の後先 12


取り決めた通り、少女が着替えを済ませる間、カミューはずっと窓辺に腰を落として陽射しに輝く木々を見下ろしていた。やがて掛かった声に振り向くと、コレットは最初に現れたときの衣装で身を包み、小さな淑女に戻っていた。
「やはり、従者の服よりもドレスが似合っているよ」
穏やかに言う声には、やはり温かかった。コレットはソファに腰を落とし、重い口を開いた。
「わたくし……ずっとあなたを憎んでいました」
「……………………」
「叔父様の得た報告書を読んで……女好きの遊び人だ、って」
向かいに座りながら瞬いたカミューに少女は小さく笑った。
「ニューリーフ学院の寮仲間に教えられた言葉ですわ。簡単に事情を説明して、抜け出すのを手伝っていただきましたの」
「……君には本当に驚かされるよ」
「でも、ひとつだけ不思議なことがありました。ある時期から、あなたの身辺は突然綺麗になった……だからこそ、叔父様もエレンお姉様とのことをお考えになられたのでしょう」
彼女は両手を握り合わせた。
「……あの方のため、だったのでしょう……?」
カミューは答えず、微かに笑んだ。
「あの方と想いを交わしたから……だから身を慎むようになったのでしょう?」
彼は続け様の追及を避けて再び窓の外へ視線を投げた。
「───マイクロトフの家族はね」
ふと、静かな声が言う。
「とても温かくて優しい家族だ。彼がレディを家に連れてくる日を楽しみにしている……そんなごく当たり前の家族だった。わたしがいる限り、彼らの夢は果たされない」
「……だから離れようとなさったの?」
「それだけじゃない。彼が誰よりも道徳や常識に沿って生きていることを、わたしは知っていた……知っているつもりだった。一時の気の迷いから覚めれば、いずれ離れていくのではないかと恐れた」

 

だが、マイクロトフの常識とは自身の価値観に基づいて築かれたものだった。彼はカミューを選び、そのことを一切躊躇することなく貫いたのだ。
───今朝までは。

 

「結局、わたしは彼を選んだ。レディ・エレンを傷つけても、心に忠実に生きるために。二年間、幸せだったよ……真実人を想うということを初めて知った気がした」
コレットは、淡々と語られる言葉が微かに掠れているのに気付いた。自分が取った行動は予想外の弊害を招き寄せ、この青年から希望を奪い取ってしまったのだ。
出来ることなら伏して詫びたい。だが、その前にすべきことがある。
「カミュー様、あの方をお呼びになってください。わたくしの口からすべてお話します。そしてこれまで通り……」
「無駄だ」
きっぱりとカミューは遮った。相変わらず口調には空虚が零れている。
「もともと祝福される関係ではなかった。そこへ障害となる事件が起きて……彼はわたしが父親としての責任を果たすことを望んだ。それが答えだ……わたしたちは終ったんだよ、レディ」
「で、でも……」
「それがマイクロトフの中の常識であり、倫理なんだ。たとえ今回のようなことがなくとも……いつかそれが二人の間に立ち塞がったことだろう。だから───君の所為などではないよ」
穏やかに責任を否定され、少女は泣き出しそうになった。

 

彼は───
カミューは、おそらく従姉妹との問題にもこうして独り傷つきながら立ち向かったのだろう。自分に誠実であるために、痛みも涙も飲み込んで。

 

「……実の娘など捨て置け、そして自分を選べと言えない男だからこそ───こうして……愛してきたのだから」
「……それって……惚気、ですの……?」
「少しばかり騒々しいが、悪くない男だっただろう?」
カミューの微笑みに少女の瞳から涙が零れる。
「これからも、わたしは彼の傍らにある。少しばかりかたちを変えたとしても、彼を選んだことに悔いはない。だから君が自責を感じる必要などないんだ。それに……」
カミューは目を伏せ、正直に打ち明けた。
「あの一瞬……わたしは試した。彼の想いが周囲のすべてを犠牲にしても構わないほどのものなのか……確かに試そうとしたんだ」
「カミュー様…………」
「後悔はしていない」
真っ直ぐに少女を見たカミューは、偽りなくそう言った。悲しい決意を認めたコレットが再び涙を落としたとき。

