マチルダ騎士団における元・青騎士団長マイクロトフは、親友である元・赤騎士団長カミューのことが好きだった。
どのくらい好きかと言うと、同性であるにも関わらず、どうにかなってしまっても構わないほど、否、なりたくて堪らないほどであった。
正義と信念の塊である彼が堕落した騎士団を離反しようしたとき、たったひとつだけ心残りがあった。
───もうカミューに会えなくなる。
理性と忠誠に生きる親友は、感情と勢いのままに反逆する己と袂を分かつだろう。そうなったら敵味方、長年育んできた友情も、実は密かに温めていた恋情も遠い彼方になってしまう。
どうせ葬らねばならない想いなら、何故勇気を振り絞って告白しておかなかったのか。二度と微笑みを交わせなくなるカミューに、せめて儚き恋心だけでも知っておいて欲しかった、そう胸に過ったのである。
だから彼が離反に賛同してくれたあの日は人生最良の日であった。
新たな住処となるデュナン湖畔の城を並んで見上げ、マイクロトフは今度こそ決意を固めたのだ。親友に想いを告げよう、と。
崇高な戦いへの誇らかな情熱、果ては想い人への滾る情熱と、マイクロトフは常に熱い男であった。
そんな情熱に味方したのであろうか、新同盟軍の城に設えられた居室は、何とも嬉しいことにカミューと同室だったのである。
正確には城が手狭であるが故に一人部屋に無理矢理押し込まれただけなのだが、恋する男には正しく天の助け、『想いを遂げよ』との神の声であった。うっかりすると綻んでしまう口元を必死に堪えつつ、彼は親友と肩を並べて居室に入った。
広大だったロックアックス城の自室と比べればウサギ小屋の如き小さな部屋も、慕わしき美貌の友と寝起きを共にすると思えば絢爛たる寝所である。
溢れる想いをカミューに伝え、あわよくば受け入れてもらいたい。そうすれば、ここは胸弾む愛の住処ともなるのだ。
マイクロトフは立て付けの悪い扉を渾身の力で閉めた後、気の遠くなるような幸福で満たされたものだった。
───ところが。
これがなかなか首尾良くいかなかった。
あれほど煮詰まっていたというのに、いざ二人きりになると途端に照れが勝って言葉を交わすことさえ難しい。
考えてみれば、相部屋ということは着替える姿さえも堪能し放題なのだ。ただでさえロックアックスに在った頃、親友の肌を想像しては危うく鼻血を出しかけていた男にとって、まったくもって嬉しい地獄である。
片やカミューは普段通りの打ち解けた笑みを浮かべ続け、まったくマイクロトフの邪な視線に気づいていないらしい。あまりに無防備な彼を見ていると、己の願望が後ろめたく思えてきてしまう。
そういう訳で、離反してから早くも数週間が経とうというのに、マイクロトフは相変わらず煮え切らない悶々とした日々を送っていたのであった。
そんなある夜のことである。
二人はいつものように戦闘に疲れた身体を向かい合って酌み交わす極少量の酒で癒していた。疲労からやや酔いが回ったのか、ほんのりと紅に染まったカミューの頬は涙が出るほど美しかった。
───今ならば言えるかもしれない。
マイクロトフはごくりと喉を鳴らしてグラスを置いた。
「カミュー……ずっと言いたかったことがあるんだ」
「何だい?」
笑顔と共に柔らかに返され、一気に鼓動が跳ね上がる。
「おれは、おまえが好きだ」
真っ直ぐに見詰めながら気合いを込めて告げると、虚を突かれたようにカミューは瞬き、それからくすりと肩を震わせる。
「どうしたんだい? 何を改まって……」
「好きなんだ、カミュー」
重ねて言うと、今度は彼も笑みを消して戸惑ったように小首を傾げた。
「友として、……そしてそれ以上に、おまえが好きだ。ずっとずっと好きだった。おまえのことを考えるだけで夜も眠れなくなるほど好きなんだ」
「……最近、目が血走っているのはその所為だったのかい?」
「そうだ。実際ここのところ、ふらふらするほど眠い。ふと気づくと戦闘中に意識が途切れているときもあるほどだ」
「それは危ないよ、マイクロトフ」
「うむ。このままでは命の危険を感じるので、思い切って告白することにした。これでやっと落ち着いて眠れそうだ」
そこまで言ってからはっとする。
───否、ここで終わってしまっては意味がないのだ。
「出来ればおまえの答えを聞かせて欲しい。カミュー、おれの想いは迷惑か?」
するとカミューは艶やかに微笑んだ。
「迷惑な筈がないだろう? 嬉しいよ、まさかおまえがわたしと同じ気持ちでいてくれたなんて……天にも昇りそうな心地だ」
マイクロトフは呆然とし、それから歓喜に全身を戦慄かせた。
「な、ならばカミュー……おれたちは相愛だったということか?!」
みたいだね、と苦笑するとカミューは残りの酒を優雅に干した。
「何といっても男同士だ。よもや想いが叶う日がくるとは思わなかった。幸せだよ、マイクロトフ……」
「カミュー!!!」
感極まってテーブルを飛び越し、しなやかな肢体をきつく抱き締める。背に回された腕はカミューの想いを物語るかのように熱く、そして強かった。
