「これからひとっ走り洛帝山まで行って参ります!!」
胸を張って言った青騎士団・第一部隊長に、赤騎士団要人は呆気に取られた。
「洛帝山って……カミュー様の好物は如何したのでしょう?」
第十隊長の至極もっともな質問に、マイクロトフはにっこり微笑む。
「プリンです」
「プリンか……何と素朴な……カミュー様……」
一瞬、状況を忘れてほうっと溜め息をついた面々だが、次には更に考え込んだ。
「して、プリンと洛帝山に何の関係が……?」
「氷で冷えたプリンならば食べてみたいとカミューが口にしたのです! 洛帝山まで氷を取りに行ってくるので、皆様はプリンの用意をしておいていただきたい。では、急ぎますので失礼!!」
口を挟む暇も与えずに退出してしまった猪のような男に、一同は呆けたまま互いの顔を眺め遣った。
「氷……氷を取ってくる────そう言ったのか、マイクロトフ殿は?」
「はい、わたしにもそのように聞こえました」
「それで……洛帝山まで行くと?」
「はあ……そう仰ったような…………」
彼らは腕を組んで考え込んだ。が、疲弊していなくてもマイクロトフの思考はよくわからないということで一致して、努めて明るい未来を見据えることにした。
「と────ともかく、我らは為すべきことをしよう。誰か厨房へ行って、料理人に依頼を」
副長が気を取り直したように指示を与える。
「ああ、それから念のため────」
愛馬で獣道を駆け抜け、洛帝山の麓に辿り着いたマイクロトフは、へばっている馬に持参した水を与えて首を撫でた。
「すまん、無理をさせるが……カミューのためだ、頑張ってくれ!」
愛馬は主人の無茶な要求には慣れっこになっているので、哀しげに鼻を鳴らしただけで再び脚を進め始めた。
高度の関係か、流石にロックアックスより気温が低い。ここならばカミューもゆっくり眠ることが出来るのに。もっとも、それには夜襲をかけるモンスターの危険が隣り合わせではあるが。
それにしても、あの普段からかけ離れたカミューはどうだろう。暑さの所為だろうが、駄々っ子のように感情の起伏が激しくなっていた。洩れた弱音も内容はともあれ、自分にだけ見せたものだと思えば愛しさがつのる。
「だいたい、あいつはいつも気を張りすぎだからな……もっと甘えてくれてもいいと思うぞ、カミュー!」
剣士として何よりも大事な愛剣と、片時も手放さないマントを自分に託すと言っていた。
「気持ちは嬉しいが……まだまだおまえに必要な品だ、受け取る訳になどいかない!!」
出会えたことは最高の喜びだとも言ってくれた。
「何を今更……おれとて同じだ! だが……そう思ってくれているならば、普段もう少し口にしてくれてもいいと思う……」
騎士であろうが暑いものは暑い。そうぼやいたのを思い出す。
「ううむ……おれも一応暑いことは暑い。だが、おまえのためならばもっと熱くなれるぞ、カミュー!!」
────そして、プリン。
「もっと高価なものでも、手に入り難い食材でも……おまえの望みならば……おれは……おれは!!!」
終に感極まってマイクロトフは馬上で拳を震わせた。
「食べて元気になってくれるなら、この山のすべてのモンスターを討ち果たしてでも…………カミュー!!!」
延々と自らを鼓舞している大声が聞こえたのか、さっそく前方に立ち塞がるように出現したアサシンを睨みつけ、マイクロトフは馬から降りてダンスニーの柄を握った。
「どけ、邪魔をするな! おれはカミューのプリンのため、退くわけにはいかない!!!」
ロックアックスでぐったりとベッドに沈んで帰りを待っている最愛の人ため────放つ闘気は灼熱の如し。
「待っていろ、カミュー! 必ずや氷を持ち帰り、プリンを冷やしてみせる……!!」
愛剣ダンスニーが大上段に振り翳された────。
「カミュー」
密やかな声が掛かり、浅い眠りに落ちていた赤騎士団長はゆっくりと目を開けた。そこには見慣れた精悍な顔が笑っている。
