Harmony
「マイクロトフ、大変なことになったんだ」
言いながら、ノックもせずに扉を開けた赤騎士団長に、マイクロトフは読んでいた兵法の書から目を上げた。
深い仲になってからも決して最低限の礼儀作法を崩そうとはしないカミューにしては、実に珍しいことである。彼は即座に本を閉じ、愛しい恋人に注目した。
口元にはいつもながらの穏やかな微笑み、涼しげで柔らかい印象の顔つき。
いったい何処が大変なのか、一見しただけではわからない。
しかし、付き合いが長く、常にカミューだけを見つめてきたマイクロトフには、その笑顔が微妙に引き攣っているのが察せられた。
なるほど、どうやら非常事態らしい。
カミューはそのままマイクロトフが座っていた机の前まで来ると、両手をトンと机に置いて彼を凝視してきた。
「アンネリー嬢のバンドが五日後に特別コンサートを開くことになっているのは知っているだろう?」
マイクロトフは首を傾げた。どうもその手の情報には疎い。態度から察したようにカミューは溜め息をついた。
「……城のあちこちにポスターが貼られているじゃないか」
「そう……だったか?」
「そうなんだ」
やや苛立たしげにカミューが断定する。冷静な彼にしてこの反応、やはり只事ではない。
「昨日、メンバーの一人・ピコ殿が怪我をされたんだ。何でも女性関係でトラブルを起こして、突き飛ばされて階段から落ちて腕の骨を折ったとか」
そのあたりのトラブルはマイクロトフにはまったく理解不能の出来事であるが、一応辞令として頷いた。
「それは大変だな」
「違う」
カミューはまたも即座に遮った。
「大変なのはこれからだ。すでにチケットも完売しているし、皆が楽しみにしているから今更中止するわけにはいかない。代わりの人間を探さねばならない」
「……そうか、確かに大変だ」
「だから、まだ大変じゃないんだ」
カミューは今にもマイクロトフの襟首を掴みかねない勢いで、身を乗り出してきた。
「話は最後まで聞け。アンネリー嬢とアルバート殿が手分けして探したが、代わりの楽器奏者がいないんだ。かといって、伴奏無しではアンネリー嬢が歌えない」
「……なるほど、大変なことだ」
「マイクロトフ!」
終にカミューは唇が触れ合わんばかりに接近して、彼を睨みつけた。
「わたしを馬鹿にしているのか? 最後まで聞けと言っただろう?」
「べ、別に馬鹿になど…………」
これは相当な大事件だ。些細なことでいちいち気を荒立てているカミューを見るなど、初めてのことである。マイクロトフは息を飲み、深々と頷いた。
「……わかった。それで?」
「城のめぼしい人物にはすべて声を掛けてみたのだそうだ。けれど、経験者が一人もいない。というわけで、わたしが代役を勤めることになった」
「……そうか」
神妙に相槌を打ったところでカミューが爆発した。
「そこが大変なんだ!」
「あ、ああ……そう………………なのか?」
カミューはそれでも必死に自分を押さえ込んでいるようだ。
マイクロトフはおどおどと、どうしても確認しておきたい疑問を口にした。
「カミュー……おまえ、何の楽器を受け持つと?」
「ぎたーだ」
マイクロトフは首を傾げた。カミューらしからぬ、なまっているというか、
発音しなれないというか、どんくさい響きだったのだ。
「おまえ……ギターが弾けたのか……」
「いいや、全然」
あっさり答えて、綺麗に胸を張る。
「言っただろう? アンネリー嬢たちが探した中で、ぎたーの経験者はいなかったんだ」
「な、ならば何故おまえが……?」
「器用そうだから」
カミューはふふんと誇らしげに言った。
「同レベルの初心者なら、わたしが一番飲み込みが早いだろうと見込まれたのだ」
「だ、だがコンサートは五日後だろう? 何とかなるものなのか?」
「さあ」
カミューはさらりといなして微笑んだ。慎重で冷静な彼とは思えぬ無鉄砲ぶりである。