どちらからともなく重なった唇が相争うように互いを貪る。呼吸もままならず、やがて僅かに離れた唇は戦いの直後の如き荒い息を洩らした。
「カミュー……ベ、ベッドに行かないか?」
騎士の礼節をもって進言すると、淡い琥珀の瞳が恥じらうように伏せられる。信じ難いほど望みのままに進む事態に改めて身を震わせ、彼は想い人の肩を抱いて寝台の脇まで進んだ。
そこでカミューに向き直ったマイクロトフは、誠意を込めて問い掛ける。
「おまえも男は初めてだろうが……本当にいいんだな?」
「任せてくれ」
やけに自信たっぷりな即答に感心するいとまもなく、マイクロトフは寝台に転がされていた。すかさず覆い被さってくるカミューに束の間呆ける。
「カミュー……?」
「大丈夫、怖がらなくていいよ。確かに男は初めてだが、精一杯優しくするから」
言い終わらぬうちから、なめらかな手がマイクロトフの筋骨逞しい胸元を探り始めた。得も言われぬ快感はともかく、マイクロトフは大混乱に陥った。
カミューの手捌きは実に巧みで、気づけば上衣はすっかりはだけられているではないか。衣服の上から撫で上げられただけでも疼いた身体に今度は直に触れられて、耐え切れず四肢が震える。
「カ、カミュー、ちょっと待て!」
確かにとても心地良いのは事実なのだが、この事態はマイクロトフがこれまで幾度となく繰り広げてきた想像とは異なっていた。
現在、自分はベッドに仰向けに倒されており、そこに跨がるカミューが丹念に愛の技巧を駆使している。
けれど、違うのだ。マイクロトフが求めてきたことは、何となく逆なのである。
「カミュー……あっ……」
温かな舌先に伝われた首筋に、知らず上がる悦びの喘ぎ。
───違う。
何かがとても違う。
「う……っ、待てと言っているんだ、カミュー!」
思わず腕を掴み締めて彼を引き剥がしたが、返るのは不審そうな表情ばかりだ。
「どうしたんだい? 悦くないか……?」
「い、いや、素晴らしく悦い。悦いことは悦いんだが……」
「だったら何だい? ……ああ」
カミューはにっこりした。
「恥ずかしがらなくてもいいんだよ。可愛いね、おまえは」
───可愛いのはおまえだと思うぞ、という反論をする余地もなかった。
認めたくないし、実に信じ難いことではあるが、これは非常にまずい事態なのかもしれない。
マイクロトフの身体に馬乗りになったまま自らの上着を勢い良く脱ぎ捨てる男らしさ、さながら可憐な生き物を見ているかの如き微笑みをたたえた眼差し。
「カミュー……お、おれをどうするつもりだ……?」
恐る恐る問うてみると、今度こそ絶体絶命を感じさせる笑顔が答えた。
「どうって……今更何を言っているんだい? 言っただろう、怖がらなくていい。わたしに任せてくれ」
これは誤算だ。
はなはだ驚愕すべき誤算である。
今のカミューの立場こそ、マイクロトフの求めた行為の在り方だ。想い合うならどちらが主導でも構わない───と言い切れないのは雄の本能というものかもしれない。
最初に希望を提示しなかったのがまずかったのだろう。
おそらくは色事に疎い自分を気遣って、カミューは率先して行為を進める心積もりなのに違いない。そこでマイクロトフはおずおずと振り出しに戻そうと試みた。
「カミュー……おまえを愛したいんだ」
「わたしもおまえを愛してやりたいんだよ」
予想外の返答に困惑したマイクロトフに、カミューは艶然と微笑した。
「困ったね、これは……つまり、わたしたちは双方共に男としての行為を取ろうと望んでいたらしい」
「おっ、おまえもか?!」
「当然だろう?」
ふっと吐息を洩らした彼は震え上がるほど冷静な声で続ける。
「わたしが男に抱かれたがる男だとでも思うかい?
いくらおまえが相手でも、これは譲れないな」
「だっ、だが……!」
そこでマイクロトフはぐいと両手首を掴まれて、敷布に押しつけられた。動揺しながら振り解こうとしたが、ほっそりとした麗人は彼の全力の抗いにびくともしない。
そして愕然とすることに、カミューは片手でマイクロトフの両手を拘束しているのだ。必死にもがく彼を赤子のようにあしらいながら息ひとつ乱していない。
「カ、カミュー……おまえ、その力はいったい……」
次第に胸に広がる不安を噛み殺しながら呟くと、美貌の想い人は穏やかに笑った。
「ああ、これか。実はね、マイクロトフ……おまえと同じ、あるいはそれ以上にわたしはおまえが好きで堪らなかった。でも、おまえは色恋にはまるで関心がないようだし、まして男同士だろう? この想いは絶望だとばかり思っていたよ」
空いた片手が柔らかく肌を弄っている。ともすると快楽に身を捩りそうになりながら、マイクロトフはなおも必死に立場の逆転をはかろうと虚しい抵抗を続けた。
「近い将来、わたしの自制にも限界が来るような気がした。だから、ウィン殿にお願いしたんだ」
───何故そこで新同盟軍の指導者の名が出てくるのか?
