誇り高き夜の覇者


 

ふと、恋人の身体から力が抜けた。
自分の言葉の何がそうさせたのか、わからなかった。あまりに痛々しく怯える彼を見るのがつらく、少しでも気持ちを和らげたいと告げた些細な言葉だったのだが。
「カミュー……」
試しに呼び掛けてみると、恋人はゆっくりと目蓋を上げた。先程とは比較にならないほど穏やかに濡れる瞳の奥深く、微かな情欲が燃えていた。

────同じなのだ。

マイクロトフは唐突に理解する。
カミューもまた、長い別離を埋めようと喘いでいる。それでもままならぬ肉体の拒絶に苦しんでいるのだ。
抵抗は失われ、すでに侵略者である自分の前に無防備に晒された白い身体。最後に愛し合ったときよりも格段に細くなった四肢に眉を顰め、彼は静かに唇を噛んだ。
その気配を察したのか、カミューがそろそろと頬に触れてきた。躊躇いがちな指先に掠めるようにくちづけて、優しく笑ってみせる。
落とした唇に、今度は抗うことなく応える恋人。差し入れた舌先は甘く絡め取られ、四肢の震えとは裏腹の切ない欲求を物語る。
────哀れと思うべきではない。
そう考えることは侮辱になるに違いない。
それでも、常に凛々しく、身体を重ねていても騎士の矜持を漂わせていた恋人の、さながら人が変わったような怯えを窺い見ると、マイクロトフの胸は痛みに疼く。
彼はどれほど孤独だっただろう。
何も知らない自分が責めるように詰め寄るたび、幾度苦悩を嚥下したことか。
独り耐えることを選んだ彼の、その選択を今更否定しようとは思わない。過ぎたことを振り返る余裕などない。目の前に広がる傷を如何にして埋めるか、それが今のマイクロトフに与えられた試練なのだ。
「マイクロトフ」
恋人が掠れた声で呼ぶ。縋りつくような気配に満ちていた。
「ああ」
どう答えたらいいのか、わからない。
マイクロトフは脅かさぬよう、柔らかな栗金色の髪に埋めた指を滑らせた。僅かにカミューは身じろいだ。
「マイクロトフ……」
「好きだ、カミュー」
幾百も繰り返されてきた言葉。マイクロトフの精一杯の睦言に、カミューは微かに笑みを浮かべ、首に腕を回してきた。
「マイクロトフ────」
名を呼びながら、相手の存在を確かめているのだろう。
────今度こそ紛うことなき生涯の伴侶なのだ、と。

 

唇が首筋に流れると、カミューはいっそう身を震わせながらも強くマイクロトフを抱き返す。心と身体の分離は相当強いのだろう。
「────怖いか、カミュー?」
耳朶を噛みながら低く囁くと、彼ははっとしたように身を竦ませた。
「…………大丈夫だ」
これ以上ないほど静かに、そっと続ける。
「────おれも怖い」

 

深い傷をいっそう広げはしないか。
果たして自分に彼を癒すだけの器量があるのか。
考えれば不安になる。それは恐怖に等しいほどだ。
自らの肉体が強いた屈辱の記憶、暴力によって跪かせられたカミュー。マイクロトフとて昨夜の惨状が脳裏を過ぎらないわけではない。
一刻も早く恋人から忌まわしい魔物の記憶を消してしまいたい。
それがたとえ彼を苦しめる行為を伴うとしても───そう思ってしまう自分の身勝手さ。
口惜しいのだ。
カミューがほんの僅かでも別の愛撫の記憶を持つことが。まして自分の肉体が施したものであれば尚更に。
魔獣が指摘したように、カミューは歓喜したのだろう。それがマイクロトフの身体であったという理由で。あるいはそう思い込むことで自分を救おうと。
その切羽詰った状況にすら嫉妬している自分がいた。
────無論、意識の外であったのだけれども。
カミューがマイクロトフを選び取り、淫獣の支配を捩じ伏せることに成功したとき、思考に奔流のように流れ込んできた魔物の想い。
何処までも非道な許すべからざる敵であったけれど、その一念だけにはマイクロトフは微かな憐憫を覚える。

淫獣オーランドはカミューを愛していたのだ。

愚かな人間と嘲笑いながら。
無力な存在と罵りながら────
それでも魔物はカミューを愛していた。
決して心を明け渡そうとしない獲物の気高さに、魔物は生涯ただ一度の恋をした。それが自らを滅ぼすと、果たして魔物は知っていたのだろうか────。
手段を違えても、引き返すすべを持たぬ魔獣の孤独な叫び。我が身から引き剥がされた刹那に迸った淫獣の慟哭は今もマイクロトフの耳に残る。
手に入れることの出来ないものへの大いなる執着。その一点にマイクロトフは共感すら感じることが出来た。
────決して許せない共感ではあるのだが。

 