 

 

「カミュー、困ったことが起きた!」
騒々しく飛び込んできたのは、渦中の人物である。
マイクロトフは相変わらずノックもせずに扉を打ち開け、ソファに座った少女に気付くなりうっすらと頬を染めた。
「あ、すまない……赤騎士に聞いたら、こちらだと言われたので……」
それから泣いているコレットに眉を寄せてカミューに問う。
「どうかしたのか?」
カミューは現れた男に一瞬呆けたが、必死に自分を取り戻そうと努めた。
「おまえこそ……どうしたんだい……?」
「あ、ああ。実はこれなんだが…………」
マイクロトフは少女を盗み見つつ、彼の目前に一枚の書面を突き出した。怪訝な思いで受け取ったカミューは、それを見るなり今度こそ呆然とした。思わず向かいから覗き込んだコレットも、書面の内訳を読んで唖然と男を見詰めた。

 

マイクロトフが握り締めてきたもの。
大きな男の掌で皺になったそれは、都市同盟内で使われている養子縁組の書類だったのだ。

 

「よくよく考えてみると、ポーリーン殿は『養子』ではないし……正式には認知しておまえの戸籍に入れるだけでいいのだな。だが、そうなると……おれの名を入れる場所がないではないか」
「お、まえの……名前……?」
「慌てて書類を貰ってきたはいいが……これでは、おれはポーリーン殿と戸籍上は何の関係もなくなってしまう。カミュー、これはどうしようもないのか?」
カミューとコレットは今にも頭を掻き毟りそうな男をひたすら呆然としていたが、我に返ったのは少女の方が早かった。
「マイクロトフ様……と仰いましたね」
「何を水臭いことを」
男は照れて真っ赤になりながら首を振った。
「呼び捨ててくれて構わない。たとえ戸籍上では無縁であっても、君さえ良ければ父親として……いや、父親はカミューだから……そう、『もう一人の父』として仲良くして貰えると嬉しい」
快哉を覚えた少女が見遣ると、カミューは美しい琥珀を瞬かせたまま男を見詰めるばかりだった。
「これまでの屋敷では手狭になるから、三人でも大丈夫な家を見繕う。使用人を雇わないといけないな……おれたちが城に詰めている間、独りでは寂しかろう……そう、動物は好きか? 犬とか猫とか……そうしたものなら飼っても構わないぞ」
マイクロトフは嬉々として言い募った。
「おまえの血を引いているならば、さぞ頭も良いだろう。どうやらすでに教育は受けているように見受けられるが……どうする、カミュー? 専門の教師でも探すか?」
「………………」
「学問ならばニューリーフ学院だろうが……会ったそばから離れて暮らすのは良くないと思う。三人が理解し合った頃、彼女が希望してからでも遅くはないだろう」
「マイクロトフ……」
「おれは団長就任式を控えているし、式典を終えてもしばらくは慌しいが、我慢してもらいたい。ポーリーン殿、いや……ポーリーンと呼んでもいいか?」
終に吹き出した少女を軽く一瞥してから、カミューはやっとのことで遮った。
「マイクロトフ……どういうことだ? さっきからいったい何を言っている……?」
誰よりも賢しく明晰な赤騎士団長も、今ばかりは頭が鈍っているようだ。そう判断したコレットは、微笑みながら言った。
「マイクロトフ様はわたくしのもう一人の父になってくださるそうです。『三人で家族になろう』と仰っておられるのですわ」
「家族……?」
コレットは沸き上がる喜びに胸を詰まらせながらマイクロトフを窺った。
「わたくしを……娘と思ってくださるのですわよね?」
「娘だと…………?」
「当然だろう」
幾度も聞き返すカミューに苦笑してから、マイクロトフは迷いなく宣言した。
「カミューの娘であるならば、おれにとっても同じことだ」

