? そうだろう?!」
得たりとばかりに勢い込んでマイクロトフは身を乗り出し、ほっとしたように笑った。
「それで……今夜、その報告をしてもらって、ついでに色々と話をしたんだ」
カミューはふと目を伏せた。
「……楽しそうだった」
「カミュー?」
「とても…………、似合って見えた」
マイクロトフの顔は見えなかったけれど、その背中を見ているだけで、彼がどんな表情をしているか、わかる。それくらい、カミューは彼の背中を見守り続けてきたのだから。
「とても……、間に入っていけないくらい…………」
語尾を濁らせたカミューに、マイクロトフは幾度か瞬き、そして苦笑した。
「なあ……カミュー。リィナ殿が何処の出身か、知っているか?」
首を振ったカミューに、彼は可笑しそうに続けた。
「……グラスランドだ」
「え?」
「おまえと同じ、グラスランドの出身なんだ」
マイクロトフは腕を伸ばしてカミューを抱き寄せた。あるいはそれは、その先の表情を見せたくなかったのかもしれない。
「いつか……、二人でグラスランドに行ったとき、おまえを驚かせてやりたくて、あれこれ知識を仕入れていたんだ。どんな風習があるか、どんなことが好まれるのか……どんな風が吹くのか」
カミューは呆然と抱き締められるばかりだ。
「わかるか、カミュー。おれは、おまえを喜ばせるためなら、どんな努力も惜しまない。だが、それがおまえを不安にさせたなら謝る。すまなかったな」
髪を優しく撫で下ろすマイクロトフの手は温かい。一瞬でもその真実を疑ったことを恥じて、カミューは言葉も出なかった。
「だが、おれは少し嬉しいぞ」
思わずカミューが顔を上げると、マイクロトフは悪戯めいた微笑みを浮かべていた。
「おれが常々感じていることを、やっとおまえにも理解してもらえたのかと思うと、少しほっとする」
その意味することを察してカミューも苦笑した。
彼の乙女への礼節。それはもう、ほとんど条件反射のようなものだし、マイクロトフもあれこれ指摘することがなかったので、さして気にも止めていなかった。
だが、そういうものなのだ。
どれほど信じ合おうとも、恋人が他人と親しげに交わって、ましてそれが異性であるならば心に波風が立つのは人として当たり前の感情なのだろう。
「……わたしは……、リィナ殿に嫉妬した」
今度こそ正直にカミューは認めた。それは自分でも意外なほど、素直に言葉となった。
「わたしたちが男同士であること……世間に認められない関係であること……、おまえとリィナ殿が同席しているのを見て、改めて思い知らされたような気がして……悔しくて…………」
「それで、夜這か?」
ぷっと吹き出したマイクロトフは、しっかりとカミューを抱き直した。
「理性的な人間がキレると怖い、とは聞いていたが……おれにとっては嬉しいキレ方だな、カミュー」
「………………笑うな」
憮然として呟くが、愛しげに抱き締める男には効果がないようだ。
「おれはこの世でただ一人、おまえだけを選んだ。誰に認められなくても、おれが認めている。それだけでは駄目か……?」
カミューはしっかりと男に腕を回し、首を振った。
世界のすべてが敵に回っても、この男がいればいい。
何処か外しているような、けれど誰よりも強いこの恋人だけがいれば。
マイクロトフはそっとカミューをベッドに倒した。ようやく自分の行動を冷静に見つめられるようになったカミューが、頬を染めて狼狽するのに構わず、夜着を開き始める。
「マ……、マイクロトフ、一つ聞いてもいいか?」
「…………?」
「う、占いの結果はどうだったんだ?」
気恥ずかしさから洩れた一言は、優しいくちづけに吸い取られた。
やがて、マイクロトフは幸福そうに微笑んだ。
「……それは、おまえにも良くわかっているんじゃないか…………?」
懸念通り、嫉妬というよりは悩める乙女になってしまった……。
これがバカップルだったら 「おどる火炎」のひとつも
ぶちかましてくれたんでしょうけどねえ……(笑)。
しかし、嫉妬→夜這いという赤氏の思考回路はどうなってるのさ?(他人事)
何でまたこんな展開になったんだろう……永遠の謎です。
るる様、不甲斐ない奥江をお許しください。
後日談: 邪ユニットの一員であるリィナは、早速今回のネタを漫画化した(笑)。
青氏は赤の名前は伏せてたらしいが、すでにバレバレだったので、意味がなかった。
ご愁傷様。