マイクロトフはくらくらしそうだった。
カミューは確かに貴族然として見えるけれど、かつてはグラスランドで生活のために剣を振るっていたのだ。マチルダに来てからは、騎士としての位を駆け上がるのに忙しく、とてもではないが風雅な趣味に時間を割く暇などなかっただろう。
それでも彼の美貌や肢体は、それだけで十分世の乙女や(一部の)男を魅了する。
彼が生きてくるにはまったく差し障りなどなかったわけだ。
「しかし……カミュー、それはあまりに……」
無謀なのでは、と言い掛けたがカミューは優雅な仕草で手を振った。
「仕方がないだろう? レディが困っておられるのを、『無理です』で逃げるわけにはいかない」
「それはそうかもしれないが……」
だが、無理して出来ることとそうでないことがあるのでは、とも続けたかったが、またも先手を打たれた。
「限られた時間の中で、出来得る限りの力を果たす。これが騎士の誇りだろう?」
「う……………………」
所詮カミューに論述で敵うわけがない。マイクロトフはどうにも納得させられかけている自分に暗然とした。
引き止めようにも引き止められない。なるほど、カミューはいつも自分に対してこうした苦労をしているわけか。マイクロトフは改めてそのご苦労に頭が下がる思いだった。
「というわけで、今日からわたしはぎたーの訓練をすることになった。じゃ、行こうかマイクロトフ」
「は?」
さりげなく付け加えられた最後の呼び掛けに、マイクロトフは真ん丸く目を見開いた。
「お、おれ?」
「そうだよ。何をしているんだ、早く」
腕を引かれて無理矢理立ち上がらされる。
「ど……どうしておれが一緒に?」
「おまえも一緒に訓練を受けるんだよ」
にっこり華麗な笑顔でカミューは宣言した。
「な、何故?」
「なあ……マイクロトフ。わたしは大抵のことは器用にこなす自信がある。だが、今回ばかりはまったくの素人で、正直に言うと自信がない」
彼は上目遣いで、甘えるような口調をもって続ける。
「だから……おまえに労苦を共にして欲しいんだ」
それはわかる。わかるような気がする。だが………………。
「わたしは恥をかくことに慣れていない。そういうときにおまえが傍にいてくれたら、とても助かるんだ」
それも何となく理解できる。何て可愛いのだろう………………。
「……彼らの目がおまえに向けば、わたしの恥は目立たないじゃないか」
ん??
それはつまり……おれの恥がおまえの恥を隠すという、暗におれを矢面に立たせるという策ではないだろうか………………?
「……っ、カミュー、それはどういう…………」
「頼りにしているよ、マイクロトフ」
そんなことで頼られても嬉しくも何ともないが、恋人のにっこり笑顔にはとんと弱い駄目な男は、渋々ながらも足を踏み出したのであった。
アンネリーバンドのギタリスト・ピコは、初っ端から敵愾心剥き出しであった。
何しろ女性に手の早いプレイボーイを自称する彼である。城の女性の大半の目を釘付けにする騎士団長二人には、どうしたところでライバル意識が燃えてしまう。
練習用の部屋を訪れた二人の騎士団長は、やはり憎らしいほど様になっていた。
青騎士団長はおよそ音楽などというものとは無縁の風貌をしているが、堂々とした体躯、精悍な顔立ちは一種の畏怖を感じさせる。
一方の赤騎士団長は、これまた物腰は優雅で繊細、優しげで秀麗なる美貌で男の目すらも引きつけて止まない。
可愛い可愛いアンネリーが、この赤騎士団長に賭けると言い出したときにはぴくりとしたものだが、実際間近で見てみても、確かに器用そうではあるし、他の連中よりはよほど期待出来そうであることは認めないわけにいかなかった。
「本当に申し訳ない。もう、どうしたらいいのか途方に暮れていたんだ。引き受けてくれてありがとう。しかし……本当にご迷惑ではなかったかな」