マイクロトフはカミューの快感を拾い上げることに専念し始めた。這わせた掌で震えを抑え込むように。
唇はゆっくりと肩口を愛し始める。
支配を抑えたとき、魔獣の記憶が我がものとなった。怒涛のように押し寄せたそれは、マイクロトフを愕然とさせた。
力任せに外された肩、砕かれた腕、切り裂かれた皮膚────
そのすべてにくちづけたかった。
そんな彼の想いを察したように、カミューは柔らかに立てられた歯に応え、弱い息を洩らし始めた。
「カミュー……」
マイクロトフの懸念通り、カミューはどうやら痛めつけられた箇所には尽く敏感な反応を返す。それが快楽からなのか、嫌悪に近しいものなのか、判別出来ない。ただ、つらい記憶を塗り潰そうという彼の意図を察しているのだろう、カミューは逆らうことなく身を任せ、時折縋るように背を掻き毟るだけだ。
次第に下腹に下りた掌が、控え目な欲望を示す彼を包み込み、緩やかに弄り始めた。途端に竦み上がる恋人を宥めるため、マイクロトフは軽いくちづけを繰り返した。
いつもの情熱任せの愛撫と違うことがカミューを戦かせていることには気づいた。だが、今宵ばかりは自分の欲求にまかせて触れることが出来なかったのだ。柔らかな快楽を与え続けていた彼に、不意にカミューは意を決したように口を開いた。
「────頼む、マイクロトフ」
「カミュー?」
「……そんなふうに気遣わないでくれ」
伸ばした腕で強く男を引き寄せながら彼は続けた。
「わたしは……おまえを確かめたい。いつもと同じに────」
「だが……」
マイクロトフは躊躇した。
どちらかというと荒々しい、情熱だけに導かれる彼の欲求。それが今のカミューに受け入れ難いものであることは確実なのだ。
けれどカミューは薄く微笑み首を振る。
「わたしのためを思うなら────わたしを壊してくれ」
「……………………」
「────こんな自分は嫌だ」
小さく呟いて再び真っ直ぐにマイクロトフを射抜いた瞳は、頑ななまでに直向きだった。
「おまえに怯える自分など、嫌だ。歪んだものは、一度壊して組み立て直すしかないんだよ、マイクロトフ……」
「────カミュー」
マイクロトフは苦笑した。
「壊せ……、とは穏やかでないな。おれはいつでもおまえを気遣っているつもりだぞ?」
するとカミューもくすりと笑いを洩らした。
「……わかっている。でも────これは違うだろう?」
絡み合う視線、触れ合う肌。
相手を求めるあまりに荒れ狂う夜毎の宴────
「……苦しかったら言ってくれ」
終にマイクロトフは低く言った。カミューは安堵したように目を閉じた。
「……言ったらやめるかい?」
「────善処はする」
思わず、といった調子でカミューが零した苦笑が合図となった。
控え目に肌をなぞるだけだった掌が、熱く全身を弄り出す。掠めるように行き来していた唇が、白い聖地に足跡を刻み始める。
穏やかに重ねられていた下肢を膝で割り、より強くカミューの欲求を煽るために腰を蠢かす────
「あ、ああ……」
震える間もないほど唐突に開始された侵略に、身悶えながらカミューは哭いた。残る恐怖や怯えをすべて吐き出さんとばかりに立て続けに洩れる喘ぎに、マイクロトフは迷いを払拭する。
同じなのだ。
ひとつの魂を分け持つ二人に躊躇いはいらない。
彼が望んだことは自分の望みそのままだ────
自分以外の愛撫を知る彼を壊してしまいたい。
そして自分だけを刻み付けた彼を取り戻す。
「────っ……!」
強引に分け入った指が魔獣の記憶を掻き出すように内部を探る。その荒々しさに微かにカミューはうめいたが、拒絶は上がらなかった。
最後の理性は彼を傷つけることを否とした。マイクロトフは殊更執拗に道筋を整え、苦痛を和らげるために恋人の目蓋に唇を落とした。
「…………いいか?」
「───いちいち……」
聞くな、といいたげに口を開いたカミューだが、言葉は続かない。同意を待たずに打ち込まれた熱に仰け反り、掴んだマイクロトフの肩に爪を立てた。
「…………っ、あ……!!」
反り返った喉の白さ、浮かんだ細い血管までが官能的にマイクロトフを誘った。噛み付くように貪る唇に応えて薄赤い跡を散らす肌────

「カミュー」
「あ、ああ……────」
押し入った欲望を許容しようと浅い息を繰り返す恋人に、囁くようにマイクロトフは名を呼び続けた。
「カミュー……」
応えて開かれたカミューの瞳の中に合意を認めるなり動き出す。
割り開いた片脚を逞しい腕に抱えるようにして逃げ場を奪い、更に大きく身体を開かせ、マイクロトフは恋人を突き上げた。
長い別離への悔恨、魔獣への嫉妬、醜いまでの独占欲────それらすべてを受け入れ噛み砕きながら。
性急な求めについてゆけずに顕著な苦痛を浮かべる恋人のため、伸ばした掌で頬を撫でる。
ゆるりと巡らせた視線に掌の傷が映るなり、カミューの欲望は急速に高まり出した。それを認めてマイクロトフは深く貫いた灼熱をそのままに、彼の身体を引き上げた。
「あ……っ……?」
寝台の上に向かい合わせに抱き上げられ、カミューは狼狽した声を上げつつ、支えを求めてマイクロトフに縋りつく。
「────おれを見ろ」
言い放った男に、カミューは静かに視線を合わせてきた。潤んで揺れる琥珀の艶に眩暈を覚えながら、マイクロトフは汗に湿った前髪を掻き上げてやった。
「────おれだ」
「…………マイクロトフ────」
「もう────」
律動を再開し、途端に跳ね上がる肢体をきつく抱き締めながらマイクロトフは心で後を引き取った。

 

────……二度とひとりでは涙させない。

 

軋む寝台の乾いた音、濡れて燃える恋人の切実な泣き声。
それはやがて淫獣の慟哭の断末魔を耳から遠ざけ、記憶の淵から削り取っていく。

 

取り戻した恋人を腕に、その夜、マイクロトフは誇り高き獣と還った────

 


何故〜〜何故にえっちくならない〜〜。
えっちに理由付けしたら駄目だな……ブツブツ。
所詮うちのえっちシーンは乾燥してます。
誤って期待された方には平謝り致します……。

んでもって、次のオマケは更にカラカラ(笑)
何故だ〜〜隠蔽なのに……間違ってる。

 

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