胸を張って主張したものの、恋人から何ら反応が返らないのに不安になったマイクロトフは、少女と顔を見合わせながらおずおずと訊いた。
「……不快か? 出過ぎた真似だと思ったか……? だが、カミュー……おまえの娘ならば、おれにとって他人ではない。確かに世間的には認められない家族かもしれないが、ポーリーンさえ許してくれるならば問題はないと思う」
「わたしの……過去を……気に止めない、と……?」
「それはまあ」
マイクロトフは正直に吐露した。
「……まったく、と言えば嘘になるかもしれないが……仕方がないことだろう? 過去があって、今のおまえがある───そこにポーリーンという存在が生まれた。それを否定するつもりなどない」
「本当に……あなたは素敵な方を選ばれたのですね、『カミュー様』」

初めて不思議そうな顔になった男に、少女は概要を説明し始めた。正面で呆けたままの青年の代わりに。
彼の放心ぶりが微笑ましく、そして嬉しくもあった。聡いカミューであっても、恋人の心根の真っ直ぐさを多少読み違えることもあるのだ、と。

 

 

 

「すると……娘、ではない……と……」
「ごめんなさい、お骨折りいただいたことを無駄にしてしまいました。今回のことは本当にわたくしの心得違いです。今朝、あんなかたちになってしまって……生きた心地も致しませんでした」
「あ、いや……ええと……」
「改めて……前・赤騎士団長ラスタの姪のコレットと申します」
マイクロトフは事態の流れの早さに対処しきれないようだった。困惑し果ててカミューを窺うが、彼は低く言っただけだった。
「彼女が……わたしたちのことを知らなかったら、どうするつもりだったんだ……?」
「あ」
慌ててマイクロトフは頭を垂れた。
「そ、そう言われれば確かに……だ、だが……別におれは、そこまで厳重に隠すほど恥ずべきことではないと思っている」
言いながら顔を上げ、今度は真っ直ぐにカミューを見詰める。
「おれがおまえを選び、おまえがおれを選んでくれた。確かに世の常識とは外れるかも知れないが、おれたちの間に偽りなどない。おれは……おまえへの想いを恥じるつもりなど毛頭ないぞ」
「ご立派ですわ、マイクロトフ様」
少女が感嘆したように手を打って微笑むのに、照れ臭そうに頷く。
「さっき言ったことも偽らざる本心だ。おまえの娘ならばおれにとっても娘同然、一緒に育てるだけの覚悟など呼吸ひとつの間に固まったぞ」
「おまえとはまるで無関係なのに……?」
弱く返したカミューだったが、マイクロトフは即座に言い切った。
「無関係であるものか。おまえの血が流れている……それだけで充分、愛する理由になる。カミュー……ひょっとしておまえ、おれのことを信じていなかったのか……?」

 

……その通りよ。
コレットは心の中で暴露した。あまりにもカミューが気の毒なので、さすがに声にはしなかったが。

 