「この城には様々な息抜きの場があるだろう? 知っているかい、『きこりの結び目』というゲームを?
5000ポッチ賭けてゲームをして、2位になると『力の石』が貰えるんだ。そこでわたしはウィン殿に頼み込んで、ゲームに励んでいただいた。賭け金を出す替わりに得た『力の石』を全て貰い受けるという条件でね。取得した石の数は締めて83個、お陰で手持ちの金は見事に消え失せたが、これで遥かにおまえの力を上回ることが出来たという訳さ」
「……………………」
「でも、良かった」
カミューは幸福そうに首を振りながら優しくマイクロトフの額に唇を落とす。
「出来ることなら無理矢理奪うような真似はしたくなかった。合意が貰えて嬉しいよ」
「い、いや、決してその点で合意した訳では……っ」
忍びやかで淫らな指先が下肢を這い出すのに仰天して必死にもがくが、伸し掛かる岩にも似た強い力が抗いを押し潰す。
「愛している。一生大切にするよ、マイクロトフ……」
「待ってくれ! おれ、おれは……」
「もう待てない。焦らさないでくれ」
「や……、やめろ、カミュー!」
「怯えたおまえは小鳥みたいに可愛いよ。さあ、マイクロトフ……力を抜いて───」
「い、……嫌だ! やめてくれ、頼む……カミュー!」
もはや恥も外聞もない。
万力の想い人に押さえ込まれたマイクロトフは、甘い愉悦を迫り上がらせる下腹部への羞恥に染まりながら絶叫した。
「離してくれ、
駄目だ……! うおっ、やめてくれ、カミュー……!!!」
「…………やめて欲しいのはわたしの方だ……」
暗闇に立ち尽くしてぽそりと呟いたのは、端正で優美なる元・赤騎士団長。
彼は殆ど泣きそうな顔で、寝台にて暴れている男を見下ろしていた。窓から差し込む月明かりの所為か、顔色は白を通り越して蒼白である。
元・赤騎士団長カミューは親友である元・青騎士団長が好きだった。どのくらい好きかというと、同性だけれどあやまちを起こしても構わないほどであった。
新同盟軍に身を寄せて、狭い一室を二人で使うことになったとき、だから彼は心中密かに仄かな喜びを感じていた。
周囲には恋慣れた男と評価されつつ、実は本質的に照れ屋なカミューは、長年温めてきた想いを告げる機会を必死に窺っていたのである。
けれど、想い人は何処までも融通のきかない朴念仁であった。日々張り切って戦闘に勤しみ、夜は夜でさっさと寝台をカミューに譲って部屋の隅で寝てしまう。
今宵もまた、酒の勢いでも借りて告白しようかという彼の目論見を裏切って、マイクロトフは速やかに眠りに落ちてしまったのだ。
仕方がないから重たい身体を息を切らせながら寝台に運び、自分は毛布一枚を手に部屋の隅に落ち着いた。ところが、漸く浅い眠りに入ったところで何とも騒々しい寝言に無理矢理起こされてしまったのである。
───しかも、その寝言のただならぬ内容。
『嫌』だの『やめろ』だの『離せ』だの、おまけに野太い喘ぎ声と『カミュー』の名前つき。声だけ聞いていたら、自分が彼に不埒な真似をしているとしか思えない。
マイクロトフとただならぬ関係になりたかったのは事実だが、このやたら逞しい大男を強引に組み敷く脅威の怪力男として周囲に認識されるのは甚だ本意ではない。
揺り動かして起こそうと試みたが、酒の所為か、果てしなく深いマイクロトフの覚醒は容易に訪れない。その間にもカミューにとって不本意な寝言は盛大に継続しているのだった。
「うおおお!!!! カミュー、嫌だっ!!!」
「わたしも嫌だよ、マイクロトフ……」
「やめろ、もう…………」
「もう?! もうそんなに切羽詰っているのか!」
「ん……っ、やめ…………ないでくれ……」
「どっちなんだ!!」
いちいち反応しては嘆きながら柔らかな髪を掻き乱し、最後に悄然と呟く。
「ああもう……どうすればいいんだ、この城の壁は薄いというのに……」
愛ゆえに殴りつけて起こすことも出来ず、傍らに立ち尽くしたまま途方に暮れる薄幸の赤騎士団長。
朝になったらさぞ恐ろしい噂が城中に蔓延していることだろう。
だったらいっそ、現実にしてしまってもいいかな───などと投げ遣りに考えてしまう彼もまた、何処までも恋する青年だった。