Rebirth ──── SIDE B ────
その朝はいつもと些か風景が異なった。
サウスウィンドウの街に同盟軍の物資調達にやってきて数日、宿と定めた部屋では設えられた二つのベッドのうち、常に片側は必要とされなかった。
だが、昨夜は初めてそのもう一つが使用された。マイクロトフが熱を出して寝込んでいたからである。
珍しく風邪を引いた彼の為に、カミューは献身的に尽くした。自ら厨房に立ち、彼の家に伝わる病人用の粥を作るほど。
その親身な看護の甲斐あって、夜半には病状は安定した。
それでも念のためにと久々に別のベッドで休み、窓から差し込む朝日に目を開いたとき、カミューはようやく異変に気づいたのだった。
マイクロトフの朝は早い。
それに、こうして二人で同じ部屋に眠っていながら、目覚めを彼の微笑みで迎えられなかったことは皆無だ。
怪訝に思って身を起こすと、当のマイクロトフは自分のベッドに座り込んで項垂れていた。
「マイクロトフ?」
「ああ、カミュー…………」
彼の声は何処となく沈んでいて、やっと向けられた笑みは寂しげだった。
「おはよう。具合はどうだい?」
「ああ、もう大丈夫だ」
────ならば何をそんなに暗い顔をしているのだろう。
カミューは滑るように部屋を横切り、マイクロトフの横に座った。
「熱は?」
「ない」
「どこか苦しいとか……?」
「平気だ」
やや突っ撥ねるような口調に、カミューは眉を顰めた。哀しげな表情に見えたのだろう、マイクロトフは慌てて言い募った。
「い、いや────本当に風邪は治った。おまえのお陰だ、カミュー」
「ならば、どうしてそんな難しい顔をしている? キスはしてくれないのかい……?」
「カミュー…………」
切なげに顔を歪ませた男は、彼の肩を抱いて強く引き寄せた。いきなり濃厚なくちづけに襲われ、カミューはマイクロトフの夜着を掴み締める。
絡み合った舌が名残惜しげに離れた。彼は男の首筋に顔を埋めたまま、小さく訊いた。
「……何を悩んでいる? わたしでは力になれないか?」
「カミュー……」
くしゃ、と柔らかな髪を掻き上げた大きな掌は、そのまま頬に当てられた。
「────────勃たないんだ……」
「え?」
「……今朝、起きてみて……駄目なことに気づいたんだ」
カミューは驚いて顔を上げた。目に映る男はつらそうに唇を噛んでいる。
「で、でも────おまえは病み上がりなのだし……、別に…………よくあることだろう?」
「かもしれないが」
マイクロトフはますます低くなる声で呟く。
「おまえとこういう仲になってから、一度だってこんなことはなかった。丸一日、ろくにおまえに触れずにいて……目覚めておまえの寝顔を見ていながら駄目だなんて…………」
「マイクロトフ────」
「このまま二度とおまえを抱き締められなくなるのかと……不安で────」
カミューは真剣に考え込んでいるマイクロトフに困惑した。
そもそも、毎朝のように勢いづく彼の方がむしろ珍しい存在なのではないかと思う。
だが、マイクロトフにとって朝の第一波は雄々しさの象徴であり、早朝訓練と共に外せない習慣なのかもしれないと思い直した。
「そんなことはない、大丈夫だよ。若いうちはバイオリズムが一定していないから、ままあることらしいし」
「………………おれは『若い』うちに入ると思うか?」
自嘲気味に返す男に、流石に言葉が詰まった。
「……気休めなら言わないでくれ。つらくなる────」
すっかり意気消沈してしまっている恋人の姿に、カミューは献身の炎を燃え上がらせずにはいられなかった。
「どうやら、昨夜の薬湯がまずかったらしいな」
何はともあれ食事を済ませようと食堂に行った帰り、カミューは宿屋の主人と言葉を交わして結論を導き出した。
「薬湯というのは宿屋の主人がくれたあれか?」
親切な主人は客人が寝込んだと聞いて、薬湯を処方して差し入れてくれたのだ。
「色々な薬草を入れたようだが、少し目を離した隙に子供が『ルー』という薬草を混ぜてしまったらしい」
