試練の日


静寂が村を支配していた。
視界を横切る影もなく、ただそこには沈黙が広がるばかりである。新同盟軍の若き指導者ウィンは嘆息しながら周囲を見回し、思案に暮れた。
港町クスクスの東南に位置するこの村からの大勢の流民を本拠地に迎えたのが先日のこと、しかもよくよく見れば逃げてきたのは老人や女子供ばかりである。
ただでさえ楽ではない新同盟軍の台所事情。けれど徒歩で横断するには決して近いと言えない距離を、殆ど武力も持たない者たちが必死で渡ってきたのかと思えば当然のことながら受け入れざるを得ない。
ひとつだけ不思議だったのは、同村の周辺が戦地とはなっていないことであった。デュナン湖岸南部は現在、新同盟軍の管理下にある。何故この時期に大量の流民が発生したのかは質さねばならない、そうした軍師の意見はもっともだった。
そこで手厚く遇されて疲れを癒し始めた流民への質疑が開始されたのだが、いずれも極度の怯えと混乱を示すばかりで埒があかない。一応は落ち着きを見せる年長者に言葉を掛けても、戻ってくるのは悲しげな眼差しばかりである。
対応に苦慮した軍師は人を派遣して原因の追求にあたることを決めた。そこで真っ先に名乗り出たのが同盟軍の指導者本人だったのは誤算だったろうが、民の安寧第一を説く少年に渋々といった様子で許可を与え、一応武力に優れた護衛をつけた上で送り出したのだった。
そんな訳で、指導者ウィンは仲間と共に村に降り立ったが、予想を覆す静けさに戸惑った。探索から戻ってきた仲間は一様に首を傾げるばかりなのだ。
「ウィン殿、戦いの痕跡らしきものはありません」
「ああ、こっちもだ。血の一滴も見当たらない」
言ったのは元・マチルダ青騎士団長マイクロトフと『青雷』の異名を持つ傭兵フリックである。
「ねえねえ、おかしいよ」
乗り出したのはウィンの義姉のナナミだ。得体の知れない村を乙女一人で探索するのは危ないと同行した元・赤騎士団長を見遣りながら彼女は言う。
「カミューさんとも変だって言っていたんだけど……荒された様子もないんだよ。幾つか家を覗いてみたんだけど、おやつの時間だったのかなあ……お皿やカップが置きっ放しなの」
「突然何らかの異変が起きて、そのまま逃げ出したとしか言いようがありませんね」
柔和で穏やかな口調でカミューは補足した。最後に戻ってきたのはいつも不機嫌そうな天才魔術師の少年ルックである。苛立たしそうに肩を竦め、一同の意見に同意する。
「こっちも同じ。別に変わったものは何も出なかったよ」
「おかしいな……」
ウィンは考え込んだ。
「例えばモンスターに襲われて逃げてきたとしても、女子供に老人だけってのは妙だよな」
フリックが言えば、
「村の男たちは魔物と果敢に戦って……気の毒な末路を迎えられたのでは?」
マイクロトフが沈痛な面持ちで返す。しかしそれには親友のやんわりとした否定が入った。
「それにしては戦いの痕跡がない。あるいは村の外に誘き出されたにしても……家々には武器になりそうなものが十分に残されていたし」
「何にしても、このままじゃ帰れないよ。逃げてきた人たちが可哀想……」
口を閉ざしたまま怯えるばかりの村人たちを思ったのか、ナナミがぐすりと鼻を啜る。新同盟軍の紳士代表である赤騎士団長はすぐに身を屈めて微笑んだ。
「無論ですよ、レディ。我々としても管理下の地にある異変を放置しておく訳には参りません」
「そうだよな……放っておけば、また次の流民が出る可能性もあるし。どうだ、ウィン? 取り敢えず夜を待ってみないか? 原因がモンスターなら夜間に襲撃してくる可能性もある」
フリックの慎重な提案にウィンは頷いた。
「そうですね……そうしましょう」
「幸い、空き家もたくさんあるしね。ぼくは夜まで休ませてもらうよ」
そう言ってすたすたと歩き出す魔術師にナナミは慌てて呼び掛けた。
「ね、ねえ! それってまずいんじゃない? 断わりもなく人の家を使っちゃうの?」
するとルックは小馬鹿にしたような顔つきで振り向いた。
「ぼくらは村の連中のために来てるんだよ。それくらい当然の権利だと思うけど?」
小生意気な口調に騎士団長二人は顔を見合わせて苦笑った。正論と言えなくもない。ここは住人に捨てられた村なのだから。
「寝泊まりするくらいなら問題ないと思いますよ、レディ。ただ、ルック殿……バラバラになるのは得策ではありません。北に大きな家がありました。村長のお宅ではないかと思われるので、そこを宿にお借りしては如何でしょう?」