温厚なアルバートに深々と頭を下げられて、さすがにマイクロトフも一同の困り果てた事情を痛感し、カミューの選択を一概に責められなくなった。
「いや……、力になれるのであれば………………」
「ごめんなさい、カミューさん……わたしの我儘で……」
「いいんですよ、レディ。我儘などとは思っておりませんとも」
相変わらず女性に愛想を振り撒いているカミューを、マイクロトフがじろりと睨んだ。
女性が困っているのを見過ごせない。それはわかるし、騎士のつとめだ。
だが、おれが困るのはまるで平気なのだろうか………………。
まあ最後には、それも頼られているようで嬉しいと変換されてしまう、困った青騎士団長なのだが。
「では、カミューさん。こちらに座っていただけますか? 早速ですけど、時間がありませんので……」
「ええ、よろしくお願い致します」
カミューがアルバートらによって椅子を勧められている間に、マイクロトフは迷った挙げ句、ぽそりとアンネリーに尋ねてみた。
「少々お聞きしたいのだが……何故、カミューに?」
「ええと、それは」
内気な少女は逞しい騎士団長に唐突に話題を振られて、やや頬を染めて答えた。
「器用そうなカミューさんがいいんじゃないかって、ニナちゃんやエミリアさんに勧められたんです……。何と言っても、綺麗な人の方が舞台映えするし」
マイクロトフは何度か瞬いた。
「わたしも、どうせなら素敵な美青年の伴奏で歌いたいですし」
はにかみやの、天使のごとき歌姫。
「正直に言うと、ピコって…………暑苦しいでしょ?」
自分の気持ちもはっきり伝えられない、おとなしやかで幼げな少女。
「自分がハンサムだとか、変な勘違いをしているみたいなんです。女の人にちょっかい出して、その挙げ句に怪我するなんて…………最低ですよね」
野に咲く一輪の花は、生きる場所を得て逞しく花開いた。
辛辣に意見を述べる少女に、もはやマイクロトフは何も言えない。
「そう………………だな…………」
得体がしれなくなった神秘の少女から、今回に限り無謀を貫く決意を固めた恋人に目を移す。彼はちょこんと椅子に腰掛け、渡された楽器を構えたところだった。
だが、何かおかしい。マイクロトフは眉を寄せてまじまじとその姿を見つめた。
「ええと…………その、カミューさん……………………」
実に言いにくそうにアルバートが口を開く。
「はい、何でしょう?」
「………………逆、です」
「何がでしょう?」
「そのう………………、持ち方ですが、弦の方……、その細長い板切れみたいな方が左手側です」
カミューははたと己を見つめる。
「何故です?」
真面目な顔で問い返した彼に、アルバートとピコは顔を見合わせた。
「この『弦』というものを、あれこれ押さえて音を出すのでしょう? つまり、たくさん働くのは弦側の手、ということになりますね」
「え、ええ、まあ………………」
「わたしは右利きです。当然、右手の方が良く動きます。ですから、これが正しい形ではないでしょうか」
「あ、あのう……そのう……ええ、言われてみれば………………」
理路整然と言われて、思わず納得しそうになっている哀れな男が二人。
見兼ねてマイクロトフは助け舟を出すことにした。
「カミュー……それが決まりごとなのだ。楽器の演奏というものには、制約がある。
それを守るのがつとめというものだ」
「しかし……それでは技巧が不足してしまう」
「五日で技巧まではとてもいかないぞ? せいぜい、当り障りのない和音を繰り返すくらいまでいけば、というところではないだろうか」
「わおん?」
またしても間抜けな発音が返ってきた。マイクロトフは小さく溜め息をついた。
これ以上、カミューに恥をかかせるのは本意ではない。