「どういう効能なんだ、それは?」
「…………性欲減退」
「な────何だと?」
「女人禁制の寺などで使われる香薬草らしい。まあ、効果は一過性のものらしいから心配しなくても大丈夫だよ、マイクロトフ」
「何ということだ……折角今日一日はおまえとゆっくり二人だけで過ごせると思っていたのに────」
明日には調達した物資の移送のために騎士団員たちがこの街にやって来る。物見遊山で訪れたわけではないが、やはり予定よりも早く任務を済ませた褒美の欠片くらいは期待しても罰は当たらなかっただろう────そうした男の心境を如実に表す苦しげな独白だった。
だが、カミューも気持ちは同じだった。同盟軍に参加してからというもの、馬車馬の如く働いてきた。サウスウィンドウに来てから過ごした夜は、確かに苦しい戦いを忘れさせてくれる幸福な時間であったのだ。
「…………考えてみたんだが」
彼は躊躇しつつ切り出した。
「わたしが────協力しても駄目だろうか……?」
「カミュー?」
「……おまえが元通りになるなら、わたしは……────」
堪らないほどの羞恥に頬が染まる。ぽつぽつと提案した彼に、マイクロトフは心底驚いたように目を見張り、それから小さく苦笑した。
「────無理しなくていい。苦手だろう?」
「でも────」
カミューは一旦唇を閉ざし、それから決意して窓辺に向かった。自らを励ますように勢い良くカーテンを引く。薄明かりに影が揺れた。
「……おまえが悩んでいるのは見たくない。わたしだって、おまえのためにどんなこともできると────おまえに知ってもらいたい」
掠れた声で告げた彼に、男がごくりと喉を鳴らす。
その音は妙に淫らに、静まり返った部屋に響いた────
「ん……っ、ふ────」
荒くなる呼気は、だが口を塞がれて満たされることがない。時折励ますように髪を掻き乱され、必死で舌を絡みつかせた。
関係を結んでからも、極力避けてきた行為だった。
羞恥は無論のこと、自らを貫く熱を育てるという行為には常に微かな怯えと躊躇が隣り合う。
一片の迷いもなく己の下腹に顔を埋める男を思えば、それは甘えであり、不実に思えた。だが、マイクロトフが強引に行為を求めたことは一度もない。その優しさを感じるたびに、自責に駆られてきたカミューである。
理由はともあれ、自身の決意を促す口実になったのは確かだ。だからこそカミューは固く目を閉じ、必死に奉仕を続けていた。
彼の献身に感じ入ったのか、僅かに芯を持ったマイクロトフの熱は、しかし体内深くを侵略するときとは比較にならない。雄々しく逞しかった欲望を思えば、その不安は察して余りあった。
「んっ……────」
マイクロトフの望みに従って、薄い上衣一枚だけを羽織った姿で跪いた彼は、自らに与えられる行為を思い出しながら男が一番悦びを得られるであろう愛撫を施す。
「……────カミュー…………」
苦しげな男の声が降ってくる。焦りを覚えているのだろう。常ならば恋人の奉仕など待つ前に燃え上がる肉体が、思うに任せぬことに苛立っているはずだ。それでも押し殺したように名を呼びながら愛しげに髪を撫でる掌に、カミューは涙ぐみそうになった。
何とかしてやりたいのに。
彼には不安そうな顔など似合わないのに。
────なのに自分はこんなにも無力なのか────
「カミュー、もういい」
ふと洩れた嗚咽に気づいたのか、マイクロトフは急いで彼の頬を包んで仰向かせた。
「すまなかったな、苦しい思いをさせて────」
「マイクロトフ…………」
「……おまえの言う通りだ。何も一生このままという訳でもないのだし。焦ることはない、薬草の効力が切れるのを待つことにする」
「でも────」
それは十分わかっている。
ただ、それでも今、そうして寂しげに微笑む顔を見たくないのだ。
そうカミューは言い募ろうとした。だがマイクロトフは言葉を待たず、彼の両脇に手を差し込み、一気にベッドの上に引き上げた。
「気持ちだけで嬉しい。これからはおれにさせてくれ」
