脆く崩れる夜
「う…………おおおおおおお!!!! ななな何なんだ、この本は!!」
衝撃のあまり、手にしていた本を取り落としてマイクロトフは絶叫した。
心臓は破裂しそうに脈打ち、頬は火がついたように燃えている。
夕食後のことだった。
本拠地の一角で、自団の青騎士たちが数人寄り集まって何事か真剣に話し合っていた。ふとマイクロトフが注意を引かれたのは、その中の一人が見慣れぬ本を持っていたからだ。
綺麗な装丁の冊子だった。表紙が赤と青のツートンカラーになっていたので、すぐに騎士団に関するものだと察しがついた。自分の知らない冊子が出回っているのかと思い、彼は一団に声を掛けたのだ。
そのときの青騎士たちの反応といったら、バケモノに声を掛けられた乙女といった風情だった。咄嗟に本を隠そうとしたので、つい取り上げる気になった。必死に追い縋る部下を振り切り自室まで戻ると、改めて本を眺めた。
マチルダのベストセラー『騎士のつとめ』とも『騎士の戦法』とも違う。まったく見たことのない本だった。これはロックアックスから持ってきた物だろうかと読み始め、十秒後には噴火した。
そこにはあられもない、自分とカミューの性行為が延々と綴られていたのである。
仰天しながらも途中まで読んでしまったのは、作中の自分があまりにも見事な勇姿を披露していたからだ。これぞ、自分が目指しながら常に挫折している真の愛の行為であった。
少々カミューが気の毒な気もするが、いつも不満足そうに眠りにつく彼が、泣きながら自分を求めるというのは興奮せずにはいられないし、そんな顔を見てみたいな〜などと素直に頷いてしまう。
あの、自分にだけは不機嫌な顔を隠さないカミューが、こんなにメロメロ(死語)になって悶える様なぞ、お話の中でしか拝めなさそうな気がする。
ならばガンガンいってくれ、と作中の自分を応援してしまうマイクロトフだった。
さすがに挿入直前までくると、刺激が脳天を突き抜けて、叫び出さずにはいられなくなってしまった。
いったいこの本は何なのだろう? どうして自分の部下たちはこんな本を回し読んでいたのだろうか。
混乱の坩堝にありながらも、彼の心はひとつだった。
早く落ち着いて、続きを読まねばならない。
技巧をしっかり学んで、本物のカミューに試すのだ。
すでに本の出所よりも、己の利害が優先してしまっている青騎士団長であった。
「マイクロトフ、いるかい?」
突然、ノックもなしに扉が開き、ついさっきまで本の中で淫らに、且つ可憐に喘いでいた顔が現れた。マイクロトフは落とした本を取り上げようとした姿勢のまま固まった。
「カカカカカカミュー!!」
「何だ、おかしな声を出して……確かにわたしだが」
笑いながら入って来たカミューは、じじいのように腰を屈めたまま動けずにいるマイクロトフに、僅かに眉を寄せた。
「…………ギックリ腰か?」
「いいい、いやっ、その、違うっっっ、大丈夫だッ!!」
初めて、部下たちの狼狽が身に染みて理解できた。なるほど、慌てるわけである。マイクロトフはバネ人形のように跳ね上がって姿勢を正した。無論、本を背後に隠すことも忘れない。
しかしながら、目敏く鋭い赤騎士団長の目を誤魔化すには、彼はあまりに役不足であった。
「……何を隠した?」
「ななな何でもない!! ただの本だ!!!」
「ただの本なら隠す必要はなかろう? 見せろ」
「何でもないと言っているだろう!」
「……怪し過ぎるぞ、マイクロトフ。ほら、さっさと出してみろよ」
「た、頼む! 頼むから…………」
作中のカミューとそっくり同じ台詞を吐いているのは順応性というものか。懇願する眼差しも、思わず涙に潤んでしまいそうだ。
「いいから、見せてみろ!」
鋭く命じられて、マイクロトフは負けてしまった。所詮カミューには頭が上がらない男なのだ。叱られた子供のように、おずおずと本を胸の前に掲げる。いかがわしい『大人の本』を親に見つかった子供はこんな心境なのだろうな、などと思ってしまうのが情けない。
「それは…………」
瞬くカミューに、しどろもどろになりながら言い訳を始めた。
「ぶ、部下から没収した本だ、おれが買ったわけではない。綺麗だったし、騎士団に関することが書かれているのかと思って、ちょっと借りてきただけで……、その、別にまだ読んだわけではない! ほんの一ページ、いや、二ページくらい、ざーっと目を通しただけで、じっくり読んだわけではなくて、内容が頭に入ったわけでもない。信じてくれ、カミュー!」
本当は半分以上読んでいて、行為の手順もしっかり頭にインプットされているのだが、それは言えない。真っ赤になってこれだけ立て続けにしゃべれば、カミューでなくても訝しく思うのは当然である。だが、狼狽えて頭に血が昇っている男にはそんなことを考える余裕もない。
「ふーん、青騎士が持っていたのか?」
カミューはその場で腕を組んで、小さく首を傾げた。
「そっ、そうだ! 断じておれの本ではない!!」