「突然のことで驚かれていらっしゃるだけですわ、マイクロトフ様。さっきも散々聞かされておりましたの……あなたのお話を」
「おれの?」
「それはもう……赤面ものの惚気話をたっぷりと」
含み笑って助け舟を出した少女を、カミューは驚いて見返した。その瞳が何処か幼げなのを見て、どうやら彼がこの恋愛に関してだけは傷つきやすい子供のようであることを知る。一方のマイクロトフがこれ以上ないほど狼狽しながら頬を染めているのを幸福な気持ちで見守りながら、コレットは高らかに締めた。
「カミュー様を大切になさってくださいな、マイクロトフ様」
「無論だ、コレット殿」
誇らしげに胸を張ったマイクロトフは、次の刹那、慌ててソファから身を起こした。
「い、いかん。少しだけ、と言ってディクレイを待たせていたのだった。カミュー、また夜にでも続きを話そう。コレット殿、失礼する……元気で!」
言うなり、マイクロトフは入ってきたときと同じ勢いで扉から飛び出していった。大嵐が通り抜けていったようで、少女は低い笑いを洩らした。
「……可笑しな方。なのにとっても頼り甲斐のありそうな……本当に素敵な方ですわね、カミュー様」
「あの様子を見てそう言ってくれるなら、素直に感謝すべきだろうね」
嘆息しつつ、カミューは答えた。
今朝方の失意が大きかっただけに、一方的な誤解だったとわかった後も、なかなか気持ちが切り替わらない。喜ぶべきマイクロトフの誠意を確認しても、放心状態だった。
それでもコレットの心からの賛辞に、次第に平静を取り戻した。落ち着いてくると、未だに彼の心情を理解し切れなかった自分に恥じ入るばかりだ。
「……何年経っても……あいつは本当にわからない……」
苦笑混じりに呟く彼に、少女はにっこりした。
「あら、何もかもすべて理解してしまってはつまらないのではありません? いつまでたっても新しい姿を発見出来るというのは新鮮で楽しいことだと思いますわ」
「負けたよ、レディ」
とうとうカミューは肩を震わせて笑い出した。
「生涯をかけて、彼のすべてを暴かせていただくことにしよう」

 

彼の瞳には温かな親愛が溢れていた。別れる前にそれを見ることが出来て、本当に良かったと少女は思う。
そして、ふと考えた。
カミューと従姉妹のために求めた結婚祝いのグラス。カミューに買い取ってもらえと叔父は言ったが、やはりあれは道具屋に引き取ってもらおう。そして得た代金に小遣いを足して、二組分の贈り物を選ぶことにしよう。
新しい恋を見つけた従姉妹と、目の前の美しい騎士団長。
───二組の慕わしい恋人たちのために。

 

「恋愛というものが少しわかったような気が致します。お幸せになられてくださいな、カミュー様」
カミューは眩しげに目を細めた。それはかつて、コレットの従姉妹の乙女が別れ際に残した優しい言葉だった。

 

カミューは優雅に立ち上がった。
「さあ、ローウェルにラスタ様のお屋敷まで送らせよう」
「義理堅くていらっしゃいますのね。大丈夫、一人で戻れます」
「しかし……」
「わたくしは一人でロックアックス城に入りました。出るときも一人で退城致します。これ以上、皆様を煩わせたくはありませんもの」
断固とした物言いに、カミューはそれ以上の強制を諦めた。続いて柔らかな眼差しを少女に注いだ。
「レディ、短い間の奇妙な親子芝居だったが……わたしは結構楽しんでいたよ」
「ええ、わたくしもですわ」
「君のことも好ましく思っていた」
「最初はともかく、今は同感ですわ」
「ありがとう」
立ち上がったコレットは、向かいに立った青年が不意に身を屈めるのにどきりとした。柔らかな唇が頬を掠める。従姉妹の慎ましやかな香水とは異なる、だが甘い香りが鼻腔をくすぐった。優しいキスは一瞬で離れたけれど、一生忘れられないほど甘い感触だった。
「……さようなら、カミュー様」
「ひとつだけ。レディ、頼みがある」
「…………?」
「あの方に伝えてくれ……わたしも幸せを掴んだ、とね」

 

それは多分、祝福をもって従姉妹の胸に落ちるだろう。
別れてなお相手を思い遣る豊かな人間、従姉妹が愛した相手はそういう人であったのだ。
コレットは真っ直ぐにカミューを見返しながら、きっぱりと約束した。

 

「カミュー様は、見ていて照れてしまうくらいにお幸せそうだった、だからお姉様も負けないくらいに幸せにならなくてはいけない───そう伝えることに致しますわ」

 

END

 

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大阪巡業中、姉妹に言われて気付いたこと。
そうか、新刊の改稿作業をしてたから
この話を思いついたのかー……なるほど〜(笑)

うちの青はやはりこういう人でした(笑)
隠し子騒動本編はこれにて終了です……が。

たいした出番もなく、
嵐のように通り過ぎていった煩い人の
逆襲編が続きます(笑)
あと一話、お付き合いくださいませv

 

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