「ふうん。じゃ、そうするよ」
強大な魔力を持つ少年は単独行動への危険をあまり感じていないらしい。それでも一応納得したように頷いて再び歩き出そうとした───が。
不意に表情を険しくして前方を睨み付ける。
「ルック、どうかしたか?」
フリックの呼び掛けにも応じず、暫し黙した彼はやがて低く警告した。
「何かいる」
「何っっ?」
途端に血気滾らせる青騎士団長が大剣を抜く。
少年の見遣る先、村の至るところに見られる手入れされた植え込み。緑豊かに生い茂る葉の向こうに、確かに何ものかの気配が認められた。
「生き残りの村人か?」
「モンスターかもしれません。ナナミ殿、ご注意を」
空気にただならぬものを感じたのか、ルックが後退りながら一同の輪に戻る。
「何だろう……初めての感じだ……。これまで出会ったことのないモンスターかもしれない」
ひどく緊張した面持ちに仲間たちは警戒を強めた。個々に武器を用意し、異質が出現する瞬間に備える。
「ね、ねえ……もしかして村の男の人たち、食べられちゃったのかな?」
恐々と呟いたナナミの一言は彼らをぎくりとさせた。争う間も無く餌食にされた、それは確かに説得力のある言葉だ。強大な魔物なら血の一雫も残さずヒトを平らげることもあるだろう。
「馬鹿な……冗談じゃないぜ」
我知らず怒りに震えたフリックの呻きは仲間たちの総意だった。そして、その思いが最も顕著に現れたのは勇猛にして正義感に厚い青騎士団長だったのである。
「無力な民を蹂躙するとは……許さないぞ、魔物!」
叫ぶなり、真っ先に身を踊らせる。
「待ってください、マイクロトフさん! 一人じゃ危険です!」
「そうだよ、別にモンスターとも限らなければ食べられたと決まった訳でも……」
ウィンの制止、ルックの冷静な指摘も届かず、大柄な体躯が何ものかの気配を放つ植え込みの向こうに消えていく。
「仕方ない、追うぞ!」
「……しょうのない奴だな……」
フリックの呼び掛けに、マイクロトフの力量を信じながらもカミューは首を振る。主君の護衛を任ぜられながら真っ先に闘争に飛び込むマイクロトフの質、それを愛しく思いながら嘆息せずにはいられないのだ。
一同は改めて気を引き締め、木立ちの中に消えたマイクロトフを追って走り出し───不意に眼前に輝いた閃光にぎくりとして立ち竦んだ。
「な、何? 今の……」
「まさか、マイクロトフさんが……」
呆然としたウィンの独言に一同の顔色が変わる。今度こそ全速力で駆けに駆け、漸く見慣れた青い騎士服を発見して息を詰めた。彼はぐったりと大地に伏していたのである。
「どうした!」
「マイクロトフ……?!」
叫んだフリックと案じたカミューは目を見開いた。ゆるゆると身を起こし始めた男には愕然とする異変が生じていたのである。
「くそっ、不覚を取った……大丈夫です」
言いさして振り向く笑顔がやけに眩しい。少し離れたところで足を止め、食い入るように視線を向ける仲間たちにマイクロトフは首を傾げた。
「申し訳ありません、ご心配をお掛けして……」
「い、いや、それはいいんだけどな」
引き攣った表情でフリックが応じる。
「やはり魔物でした。それも巨大な……見たことがありません、異種でしょうか」
「そ、そう……」
ウィンが強張りながら頷く。
「……? 如何なさったのです? 本当にすみませんでした、怪我はありませんので……」
「怪我、はないかもしれないけれどね……」
震える声でカミューに言われ、マイクロトフは眉を寄せた。またしても無茶をして、愛しい伴侶たる青年を心底怒らせてしまったのかと思ったのだ。が、続いた魔術師の少年の冷め切った声は非情だった。
「古典的とか言わないでよね。怪我はないかもしれないけど、毛がないよ」
「は?」
最後にナナミが耐え切れずといった調子で泣き出した。
「マイクロトフさん……髪の毛がなくなってる……、ピカピカで眩しい……」

 

 

慌てて撫でた自身の頭部。
そこに在る筈だった感触は失われ、やけに艶やかで滑りやすい手触りが伝わってくる。
抜き身の愛剣に映し出された変わり果てた我が身を見た刹那、静かな村に野太い絶叫が轟いた───のも、やむないことだったかもしれない。

 

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何も言うことはございません……。

 

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