すでに日は暮れたようで、室内は暗い。机の上に置かれた燭台が揺れる光を放っていた。
「マイクロトフ……?」
「すまない、待たせたな。起きられるか……?」
逞しい腕に抱え上げられ半身を起こしたカミューは、背もたれに設えられた枕に寄り掛かった。
「さあ、プリンだ。良く冷えているはずだぞ」
言いながらマイクロトフがベッドに置いたトレイには、大きなボウルが乗っていた。氷水で満ちたボウルの中には冷え易いように幾つかの小鉢に分けられた薄クリーム色のプリンが入っている。
カミューは改めてマイクロトフを見詰めた。得意気に笑っている男は、見ればあちこち傷だらけだ。
「マイクロトフ……本当に洛帝山まで行って来たのかい……?」
「勿論だ」
誇らしそうに彼は胸を張った。
「おまえの言った通り、山頂付近にはもう氷が張っていた。面白いな、こんなにロックアックスは暑いのに……あそこはすっかり冬景色だったぞ」
「……………………」
「溶けないように持ち帰るのが至難だったが、こうして無事に氷でプリンを冷やすことが出来た。さあ……食べてみてくれ、カミュー」
琥珀色の瞳が真っ直ぐにマイクロトフを見詰めていた。次第にそれが潤んでくるのを見て、マイクロトフは眉を寄せた。
「どうした? やはり食べられそうにないか?」
「────いや」
カミューはスプーンを手に、小鉢をひとつ取り上げた。形良い唇に淡い卵色が吸い込まれていくのをじっと見守る。
「………………美味しいよ」
最初の一口を嚥下してからカミューは小さく言った。副長らの話から、嘔吐に備えていたマイクロトフだが、カミューは黙々とひとつめの小鉢を空にして、次の小鉢を取った。
「冷えていて、とても美味しい────」
「それは良かった」
久々の食物が取り敢えずおさまれば、次の食欲もわいてくるだろう。マイクロトフはほっと息を吐いた。
「早く元気になってくれ。そうしたら一緒に洛帝山に涼みに行ける。あそこはとても涼しくて気持ちが良かったぞ」
ただし、と悪戯っぽく付け加える。
「────モンスターの付録もついているが」
カミューは幸福そうに微笑んだ。
「いいね、早くそうしたいよ────」
「だろう? さあ、残りも食べられそうなら……」
「おまえは食べないのかい?」
苦笑しながらマイクロトフは首を振った。
「おれは、プリンはあまり────」
「────試してみるといい」
カミューは柔らかく言うと、静かに身を伸ばした。重なった唇に味わう甘味は何処までも優しくマイクロトフを包んだ。
────甘いのはおまえの唇だ。
マイクロトフは火照る身体をきつく抱き締めた。
その頃。
厨房ではロックアックス城の食を与る料理人が赤騎士団副長と頭を突き合わせていた。
「ご指示通り、氷をご用意致しましたが……如何なさいますか?」
「ううむ……無駄骨を折らせてしまったな。よもや洛帝山から氷を持ち帰るとは……」
「まあ……普通は溶けますな、この暑さでは」
「よほど馬に無理をさせたのだろう。相変わらず、無茶なことを……」
副長は苦笑した。
何故、マイクロトフが洛帝山にこだわったのかは謎だ。氷ならばロックアックスでも用意出来る。現にカミューの枕は氷枕だし、先日の冷スープも氷を砕いて入れてみているのだ。
だが、こうしたものは多分気の持ちようだろう。
マイクロトフが苦労して取ってきた氷ならば、カミューも無駄にすまいと努めるに違いない。
「消化の良さそうなものでも作ってくれ。おそらく、今度は無駄にはなるまい」
「はい、ならば────この氷で冷やすと致しましょう」
依然、熱気に包まれるロックアックスであるが、窓の外には緩やかな風が流れ始めていた。
それは確かに冬の後押しをする心強い気配であった。
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