宣言するなりカミューを倒し、覆い被さってくる。荒々しいくちづけが男の本心を物語るようでつらかった。
「あ……っ……」
弄られるなり、火が点いた。恋人が苦悩しているというのに、あまりにあっさりと走り出す自らの肉体を嫌悪する。それでも声を殺せなかった。
「あ、や……っ、マイクロトフ────」
「綺麗だぞ、カミュー…………」
マイクロトフはカミューの首筋を吸い上げながら、片手で薄い胸を撫でた。布越しに刺激されて固くなる実を、指先で味わうかのように転がした。
思わず立ち上がった膝を押し開かれて、大きな掌が入り込んでくると、全身が戦慄いた。更に強い快楽を求めて蠢く下肢に、マイクロトフは望むままの行為を与えてくれた。
「ああ────」
「いいのか、カミュー……?」
狂おしげに男が耳腔に吹き込んでくる。一瞬も緩まぬ快感の波に、カミューは身悶え、啜り泣いた。
溢れた先走りを絡め取った指の侵入が始まると、喘ぎは立て続けに迸った。
恋人の置かれている状況を思えば、狂態を曝すのは耐え難い。だが、蕩け出す身体を止めようすべはなく、カミューは男の太い二の腕に無意識に爪を立てていた。
「…………っっ」
攫われるような惑乱に怯え、恋人に必死に縋りついたとき────
「カミュー」
これまでとは違った声が呟いた。目を開けると、マイクロトフはやや呆然とした表情で彼を見下ろしていた。
「……マイクロトフ…………?」
「────いけるかもしれない」
言われて気づくと、太腿のあたりに熱い塊が押し当てられている。それは先程までの脆弱さとは打って変わった猛々しさで息衝いていた。
「────カミュー!!」
言葉を交わす間も惜しむように、マイクロトフは一気にカミューの脚を抱え上げた。続いて打ち込まれた灼熱に、カミューは歓喜の叫びを上げて仰け反った。
「カミュー…………カミュー!!」
「はっ────ああ、マイクロトフ……!!」
再生を噛み締めるかのようなマイクロトフの欲望は、薄日の差し込む部屋が暗闇に満ちるまで尽きることはなかった。
「…………流石にくらくらする…………」
ぼんやり呟いた男に、だがカミューは答える力も残されていなかった。
声を出そうにも、喘ぎ続けた喉は焼けつくようだ。身じろぎする気力もない。
そんな彼を申し訳なさそうに一瞥した男は、そっと上掛けを引き上げた。
「……大丈夫か? すまない、つい夢中で────」
大丈夫とは言い難かったが、それでも朝の打ちひしがれたマイクロトフを見ているよりはずっといい────そうカミューは微笑み返した。
「ど…………して、急に…………」
やっとのことで搾り出すと、マイクロトフも首を傾げた。
「……わからない。おまえが感じてくれている姿を見ていたら…………こう、唐突に」
「…………わたしは……役に、たたなかった……な」
「そんなことはないぞ」
彼は力強く断言した。
「おまえがおれの為に必死になってくれている姿はたまらなかった。嬉しかったぞ、カミュー…………本当だ」
「……これからは…………もう少し、精進……するよ……」
苦笑混じりに洩らした言葉に、マイクロトフはにやりとした。
「散々な目に遭ったと思ったが…………怪我の功名とはこういうことだな。楽しみにしているぞ、カミュー」
昼夜が逆転しそうだ────カミューは思った。霞む意識に睡魔の訪れを感じる。
思わず口走ったことを、マイクロトフは決して忘れまい。これからは遠慮なく求められそうだなと最後にほんの少しだけ後悔したが、それは訪れた眠りとともに、満足感に塗り潰されていった────
いや、真面目に書いてたつもりです。
そのつもりだったんですが────気づくと書きながら肩が震えていました(笑)
やっぱ不能ネタはギャグにしかなりませんね。
ほとほと実感しましたです。
M大王様(仮名)、以前リクしてごめんなさい。でも、表に置いてあるのではな〜〜と
二つ作った誠意と努力をを認めて下さい、
ねみさん。なお、『ルー』の資料提供は
水無月なる様。ありがとうございました〜。