責任を部下になすりつける、上官として有るまじき行為に走っていることも気づかない。これでは騎士の誇りが泣く。
「…………それ、部数限定のプレミア付きだそうだぞ? その青騎士、相当なマニアだな」
静かに言い放ったカミューに、マイクロトフはきょとんと目を見開いた。如何にも感心したように彼は溜め息をついている。それからマイクロトフの視線に気づいたように、小さく笑った。
「…………凄かっただろう、おまえが上手くて」
さらりと言われてマイクロトフは思わず唾を飲んだ。
「カ、カミュー……?」
「確か……三作目だと聞いたが、試験的におまえが抜群に上手くて強い男、という設定で書かれたものだが、何故かひどく評判が悪かったらしくてな。普段なら増刷がかかるんだが、それだけは小数部発行の上に初版で絶版になったという、幻の品だぞ」
「カ………………」
「『マイクロトフ団長はこんな方ではありません』、そういう投書が部数分だけ寄せられたが、殊に青騎士からのブーイングが凄かったそうだ。さすがに部下だな、おまえを良く知っているらしい」
「その…………カミュー??」
マイクロトフはぱちくりと瞬いて、愛する男を凝視した。綺麗な恋人はにっこり笑っている。
「話が良く見えないのだが……」
「つまり、だ」 カミューは一度頷いて、丁寧に説明を開始した。「この城には、ニナ殿を代表とする『マチルダ・サークル』というものがあるんだ。彼女らは、わたしたちをモデルに同人誌を出版している。ちなみに、印刷はマルロ君が請け負っているらしい」
「マチルダ……サークル? 同人誌???」
「わたしたちの恋愛を題材にした小説や漫画などを集めて一冊の本にしているのさ。おまえが胸に抱き締めているのも、その中のひとつだ。まあ、それは彼女らの本の中では異端だが」
「…………………………………………」
「彼女たちの作品ときたら、見事なものだぞ。まるで見てきたようだ。おまえが早いのも、下手なことまでぴったりさ。思わず笑ってしまったよ」
「カミュー、おまえ…………」
恐る恐るマイクロトフは口を開いた。
「よ……読んだのか、それ…………?」
「読んださ」
彼は微笑んだまま頷いた。
「わたしの場合は赤騎士から取り上げたんだが。泣きながら全部貸してくれたよ。シリーズになっているんだ。題して『マチルダ・愛の日々』。定期購読者の八割が騎士たちだそうだから、おまえも一人や二人の青騎士を責めても無駄だぞ」
「カ、カミュー……おまえ…………」
最初の衝撃が通り過ぎると、マイクロトフは恋人の言葉を噛み締める余裕が出てきた。早い・下手という評価が部下たちに知れ回っている。否、そうであるはずだと思い込まれていると言うべきか。
「な、何故また、そんな…………いったい…………」
「おまえ、やはり知らなかったんだな」
カミューはくすくすと肩を震わせた。
「今に始まったことではないぞ? ロックアックスのレディたちも、わたしたちをネタに、それは物凄い本を作っていたよ。今更驚くことでもないさ。当節の流行なんだそうだ。良かったな、流行に乗れたじゃないか、マイクロトフ」
「そ、そういう問題では…………」
「まあ…………折角だから、その本をしっかり読んで少し勉強しろ。そのくらいわたしを感じさせられるようになって欲しいものだ」
カミューはひらひらと手を振ると、くるりと踵を返して部屋を出て行こうとした。扉に手を掛けたところでふと、振り返る。
「ああ、だが……そのためにはまず、その暴発グセを何とかしろよ。それではわたしを楽しませる暇がないだろう? では、しっかりな。おやすみ、マイクロトフ」
しなやかな肢体が扉の向こうに消えるまで、マイクロトフは呆然と立ち尽くしたままだった。カミューのすべてを知っていると自負していたのに、恋人はまだまだ多くの謎を抱えた神秘の人だった。
こんな凄まじいものを平然と許容する懐の深さもさることながら、あんな挑発をされて黙っていることが出来ようか。あの澄ました顔を、なまめいた涙で濡らさずにおくべきか。
誇り高き青騎士団長は奮い立った。
「ああっ、だがしかし!! この本では参考にならん!! これはいきなり上級用ではないか!!! くそっ、他の本を手に入れるにはどうしたらいいのだ?! ええっと……『バックナンバーのお知らせ』…………これか? これでいいのか!! よしっ、やるぞカミュー。おまえとの輝く夜のため! これぞ、我が騎士のつとめ!!!」
かくして、マチルダ・サークルの定期購読者がまた一人、増えた…………のだろうか? それは秘密である。
本当に終わりである。
オヤ、ここまで来られた方は
奥江と同じ思考を持っておられますね?(笑)
途中まで書いてて思いました。「マイクロトフ様はこんな方ではありません!」
どうもやっぱり、こうなってしまいますね〜。
っかし〜な〜、下手じゃない青も好きなのに。
隠蔽には相応しくないバカ話にお付き合いくださり、どうもありがとうございました〜。