今にも目眩を起こしそうになっているアルバートと、笑いを堪えているピコの間で逆向きにギターを構えたまま小首を傾げている可憐な恋人。
彼は歩み寄って、カミューの手からギターを取り上げた。
近くの椅子を引き寄せて座ると、ぽろんと弦を弾く。
一同が仰天して見守る中、彼は古くからデュナンに伝わる楽曲のひとつを演奏し始めた。誰もが想像し得なかった事態に息を殺している。
ロックアックス生まれの者で、そこそこの家に育っていれば、一般教養のひとつとして楽器の一つも学ばされる。
無論、騎士の資格には含まれないが、そうした理由で騎士の多くは標準程度の楽器演奏が可能なのだ。
屈強な騎士に対してアンネリーらが声を掛けなかったのは無理ないことだったが、マイクロトフも同様だったのである。
決して性に合うとは言えなかったし、長く続けるだけの興味も持てなかったが、ギターくらいならば爪弾くことが出来た。
カミューの矜持を傷つけてはいけないと、ひたすら貝になっていた彼だが、このままでは黙っているよりも更に悪いことになりそうで、已む無く決断したのである。
彼の演奏は決して上級ではないが、それでも標準レベルはいっている。
意外な展開にアルバートらは驚いたが、同時に大変喜んだ。
かくしてバックバンドの一員は、カミューからマイクロトフへと変更された。
ピコもまた、カミューのあまりの外しぶりに好感を覚えたのか、早々に敵愾心を捨てたようだ。笑いながら彼を冷やかし、相棒の意外すぎる特技を誉めていた。
楽譜を渡され、個人練習を義務付けられたマイクロトフは、ちらりとカミューを窺い見た。彼が気分を害していないか、それだけが気がかりだったのだ。
けれどカミューは、やや困惑したような表情でマイクロトフを見返すばかりだった。
部屋に戻るなり、カミューは小さく息を吐いた。
「…………演奏出来るなら、最初から言ってくれれば良かったのに」
「い、いや、その………………」
「わたしの慌て振りを楽しんでいたんだろう」
「そんな! そんなつもりは………………」
カミューは一瞬彼を睨んでから、すぐに表情を緩めた。
「冗談だ。意外だったな、おまえにそんな特技があったなんて……」
「……特技、というほどのものではないが……」
「今度、わたしに教えてくれるかい?」
机に置かれたギターを一瞥し、甘えるように寄ってきたカミューに、マイクロトフは口元を綻ばせた。
「勿論だとも。教えるほど上手くはないが…………」
「そんなことはない。さっきのおまえ…………、とても意外で魅力的だったよ」
「そそそそそそうか?!」
ギターを習わせてくれた叔父夫婦に心から感謝するマイクロトフだ。
「そうだな……レッスン代は……」
切り出した恋人に、急いで首を振る。
「そんなものはいらない。必要ないぞ、カミュー」
「最後まで聞け」
彼は柔らかに微笑んだ。
「わたしの歌…………で、どうだろう?」
「おまえの歌?」
「そう」
しなやかな腕がマイクロトフの首に巻きついた。
「ただし……わたしが良い声で歌うには、おまえの伴奏が必要なのだけれど」
意味を取り違えて楽器を取ろうと手を伸ばすマイクロトフを、カミューは苦笑しながら引き止めた。
「恋人が歌うと言ったら、ベッドの中でに決まっているだろう? さあ、早く。素敵な伴奏を頼むよ、マイクロトフ」
最初から難しいネタだとは思っていましたが、
轟沈!!って感じですね……すみません、和乃さん(泣)
出来上がった次の日に某U様が洩らされた、
「ヤム・クーに尺八(大笑い)を習う赤」 の方が良かったな〜(爆)
大方の皆さんがイメージするのと逆にしてみよっかな〜と
無謀を冒した挙げ句、捻り過ぎて着地に失敗、腰を打ったって感じ……。
おまけにちっとも楽器を習ってないじゃん!!
お詫びに和乃さんの最初の妄想(を暗示・笑)と、苦手な誘い受けを
入れましたので、お許しください………………。